駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

俄成金では使いこなせない

2015年02月13日 | 政治経済

           

 既に三寒四温の季節になっているようで、寒さが緩んだり厳しくなったりの行きつ戻りつを感じている。今朝は寒かったが、日差しは春で同じ寒さでもさほどこたえない。

  安陪首相は優れた役者だけでなく老練な権力の使い手でもあることが明らかになってきた。機をみるに敏、巧みな戦略で権力を行使してゆく。

 国民の多数がその存在価値に疑問を持ち始めていた農協の改革とその必要性を感じている農業改革を梃に、農協の力を削ぐ政策をあっという間に打ち出し実行した。これは一石三鳥の深謀遠慮の作戦と思われる。つまり、TPP実現の足枷を除いてしまおうという魂胆もあるのだ。

 大票田の農業従事者の票を失いかねない方向転換でも、突き放させば野党になびく体質ではないと見抜いている。優れた役者というだけでなく類い稀な権力の使い手でもあるようだ。

 俄成金に喩えては申し訳ないが、民主党が転けたのは慣れない権力を使いこなせなかったからだと思う。安陪首相が権力を臆することなく使いこなすのを見ていると、やはり付け焼き刃でない血筋のせいだろうかとも思えてくる。

 しかしまあ、名演も世界では必ずしも通用しないようだし、たかだか三代目では世界では並と見なされよう。それに、力に屈しない人達も居るし、反対する者を退ければ事が成るというものでもないと思う。振り回すと怪我をする。何が何でも自分の手でには賛成しかねる

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後先で勿論、違いがある

2015年02月12日 | 旨い物

               

 鶏が先か卵が先か、堂々巡りで難しい。実はどちらでもないというのが正解のような気がする。つまり突然、鶏がこの世界に現れたわけではないので、判定は難しいというか問い自体が無体ということになると思う。

 それはさておき、紅茶が先かミルクが先かには答えがありそうだ。好みもあるからどちらが正しいとはいえないかも知れないが、例えば私はミルクが先が正しいというか美味しいと思っている。どこかで読んだのだが、紅茶の本場イギリスで「そんなの同じさ」という数学者と「いいえ違います」という貴婦人が論争をして、目隠しテストをしたら全部当てたということだ。そこまではちょっと自信がないが私も八割は当てられると思っている。

 ただティーバッグだとミルクを後にした方が作りやすいのが難点だ。尤も、本当の紅茶好きはティーバッグなんか使わないと言われそうだ。

 世界的な傾向として紅茶よりもコーヒーの時代になっているが、これには味覚巧者としてはいささかの懸念がある。というのはケーキはコーヒーよりも紅茶と共に味わう方が美味しいからだ。そんなの関係ないと言われる方も居られるだろう。勿論、好みの問題だが、お安くないケーキは是非紅茶でと申し上げたい。

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歩きながら考えてみる

2015年02月11日 | 小考

           

 休日の朝から休むに似た考えを巡らしてみた。

 専門家でもないのに市井に生きる者として、何度もマスコミの報道の仕方に苦言を呈してきた。最近それは畢竟、マスコミ報道の片棒を担ぐ人々の問題でもあると思うようになった。マスコミは紛れもなく企業であり、収益を得て生き延びて行こうとする存在で、読み手の支持を必要としている。支持とまで言わなくても、読み心地の良いものであるように心掛けて、読んで貰おうとしている。そして広告主の意向も無視できない。

 読み心地の良い報道は、ともすれば分かり易い考えさせないものになってしまう。考えないと分からない内容が嫌われるために、単純ではない内容を勧善懲悪式に分かり易くした報道が溢れることになる。善悪の判断は一筋縄ではできないし、善悪に馴染まない問題も多い。それなのに、分かり易くするために、単純な構図にされてしまうことが多いと見ている。

 今話題のピケティの本がなぜ分厚い本なのかといえば、それは物事が一言で言えるほど簡単単純なものではないからだ。しかし、一端言葉を操る政治家の手に掛かれば、ピケティが21世紀の資本で何を論じていても、収益が上がらないと話にならないと一言で片付けられるてしまう。

