北朝鮮が暴発した。北朝鮮の専門家まで驚いたと言っている。何でもありの国なので起こり得ることと予想できたはずなのだが、現実になったのでびっくりしたのだろうか。
外務省は冷静に分析できていると信じたい。まさか右往左往しているのではないでしょうね。熾烈極まる国際社会の中では不慣れなのでとか予想していなかったのでなどという言い訳は全く成り立たない。
殴られたら殴り返さないといけない。但し、決して理性を失ってはならない。冷静に反撃するのが鉄則というか、それしかあるまい。怒りや恐怖は判断を狂わせる。冷静沈着に毅然と対応することだ。北は俺の言うことを聞かないとこうなるという脅しのつもりなのだろうが、金輪際脅しが通用しないことを知らしめる必要がある。
いつまでも北の崩壊難民発生を恐れていて、明日への展望が開けるだろうか。臭いものに蓋も限界の気がする。思いやり予算を削り、崩壊後の北支援に備えてはどうだ。難民は労働資源という考え方も出来ると思う。素人考えと笑われようが、玄人はいつまでも事実確認情報収集に明け暮れ、自分で考えるのを忘れているように見えると言い返してみたい。
内科診断学では鑑別診断が重用視される。例えば上腹部痛と言えばどんな疾患が考えられどのように鑑別するかなどは、しばしば口頭試問で出たものだ。得たり賢しと十個は鑑別疾患が挙がらないと教授の口がひん曲がったものだ。
この鑑別が難しい世の中になった。真っ当か真っ当でないかは自然にわかるあるいは本人が自覚するのが健康な社会だと思うが、僅かな落ち度を捉え騒ぎ立てると弱いだけで正しいように響いてしまう。
医院の勝手口にペットボトルがまとめて捨ててある。掃除で気付いた事務員が「先生、置きましたか」。「まさか」。「誰でしょう、ゴミ捨て場じゃないのに」。と憤慨しても結局、当院の塵として有料(医院のゴミ捨ては有料)で出すことになる。
夜間急病当番に、下肢が浮腫んで息切れがして歩けないと老婆が運び込まれた。病気なんかしたことないのに一週間前に転んでから調子悪かったみたいなんですと娘と思しき付き添い。夜間救急は発熱腹痛などを対象とした急病に対応する施設なので、重症患者さんには対応できない。「どうして、もっと早く昼間に病院へ連れて行かないんですか」。と言ったのが不適当だったようで、「同居と言ったって二所帯のようなもんです。昼間は居ないから、さっき気が付いたんです」。と怒気を含んだ口調になる。どうも不利を察知したか患者さんが「助けてくれー」。と大声を出し始める。「こんな状態では連れて帰れませんから」。と眉毛が釣り上がり切り口上が出る。思わず看護師と顔を見合わせる。「分かりました、今から病院に紹介状を書くのでお待ち下さい」。と家族に成り代わり、夜間お忙しいところ申し訳ありませんがとしたためる。
命は平等と反駁できないスローガンを掲げる病院群があったなあ。こうした方法で貴重なベットが埋まり、若い有為な救急患者が満床で追い返されるようなことがあってはなどとは口が裂けても言ってはいけないのだろうか。
明治は遠い昔のようだが、私などは記憶を辿れば手触りの感触のある時代だ。父は明治の生まれだし、祖父は慶応祖母は明治初年の生まれだった。
勤務医は労働時間が長く、少ない余暇は家族と過ごした。町医者は診療後に時間が取れるのだが、ついこの間まで医師会役員の仕事で忙しく、少ない余暇は手すさびに費えた。
気が付けばまだ行きたい所、勉強したい事、読みたい本が山のようにある。碁や将棋も実戦をなどと思うこともある。なんだか欲張り爺さんみたいだが、委縮した脳とたるんだ身体にどこまでできるだろう。何よりも自分は日本の近代史を知らないと痛切に感じる。
鴎外の恋人、百二十年後に明らかになったことは鴎外がエリーゼを本当に愛していたことだ。鴎外は日本の森家を選んでしまったが、心の中の想いは消えることがなかった。おそらく鴎外を責める女性は少ないだろう。鴎外が苦しんだからというのではなく、愛が本物だったから。死の床にあって、なぜ俗世の殻を脱ぎ捨てようとしたか、あるいは心に秘めた世界に還ろうとしたのかもしれない。
果たして今の時代に、鴎外の心にあった深い想いがあるだろうか。我々が失ったものを見つけた思いがする。
幸い風がないので濡れることもなく医院に辿り着く。月曜日なのであちこちスイッチを入れて回り、コンピュータを立ち上げてコーヒィを入れてほっと一息。新しい一週間が始まる。
明かされて良かった秘密かどうか、騒ぎ立てず静かに頷くのが礼儀と感じる。
勿論、鴎外と鴎外の作品の理解は深まると思う。
鴎外が好きだった母は何と言うだろう。森まゆみさんはどんな風に感じただろう。