村には異分子を退け忌み嫌い八分にする風習があったと聞いている。いつ頃まであったのか今もあるのかは知らない。陰湿で嫌な仕組みに感ずるが、組織を生き延びさせる知恵でもあったのだろう。
今でも地域の自治的な意味合い行政の補間的な意味合いもあって、町内会というものが存在する。地域によって違うだろうが昔ほどの重みはなくなっていると思う。有り体に言えば、死に体というか、町内会の存続さえ危うい地域もある。友人のOK氏、断ることの苦手な人で町内会長を押しつけられて五年になる。細々した仕事が多いらしく、年度末にはフーフー言っている。もういい加減に辞めさせてもらえよと仲間で忠告するのだが、交代が居ないので辞められないと言う。町内会費の徴収もままならず、今期は会計係が居ないので日曜日をつぶさなくてはなどと言っている。これでは町内会が二分の人で辛うじて存続しているだけではないかと思ってしまう。
勿論、中には町内の運動会や遠足までやっているまとまりがあり、町内会の存在意義深い地域もあるだろうが、隣は何をする人ぞわしゃ知らんという町も少なくないのではと思う。
駅前には住んではいないが、町内会費と行事への寄付はきちんとさせて戴いている。