時々行くカフェの若いシェフがどことなく寂しそうな厳しい表情をしていた。そんな日もあるだろうと気にも止めなかったのだが、勘定を支払う段になって「僕、今月一杯でここ辞めるんです」。と思わぬことを言う。
「どこに行くの、食べに行くから教えて」と女房が言うと
「**の社員食堂です」。驚いた顔をすると、「僕も妻子が居るんで安定したところがいいんです」という言葉が返ってきた。
「ああ、そうか」と継ぐ言葉も咄嗟には出ず店を後にしたのだが、
「安定しないのかねえ」、「社員の人、美味しい物が食べられていいわね」、「いやあ、社員食堂じゃあなかなか難しいんじゃない」、「いつも美味しいと褒めたから、私たちには話したのね」などとがっかりしながら、車中女房と話をしたことだ。
昔懐かしいスパゲッティナポリタンとか丸善に負けない黒いハヤシライスとか、間違いなく良い腕と舌を持っていたのだが、独立するにはリスクもあるし資金もないのだろう。それに、奥さんの一言が効いた様子だ。
一体、カフェの給料体系はどうなっているのだろう。確かに客の入りには波があったのだが、この数ヶ月は明らかに増えていたのだ。みんな美味さに気付いたのだなと、密かに喜んでいたのだが。原価率が高く収益が少なかったのだろうか。オーナーが食事よりも喫茶に方向転換するのかもしれない。彼がどういう背景を持っているのか知らないが、社員食堂に行くということは、名のある料理専門学校は出ておらず、業界内で師匠や先輩などの人脈がないのだろうと、余計な想像した。
どこがどうとは言いがたいが君は旨い物を作る才能に恵まれていたのは確かだ、T君。