駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

老人力でもう少し

2014年04月08日 | 診療

              

 意識というか自意識というか、自分の存在を感じ時空の周りを見渡すことが出来るのは地球上では人間だけのようだ。頻度や程度に差はあっても自分の年を考えない人は居ないだろう。

 私のように壮年期と同じ量の仕事をこなさねばならない仕事では、七十が鼻の先だと引退少なくともペースダウンを考える。今のところまだなんとか医学の進歩についていけていると思うが、患者の名前が出てこないことが増えた。顔と病気は思い出せても、名前が出てこない。時々来院する人を入れれば四千人近い数だから、仕方がないと言えば仕方がないのだが、昔は違ったという記憶があるから、年を感じてしまう。

 臨床医学で大切な能力に共感力がある。共感は概ね相手を理解(頭だけでない)することから生まれるのだが、それに関しては馬齢も役に立つ。高齢者になると関節痛がつきものだ。七十歳以上になるとほぼ必発で、どこも痛くない医者要らずで毎朝ジョッギングなどという爺さんは例外だ。そういう爺さんが健康長寿かというとそうでもなく、元気そうだったのにと言うことがある。

 ちょっと脱線したが、高齢者を診る仕事では自分も高齢者になると共感力では実力が発揮できる利点がでてくる。この一年は夏の肩痛から始まり秋口の腰痛そして桜と共に始まった膝痛と関節痛に悩まされてきた。長足の進歩を遂げた医学のはずだが、整形外科の同業者は仲間内の気安さからか、画像診断でたいした所見がないと年齢的な変化ばかりを指摘して、処方は湿布サポーターとお大事に余計な一言「年ですよ」を付け加えてくれる。

 そうしたわけで、繰り返される腰や膝の痛みの訴えに共感を持って「それは大変ですねえ・・」と申し上げている。

 

コメント (2)
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