駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

同じ間際でも

2011年10月26日 | 診療

 

 デパ地下は閉店間際は三割引きで、それを狙って来店する客も居る。かくいう私も時々夜食に割引きを利用する。

 ところが医院では閉院間際は逆に三割増しになる。こちらの三割はお値段でなく、危険度。医院は職員の帰宅時間が迫り、検査や処置が必要な手間取る患者さんは歓迎されない。

 そういうことがあってはならんと言われても、そういうことが無いようにと心を砕いても、あと十五分となれば主婦でもある職員は定時に帰りたいし、院長としては早く帰してやりたいという気持ちも湧いてくる。

 腹が痛いが熱が出た。まだ三時だ、様子を見れば良くなるかもしれないとぎりぎりまで様子を見ないでいただきたい。38.5C以上の熱や唸るような痛みは、ただちに受診の兆候なのだ。

 ぎりぎりで済みませんと言われる患者さんは風邪や高血圧など、殆どがぎりぎりでも問題ない患者さんで、営業時間内だろと目を剥く患者さんや家族に緊急検査を必要としたり、病院に紹介しなければならない病態が多い。こういう場合、なんでもっと早くは禁句なのだ。

 総合病院も五時を過ぎれば、当直体制で手薄となり、いつも親切で優しい当直看護師や医師が待機しているとは限らない。「どうぞよろしくお願いします」。と受けてもらっても、当直体制ではもっと重症な患者が居たりして、それなりの対応に終わる。それに料金や時間もかかる。医療機関に間際に飛び込むのは、賢い選択ではない。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中井久夫の印象

2011年10月25日 | 診療

 人生には後悔がつきまとう。それを忘れ、あるいは忘れようとして生きているわけだが、この歳になってもっと早く読んでおけば良かったという本に出会い苦笑いしている。正確には本と言うより人を知ったという方が正確かもしれない。未見の人で、これからもお会いする機会には恵まれないと思うが、それは中井久夫先生だ。先生と呼ばれてはご迷惑だろうが、そう呼びたくなる方だ。

 元はといえば医師として好ましくないことなのだろうが、正直に言えば精神科医に対するある種の不審感と精神病に対する無力感を私がどこかに持っていたことが、お名前を存じ上げていても著書を手にしなかった理由である。たった二冊ばかり読んで、あれこれと口幅ったいかもしれないが、プディングの味は一口でわかる。

 「世に棲む患者」にはなるほどそうだったのかと思うことが書いてある。私は精神科医ではないがものすごくよく分かる。若い精神科医がどう受け取っているかは知らないが、四十年の内科臨床医には確かにそうだと脳みそに言葉が浸みた。

 十五年、二十年前に読んでいれば私の内科診療も多少違っていた気がする。私なりに精神科境界領域の患者さん達に対する対応法を編み出してはいたのだが、そうかこうすればもっと良かったのかという言葉にいくつか出会うことができた。

 プディングの味は一口で分かると大口を叩いたが、それは優良品であることが分かるという意味で、もう少しゆっくり深く中井久夫の本を読んでいかねば味わったとは言えないと承知している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TPPは特製パンプキンパイか

2011年10月24日 | 世の中

 

 TPPに反対賛成と喧しいが、一体TPPとはどういうものでどういうことになると予想されるのかが、殆ど説明されない。これほど内容を分かりやすく説明する必要がある政治課題はないのにだ。

 賛成派は総論で押し通そうと早口で乗り遅れては大変、仲間外れにされては困るとまくしたてるが、彼らは不安定な庶民のことよりも既得権益の保護拡大が念頭にある。既得権益が守られなければ半数以上の庶民も割を食うのだという切り返しを用意している。不沈?空母に乗船していると生活環境が恵まれるせいか、弁舌滑らかである。

 反対派は実際に起きると予想される被害や危機を説明しようとするのだが、庶民の代表のせいか弁が立たず訥弁で、駄々を捏ねているように見えてしまう。ボロ舟で、水を掻い出しながらでは、寒さで凍え、口の回りも悪くなろうというものだ。

 もし、可能であれば参加して、問題点には強く異議を申し立て、譲らないことができれば、それがよさそうに思えるのだが、そうした離れ業が日本にできるだろうか。実績のない政治家ができると言っても信用しにくい。

 そもそもと言えば、誰のためのTPPなのかに気付く必要がある。参議院議員なのに上院議員のように見える議員もいる、衆議院議員なのに下院議員のように見える議員もいる。

 とにかく国民の八割が理解できるような分かりやすい説明が新聞テレビラジオで繰り返されなければ、長いものに巻かれてしまう。そうした説明ができないわけはなく、なぜされないかも考える必要があろう。

 総論賛成各論反対の典型問題であるが、得意のうやむや玉虫色先送りは、相手のあることだから難しそうだ。泥鰌に解けるかこの難問。キャットフィッシュに変身してはあかんで。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終わり良し

2011年10月23日 | 診療

 

  六時半に電話が鳴る、まずいなあ。

 「**町の**です。お爺さんが亡くなったみたいです。呼吸してません」。

 えーと、さっと朝飯を食ってと頭の中で計算をして「一時間くらいで着きますから待っていてください」。と伝える。病院と違い町医者は息せき切って駆け着けるとは限らない。九十前後の大往生に、慌てて事故など起こしたらかえって申し訳ない。

 K爺さん、肺がんの末期にしては高齢のためか苦しみも少なかったようで、穏やかな死に顔だ。午前二時頃「おいっ」。て起こされて、またお小言かと思ったら、なんだかやさしくて。ちょっと胸をさすってやったら「ありがと」って寝たようだったんです。朝、手が冷たいんでびっくりして見たら息をしていなかったんです。

 と目の赤いお婆さん。爺さんは痩せぎすだったが、婆さんは小太りで血色もよい、きっと怒鳴られながらコロコロと動き回って良く世話をしたんだろう。

 息子は母親に似てずんぐりむっくりだが、床を取り囲む娘さんや孫娘達は爺さんに似たかすらっとして整った顔立ちだ。赤い目で私を見つめながらお礼を言われたが、あまり美しいので一瞬ドキッとした。

 僭越かもしれないが、爺さん言うことあないなあと思いながら帰途に就いた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

末路は似ている

2011年10月22日 | 小考

 

 カダフィは下水道に潜み、発見された時、撃つなと叫んだと報道された。どこまで事実かは不明だが、独裁者の末路は似ていると思った。

 見境なく撃てと叫んでいたのは誰だ。醜く卑小ではないか。なぜ、こうした人物が権力を握ることが出来たのだろう。あるいはそうした人物だから、恐怖と思考停止の連鎖を生み出したのだろうか。

 外観は違っても、他国の人ごとではないかもしれない。塵が積もって山となる。全ての山は塵から成るのではないかと疑う。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする