駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

患者の寿限無

2009年01月22日 | 診療
 じゅげむじゅげむごこうのすりきれと・・落語で聞くのは面白いのだが、忙しい時に患者さんに(ほとんど中高年女性)やられると、全然面白くない。「今日はどうされましたか?」。「この前、歯医者に行ったら口内炎が出来てるって言われたの」。なるほど、どれどれと見せて貰おうとすると「それはね、もう治ったの。もういいかなと思っていたら今度はめまいがしたの。しばらく検査受けてないでしょ。なんだか心配で、ご飯食べないで来たのよ」。・・?。「めまいがしたのは何時のことですか」。「それはね歯医者さんに行ってしばらくしてからね」。・・?。「歯医者さんはいいですから、めまいは昨日、一昨日」。「歯医者さんは暮れよ、めまいは一昨日かな、もうよくなったのよ、でも検査受けてないから心配で来たの」。
 原則として初診では患者さんの話を中断しないでしばらく聞くようにしている(患者さんを観察し様子を知るため)が、混んで後ろが支えているのにこの調子では埒が明かない。質問して答えさせるようにせざるをえない。「めまいがあったのは何時頃、何をしている時、どんなめまい、何分ぐらい続いたの、頭痛は、耳鳴りは、吐き気は、以前に似たようなめまいは・・・」、簡単な質問でも答えに枕詞というか寿原無が付きそうになる。すぐに核心にたどり着かないのだ。
 こうしたやりとりになる患者さんは、やや知能が低めのこともあるし、単に場慣れしていないだけの場合もある(稀には内科でないこともある)。
 これは前座の寿限無。もうひとつ立て板の水の真打ち寿限無もある(若中年の女性がほとんど)。
 「喉がむずがゆくて咳が時々出ます」。風邪かなと思いながら続きを聞いていると、「それが一年以上前から続いていて・・・」。あれなんだか変だなと思っていると「東大病院へ行って、慶応病院へ行って、**先生に紹介して頂いて・・」。そんな畏れおおい患者さんが地方の駅前医院へいらしては、どうぞお引き取りをと言いたくなるのをこらえ、取り合えず診察する。所見と言うほどの所見はない、軽い消炎鎮痛剤と鎮咳剤をお出しする。「先生、さっきの患者さん、受付で何だか自分の病気のこと15分くらい演説していかれましたよ」。「うーん、そうか、座布団は出さないように」。
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オバマ効果

2009年01月21日 | 世界
 21世紀にこれほど一人の人間に注目と期待が集まることがあるとは思っていなかった。過剰な期待は失望に繋がりやすいので禁物と思いつつ、どうしても世界を良い方向に変えてくれるのではないかと期待してしまう。まさにそれがオバマ効果なのかもしれない。
 実は私はオバマの政策の要諦をよく知らない、多くのアメリカ市民もきちんと理解していないような気がする。おそらく良い方向に変えてくるという期待と自らもそれに参加しようというのが80%支持の中身だと思う。そんな情緒的な支持でよいのだろうかと断ずる政治評論家は、勉強の幅を歴史と人間にまで広げる必要があるかもしれない。変化をもたらす約束と参加を促す呼びかけで、国を動かすことができる人物が出てくる。それがどのようなもので何をもたらすかは、オバマの人間性に掛かっている。それはあと数時間で始まる就任演説で見て取れるだろう。偉大な大統領は後世に残る演説をする国だ。
 民衆の支持は民衆でない人達の意向とは一致しないかもしれない。恐ろしい伝統が繰り返されないことを心から祈る。
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過ぐる千年も

2009年01月19日 | ご挨拶
 明日でこのブログを書き始めて1年になる。当初は、利益優先のように言われがちな町医者の実態と気持ちを少し世に発信してみたいと書き始めたのだが、いつの間にか日記というか作文というか、心に浮かんだことを書くようになった。 芳しくない?町医者の評判の方は医師不足問題からマスコミの矛先が厚労省に向いて下火になった。過ぎたるは及ばざるがごとしのマスコミではあるが、医療の実態に目が向けられたことは有り難い。
 実は二、三ヶ月目で書いてもほとんど反応が無く止めようかとも思ったが、読んで下さる方もぼつぼつ出て来られ、何人か知り合いも出来たのでとにかく一年は続けようと頑張ってきた。まあ、広い世界に発信することはどなたかの目に止まる可能性があるわけで、宇宙人からの返信はないにしても不思議な面白さがある。
 それにキイワードで釣れてくるブログは玉石混淆であるが、世界の広さを実感させてくれ、固くなってきた脳をほぐし、唯我独尊になりがちな医師頭を目覚めさせてくれる。
 怪しげなことを書くために匿名しているわけではなく、医師の守秘義務に注意してもいろいろな人が居るので、分からない方がよいと思ってそうした。一体何処に住んでいるどんな経歴の医者か、推理する楽しみも提供しているかもしれない。
 こつこつ書いて来たので、作品と言っては大げさだが多少愛着も沸いてきた。
 
 読んで下さる方に心に残る言葉を一つお贈りしたい。
 「過ぐる千年も、この夜の間の一時(ひととき)に同じ」。

 この言葉の出処をご存じの方はほとんどいらっしゃらないだろう。内科医をしていると、生きていることに感ずることが多々ある。年齢差を超えて同時代人に向けて今しばらく、さまざまな感興を発信して行きたい。
 
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故郷へ回る六部

2009年01月18日 | 身辺記
 何もない日曜日は午前中少し仕事の本を読んで、前の週に聞いた講演会の簡単なまとめをするようにしている。残念ながら、脳細胞の働きが落ちたので、繰り返してまとめても新しいことは四分の一も頭に残らない。それでも、やらないよりはましと自分なりにポイントを押さえるように努力している。一段落すると、ちょっと遠出して、昼飯を女房と食べる。たいていは馴染みの洋食屋、これが雛には稀に旨くて安い。帰ってきてから、録画しておいたNHKの将棋と碁を観ることが多いのだが、最近はいつの間にか寝てしまい、要するにちょっと遅めの昼寝になってしまう。
 夕食後は面白いテレビ番組がなければ、音楽を聴きながら本を読んだりブログを読んだり書いたりして過ごす(これは一年前から)のだが、どうも根気がなくなり、気が付くとぼーっと音楽を聴いていることが多い。頭を休めているつもりだが、単に頭が働かなくなったのかもしれない。読む本も少し守備範囲が狭くなったようで、残酷なものや難しいものは敬遠するようになった。どうも心地良い馴染みのものを知らないうちに求めるようになったらしい。気が付けば故郷へ回る六部というわけか。
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倍賞千恵子を聞く

2009年01月18日 | 身辺記
 倍賞千恵子の歌声が好きで時々聞いている。学生時代ラジオから流れる下町の太陽を聞いて、一発でその声の虜になった。とは言ってもコンサートなどに行ったことはなく、歌っている姿を見たことはない。映像はさくらで有名な寅さんシリーズで観ているが、全編をきちんと見たのは三作ほどだ。ああ、そこに居るなという感じで、歌ほど惹き付けられるものを感じなかった。
 碌に観ても居ないのに会心の画像がないというと顰蹙を買うだろうが、恋心を匕首に妖しげたおやかに、世に棲む女を演じて欲しかった。ラブレターなどを聞いていると、さくらと違う一面を持っているのが分かるからだ。
 まあファンといってもあまり私生活や幅広い活躍を知らず気に入った所だけを愛でる傾向があるのだが、何よりも声質が好きなのだ。べとつかずそれで居て情緒あふれる歌い方が好きだ。
 きっと私の他にも秘かに賠償千恵子の歌声ファンが居るだろう。まあこうして、勝手なことを書けば少し年上で姉格の彼女に窘められそうな気がする。そうした感じもまた好きな理由の一つなのかもしれない。
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