懈怠という表現は微妙だが、四十年前医者になった頃は、とにかく心臓を長く拍動させることが医師の使命とする暗黙の了解があったように思う。だから、急変(患者さんの生命が危険な状態になること)すれば、問答無用で延命処置がされた。さすがに人工呼吸器を繋ぐかどうかには、家族に相談をした方が良いという先輩も居たが、殆どの場合その時間的余裕もなかったし、事前の話し合いもなかったと記憶する。
そして、たとえ意識はなくとも人工呼吸器に繋がれて心電図に波形があるだけで、間に合ったと受け取られた。
病院を離れて21年になるが、その頃から予後が悪く長く療養をされた患者さんには延命処置を行わないことが増えてきていたから、今では随分急変時への対応も変わってきているだろう。これは患者さんの意向(比較的元気な時の)や家族の意思表示があるから可能になったと思う。勿論、世の中の末期患者医療への認識が変わったことも大きい。
昔はお任せします、とにかくできることをと言われることが多く、そうした空気で医師は反射的に処置していたように記憶する。個々の症例の急変に医師の判断で、個別の対応をするという選択は放棄されていた。
例え数十分、数時間でも命の長さを左右するような判断を求められるのは大変な精神的負担で、多少肉体的には負担でも定式の延命処置を行った方が楽だったと告白しておきたい。自分で考え判断することは、容易のようで難しく、実際には重荷のことが多い。
思考停止は実は楽だから蔓延していると町医者は診断する。