駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

フランシスベーコン展を見る

2013年03月11日 | 趣味

       

 東京国立近代美術館でフランシスベーコン展を見てきた。17世紀の哲学者ベーコンが絵も描いていたわけではない。同姓同名の二十世紀ダブリン生まれのアイルランドの画家だ。

 画家ということになっているけれども、私は画家と言うよりも人間存在を剥ぐ不安定表現者とでも呼んだ方がよいと感じた。

 不気味なエイリアンのような人体像ばかりで、はっきりいって、其処に美はない。見たくもないものを見せ付けられる不快な感覚が引き出されてくる。静止画なのに蠢いている感じがして、何とも嫌な後味が残った。

 妻は最初の二枚を見ただけで出て行ってしまった。気持ちは分かる。

 美に出会った後の爽快高揚はなく、首根っこを掴まれて魂を揺さぶられたような何とも言えぬ不興が残った。

 普通の人間は人生や命を経験した知覚と言葉で捉えた概念で理解しようとするが、ベーコン氏はそれを飛び越え理解を捨象して直接掴んで心の奥へ投げつけてくる。

 解説にピカソと並ぶという表現があったが、それは違うのではないか。ピカソの作品からはデフォルメされていても芸術の香りが漂ってくる。ベーコンの作品は芸術だろうか、非規則違反の表現者だ。

 これは私の個人的な感想で、異論は多いだろう。奇妙な予感だが、ベーコン氏はこれを読んだとしても怒らないと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丼物に倣うワンプレート

2013年03月10日 | 旨い物

             

  この頃洋食系店にワンプレートランチというものが現れた。これは一皿の上に主料理、サラダと主食(パンかライス)が一緒に盛られているもので、見た目もバランスの取れた彩りの良いプレゼンテーションになっている。大抵カップスープとコーヒーか紅茶が付いて1000-1500円くらいで、2-300円余分に支払うとデザートが付くようになっている。

 要するに簡単なコースが一皿に盛られて供される形式になっていて、値段はコースの5-7割程度に抑えられているのだ。ボリューム的にはコースの八掛けくらいあり、十分お腹は満足する。たぶんこれは和食の丼物から得た発想と思う?

 とは言っても丼物は割安というだけでなく天丼にしろ、カツ丼にしろ明らかな別世界を形成しており、天麩羅定食やとんかつ定食とは違う味わいになっている。洋食系のワンプレートは未だ其処までの舌世界を形成できていないと思う。割安で早く食べられるという手軽さ以上のものを生み出せれば面白いのだが。果たしてワンプレートで、ミニコースと違う食感を形成しうものかどうか、注目している。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二八蕎麦は喉越しが良い

2013年03月09日 | 小考

      

  無理に十割でなくて、上手に打たれた二八蕎麦は自然な喉越しで旨い。どうもこの二割八割の割合が味噌のようで、大衆納得の味になるらしい。

 気が付けばマスコミは自民党の応援団だったようで?このところ自民政権叩きは二割程度で八割は応援団になっている。前にも書いたがこの背景には八割の富を有する二割の人が今がチャンスと腰を上げたのが一番の原動力になっていると見る。

 持つ人の八割持たない人の八割が中流意識を持っているから、とどのつまり八割の政治的支持力が形成され、日本得意の斉唱になって、本当は困る本当に困る人達の声はかき消されてしまう。角栄が喝破していたように数こそ力で、人間動員能力が世の中を動かしてゆく。安倍さんを高く評価しているわけではないが、やはり育ちの良さと颯爽としたルックスで、険がないから嫌悪されにくく支持されるようだ。大政小政と美しい経済解説陣を従え、米国を後ろ盾にすれば向こう一年は御の字だろう。

 大動脈に隣接した5cmの大きな肺癌、上手く手術できる確率は二割程度でしょうと、やや消極的に説明しても八割の患者さんは自分はその二割に入ると思われ、是非と言われる。どうも日本人?は二八蕎麦を美味いと感じるようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人種区別

2013年03月08日 | 世界

      

 イタリアという国はどうなっているんだろう?

 ドイツでタクシーに乗ったら今度は・・抜きでやろうと言われたという話を読んだことがある。膝を打った日独の人も多かろう。

 もとよりどの国にもいろんな人がいるわけで、ひとまとめにした論評は迷惑というか当たらない人も居るだろうが、平均というか代表的というかそうした特色も又真実と思われる。

 イタリア系のアメリカ人が胆石胆のう炎でMGHに入院し、手術の担当医の名前が・・・ー二と聞いて、大丈夫だろうかと青くなったのを見たことがある。自分の同胞を信用しないくらいだから、イタリア系の素晴らしさはお墨付きである。

 ギリシャに次いでイタリア経済のふらつきを聞いて、二千年以上百代目にもなれば売り家と唐様で書くのは自然の成り行きかと思ったりする。尤も、イタリアの方はローマの地下壕ではないが、裏経済は頑張っており、実力はあるという解説も聞く。

 いずれにしてもベルルスコーニなる人が未だに影響力を持つ国、座礁したら真っ先に逃げ出す船長の国、如何に素晴らしかろうと区別はしておきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お伽の経済国の魔女と美女

2013年03月07日 | 町医者診言

      

 BSでアベノミクスを巡り浜矩子、佐藤ゆかりそして榊原英資が侃々諤々の討論をしていた。いつも思うのだが、経済学?というか経済論評は何とでも言えるのだなと感心して聞いた。以前浜矩子氏の成熟社会経済観を成る程と聞いた記憶があるが今回は魔女の嘯きに聞こえた。利益の分配を変えることによって、社会の歪み?を是正することは言うは易く行うは難く、魔女のお伽話に聞こえる。浜さんを魔女と呼べば蛙にさせられてしまいそうであるが、アベノミクスをアホノミクスと呼ぶ毒舌だから、おあいこでしょう。佐藤ゆかりさんは外連味なく秘めた実力に以前から好感を持っていたが、今回は美女だったのに気付いた。どうもアベノミクス側は太田弘子さんといい、美女揃いだ。

 確かにアベノミクスは名前は耳新しくても内容は昔の手法の焼き直しではないかという批判は当たっているように聞こえるが、佐藤ゆかり氏の反論は現実をきちんと踏まえており、成熟社会で成長なんて無理という榊原さんの尤ものようで弱者切り捨て止む無し論よりも、当事者としての責任感を感じさせた。

 あんたは技術と能力が不足しているし運が悪かったから割り当てはほんの少し、あるいはそれでも今回は割増しで取り分の多い人から補填し十分差し上げましょうということでは、現実の社会は回らないだろう。アホと言われても、取りあえずアベノミクスより他に進む道がないのかもしれない。結果は支持とは又別なのが今のところの世の中でしょう。

 政治経済界ではストリーテラーであることが大きな力を引き寄せる絡繰りのように見える。お伽話を聞くとすれば、当然美女にお願いしたいのが偽らざるおじさんの心境である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする