★青木繁展ーよみがえる神話と芸術
京都国立近代美術館
《最初で最後の大回顧展》ということで、
《青木繁》に会いに行った。
彼は真剣に生きたし、真剣に描いたが、
最後は哀れなくらい惨めな作品を描き、
そして力尽きて悔しい最期を迎えている。
つい、会場で泣きたい感情に襲われてしまった。
久留米や東京のブリジストンで、彼の作品は何度も観ているが、
やはり、彼の絵は久留米で観るのが一番いい。
久留米で観るとは、不思議と《明治の力》を感じる。
作品にパワーがある。
さて、今回の京都での《青木繁展》ですが、
何でこんなに、色彩が鈍く汚くみすぼらしいのでしょうか。
僕の記憶にある《青木繁》はかなり鮮やかな色彩を使っているのに。
ある年配(それも相当な)の方が、
白線を超えて作品に顔を近づけて覗き込もうとしたとたん、
監視員より、「白線を越えないでください」
鑑賞者のつぶやき「暗くてよう見えんわ」
作品の保護でしょうが、暗くてようみえない。
彼は地塗りに茶褐色を使っているので、もともとが画面全体が暗く沈みがち。
そこへ、この展示空間、照明。
これでは作品の輝きがまったく伝わらない。
代表作《海の幸》、
かっては、(僕の記憶では)
少なくても海は青く見えたはずだと思うが、、、。
間違いなく、日本絵画史上における傑作のひとつだと思う。
青木は、「高揚感溢れる物語」を20代前半で描ききり、
そしてその時点で、ひとつの大きな山を自覚しないままに越えてしまった。
《天才青木の凄さと悲劇》はそこにあるような気がする。
果たしてこの作品は《完成作品》かどうか、大いに興味ある議論である。
私の意見。
《青木の本質はデッサン家である。
青木はこれ以上描き進められない、
ここで手を止めたところが奇跡である。
天才というのはそういうものかも》
となりの壁面に下絵のデッサンが展示してあった。
キャンバスに木炭で描いたものだが、これが素晴らしく美しい。
力強く儚く美しい。
抽象的でさえある。