 人間が分かりにくい物事を嫌い、自分の身に影響のない他者の落ち度を咎めるのを快感と感じ易いのは、根深い問題でおいそれと変えることはできない。しかしそれだけでは、多数多様な世界を生き延びていかれないのは紛れもない事実だと思う。

  僭越ではあるが報道の読み手には少し立ち止まって五分ほど考えて戴きたいと願う。例えば、ちょっと飛躍するが、国民のため国益のためと水戸黄門の印籠よろしく言われるが、国民て誰のこと、国益て誰の益と考えてみて欲しい。ひょっとして自分はその中に入っていないのではないだろうかと心配になるかもしれない。

 

 

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旅行鞄を買い換えた

2015年02月10日 | 

               

 二月もまだ十日、冬将軍が押し戻してきたようで昨日から冷え込んでおり風が冷たい。うっかり手袋を忘れ、ポケットに手を突っ込んで出勤してきた。

 サライを待合室に置いている、お相伴で四半世紀読んできた。パラパラとページをめくるだけの読者なのだが、時折り心に留まる記事があり、旅行先を決めたり買い物をしたりしてきた。半年ほど前、旅行鞄の紹介があり、そこそこ大きいが軽量で機内持ち込みもできるとあったので、市内の鞄専門店に実物を見に行った。ちょうど一つ置いてあり、値段も手ごろで確かに軽く、かなりの収納ができそうなので、家内と色違いを一つづつ注文した。早速、年末の旅行に持参したのだが、軽くてたくさん詰め込め重宝した。

 実はもう三十年使っている旅行鞄がありまだまだ使えるのだが、いかんせんローラーが付いておらず、帰りの重くなった時の持ち運びには少々苦労するようになっていた。国内旅行を入れれば百回、海外旅行にも二十回以上お供をしてくれた鞄で愛着はあるのだが、壊れるのを待っていたらこちらの寿命が尽きそうなので、選手交代とした。

 テレビ、パソコンそして自動車などとと違い、家具や鞄などの製品は良い物を選び、少し丁寧に使えば一生使える。それには飽きないという要素が重要と思う。使い込んで愛着が湧いてくる何ものかを備え、よく考えてあり便利というのが、本当に良い製品なのだろうと思う。そうした製品に出会うにはまめに見て回ることと目を肥やしておくことが欠かせないが、幸運も必要だろう。

  買い物上手の方はとっくにご存知だと思うが、実際に目にして触ってみて買うことだ、通販は便利なのだが会心の買い物は難しい。

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絵の不思議

2015年02月09日 | 趣味

  

 絵が完成に近づいた。完成に近づくと描いても表れる変化は僅かになり、もどかしい工程になってゆく。しかし微妙だが明らかな進化深化があり、それがなくなった時が完成なのだろう。こうして描いた上に重ねて描き込んでゆくのが楽しいから、私は油彩画に向いているのだろうと自分で勝手に思っている。

 先生のアドバイスは的確で、なるほどと思いながら手を入れて行くのだが、一体そのアドバイスはどこから生まれるものなのだろうと不思議な気がする。肝腎なのは審美眼なのだろうが、それだけではなく書き手の個性技術題材・・・を勘案しながらのものだろうと思う。

 元より、私の絵には読み解くほどの意味はなく、旅先で見た光景を写真とは違う形で表現しようとしたもので、写真とは違う感興が浮かべば良いと思っている。

 さて問題だが、手前左の黄色い草花はない方がいいだろうか?。先生は最初は何も言われなかったのだが、完成に近づいたら「なくてもいいね」とおっしゃる。果てどうしたものかと迷う。というのはあるとないとでは随分印象が違うからだ。

 絵には読み解く要素はあっても、特に風景画では全体としての印象が一番大切と思うので考え込んでいる。まあ、絵画なので考えるのではなくどう感じられるかの方が大きいかも知れない。

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