シャーロックホームズはワトソンの観察によればかなり偏った知識の持ち主であった。凶悪事件歴、麻薬、刑法など犯罪に関係することにはやたらと詳しいのに、文学や天文学の知識などは皆無だった。ワトソンが呆れて地球が太陽の周りを回っていることを教えると面白がってすぐ理解するが、余計な知識は忘れなきゃとニヤリと笑う。シャーロックホームズによれば、人間の活用できる記憶庫は限られており、仕事に不要なものはお払い箱にしないと必要なものが入らなくなるというのだ。
半世紀前に読んだこのホームズの言葉が奇妙に心に残っている。多分、なんだか本当のような気がしたからだろう。何でもかんでも興味を持ってしまう私には、多少のブレーキになり良かったのかもしれない。
ちょっとずれるが多才ということは本業と云うか最も力を出すべき分野を伸ばす妨げになるだろうかと考えたりする。余計なことをしないで、実験に精を出していれば、筆を握り続けていればと傍目に見える人が思い浮かぶ。果たして専念してどうだったかはよく分からず、余計なお世話かもしれない。それに多才がその人本来の姿の可能性もある。
一方、何とか馬鹿などという言い方もあるので、どう転んでも人はどこか天の邪鬼にあれこれと揶揄したくなるものらしい。
私の好みと言うか、本来の姿と思っていることは、やはり何とか馬鹿と言われようが才能を一心不乱に一つの道を究めるのに費やす生き方だ。そうした人が晩年にこの世への置き土産かなんだかぼそぼそ語ると、抱腹絶倒に面白かったり、驚くべき広い視野の脳髄に沁みる話だったりするのだ。
ちょっと脱線したが、なんだかホームズの云うことは本当のような気がする。脳科学の教えるところでは記憶庫には十分余裕があるそうなのだが。