駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

冠する帝王では

2009年08月03日 | 人物、男
 無冠の帝王と言えば嘗て気骨のジャーナリスト(新聞記者)を意味した。今や冠し帝王のごとく振る舞う人がいる。
 田原総一郎は、以前にも触れたように(cf.田原)、得難い人であったが、昨日テレビを見ていて、もう賞味期限が切れたと感じた。なぜなら、氏は物事を単純化しすぎ、理解しにくい複雑な事柄の説明に耳を貸そうとせず、二者択一や諾否で決め付けようとする。あげく、卑俗な人間原理に貶めてしまう。物事がそれほど単純なら、世の中の争いや悩みは半減するだろう。物事をそれほど単純化しては誤作動を誘発し、新たな軋轢を生むだろう。
 視聴率を武器に権力者を引き回し、帝王のごとく振る舞っているが、畢竟、視聴率に囚われ大衆に迎合しているのではないか。失礼ながらちょいと脳動脈硬化が出てきたと診断する。ここいらで選手交代と告げたい。
 今や、ある程度の物理化学の素養があり、経済学の知識があり、文学が語れ、底辺の生活体験のある人でなければ総合司会は難しい。そうした教養と経験を表に出す必要はまったくないが、そうした能力経験がないと多分野多彩の人の言葉を咀嚼し、多くの人にわかるように言い換えながら、議論を進め深めてゆくことは難しい。
 政治がらみのことに結論など出ようはずもない。世の中の視界がいくらがでも良くなれば御の字だと思う。
 本当に役立とうとするなら、センセーショナルに騒ぎ立て視聴率を上げる必要はまったくない。視聴率は5%もあればよい。不足分はテレビ局が自腹を切ってもよいのではないか。このままでは地上波テレビは衰退し、衛星放送とインターネットが活用され、活字は選択されつつ生き残る社会になると町医者は予測する。
 
コメント
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