駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

政治記者に申す

2009年08月27日 | 世の中
 選挙の見通しとこれからの政権運営について政治記者が座談会をしている。その内容は私に二、三本毛が生えた程度で、町の床屋政談とさして変わらない。
 政治記者というのは政治家や官僚と顔見知りになり、色々話をしながら情報を得て、それに社風や個人的見解をいくらか加味して、記事(文章をまとめる)にする仕事をしてきたのがよく分かる。
 筋違いな感想かも知れないが、科学とは違うなあと感じる。人間は社会的動物で、それに付きまとう権力闘争は連綿と何千年も続いてきており、表面はともかく本質にはさほど変化が無いので、政治は誰もが感覚でわかり論評しやすい。厨房、閨、政に関しては誰もがそれぞれそこそこの私的プロというわけなのだ。だから政治記者が私と殆ど同じレベルの分析展望でよいとは思えない。
 私はこの座談会が物足りない。良い政治を求めて精進してきた?政治家も熟語の意味を知らない政治家も十把一絡げで、威張っていた先生を引きずり落とす快感で落選させるなどという発言は半ば事実としてもプロを感じさせない。俺でも言える。
 小選挙区制では死に票が多いなどという発言も今更一面の真実を伝えるだけで、したり顔で言うことではなかろう。一面の真実は実は真実ではない。それと死に票という表現は止めるべきだ。拮抗票とか不現票とかいう言葉に変えたい。死に票は響きもよくなく、思考停止を招く。
 物事には厚みがある。単純化できないことがある。それを示すのがプロだと思う。面白いけれども単なる穿ちやちゃかしでは物足りないと申し上げる。
コメント (2)
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