全国的に渓流シーズンがほぼ終わりました。
まだ釣れる所もあるのですが、禁漁期の本来の意味を考えると山に足が向かなくなります。
ですから、なんか空になってしまったような感じがしてます。
今年は初めてテンカラで通した年でした。釣れようが釣れまいがとにかくテンカラ。とシーズン始めから決めていました。(故)山本素石氏の書籍にも『テンカラが上手になりたければ餌釣りの道具は総て捨ててしまえ』みたいな事も書いてあったように記憶しまてますので、意地でも毛鉤にこだわっていました。
テンカラは以前に3年間ほどやったことがあります。その後は餌釣りをしていて釣れない時だけ遊び程度にやってたくらいです。
そんな僕が何故今頃になってテンカラなのか?・・・それは昨年お誘いを受けて『第三回 テンカラファンの集い』に参加させていただいた事からです。そもそも僕は、好きなときに好きなだけ好きなように釣るのが身上なので、人の釣りにはあまり興味を持ちません。ですから、あまりこういうイベントには行かないのですが、実は過去に前科があったのです。そのパンフレットが画像です。「テンカラ・サミット・イン・名古屋 '93」です。1993年(平成5年)1月24日に名古屋の税理士会ビルで開催されました。昔の本を探していたら出て来たそのときのパンフレットです。懐かしのレア物(ゲテ物?)です。なんでこんな集まりに行ったのかというと、兼ねてからいろいろお世話になっていた堀江溪愚氏のお誘いでしたから。新幹線に乗って一人でわざわざ名古屋まで。どういう顔して行ったのか?今となっては想像すらできません。でも、ステキなサミットでした。堀江氏の紹介でそれまで雑誌でしか見たことがない人たちと知り合いになれてとても嬉しかったのを覚えています。そして各巨匠の公演では天野勝利氏の『アワセは遅くもなく、早くもなく、丁度良いアワセが一番いい』と、瀬畑氏の『沢山のテンカラ有名人がお見えになっておりますが、その中で一番上手なのは僕です。なんてたって時期になれば毎日釣ってますから。』という言葉は、ほぼ20年を経過した今でも鮮烈な言葉として今でも忘れることが出来ません。
その後、フィッシングショーなどでそのときの講師たちと幾度か会話を交わした程度ですが、お誘いを受けて内容を見たら、なんと名古屋のサミットとほぼ同じメンバーじゃないですか!って事で参加を決めたわけです。
同じ講師とはいえ、もう20年前の事ですから忘れていると思いきや、なんとみんな覚えていてくれて・・・嬉しかったです。テンカラ人の巨匠たちはみんな記憶力に長けているようです。そしてその方々が再び今年奥多摩に集結します。
『第4回テンカラファンの集い』
(http://yoshidakebari.jugem.jp/?eid=936)
です。きっと今年も楽しい集まりになると思われます。
で、話を戻しましょう。何の本を探してたかというと『釣鉤図譜』という本です。全国の色々な釣り針を絵で図鑑のように書かれているだけの本です。誰がいつ何の目的で書いたのか?まったく判っていない書物です。別冊に明治22年頃に中村利吉という人が著したらしいと推定されているだけです。この本のどこかにその頃の毛鉤が掲載されていて『へぇぇぇ・・・こんな昔に毛鉤があるんだぁ。でもよく考えたらバケなんかもあるんだから当たり前か!』と思った記憶があるのです。記憶が正しければ、ここに掲載されている毛鉤はまさに伝承毛鉤です。
そう思って探したのですが、出て来なかったのでまた明日探してみます。火事の時に大半は灰になったとは言え、とにかく昔読んだ釣り関係の本が多過ぎで、こういうときは困ってしまいます。
でも、懐かしいパンフレットが出てきて、思えばこれが僕のテンカラのスタートだったんだなぁ・・・と感慨にふけっておりました。
まだ釣れる所もあるのですが、禁漁期の本来の意味を考えると山に足が向かなくなります。
ですから、なんか空になってしまったような感じがしてます。
今年は初めてテンカラで通した年でした。釣れようが釣れまいがとにかくテンカラ。とシーズン始めから決めていました。(故)山本素石氏の書籍にも『テンカラが上手になりたければ餌釣りの道具は総て捨ててしまえ』みたいな事も書いてあったように記憶しまてますので、意地でも毛鉤にこだわっていました。
テンカラは以前に3年間ほどやったことがあります。その後は餌釣りをしていて釣れない時だけ遊び程度にやってたくらいです。
そんな僕が何故今頃になってテンカラなのか?・・・それは昨年お誘いを受けて『第三回 テンカラファンの集い』に参加させていただいた事からです。そもそも僕は、好きなときに好きなだけ好きなように釣るのが身上なので、人の釣りにはあまり興味を持ちません。ですから、あまりこういうイベントには行かないのですが、実は過去に前科があったのです。そのパンフレットが画像です。「テンカラ・サミット・イン・名古屋 '93」です。1993年(平成5年)1月24日に名古屋の税理士会ビルで開催されました。昔の本を探していたら出て来たそのときのパンフレットです。懐かしのレア物(ゲテ物?)です。なんでこんな集まりに行ったのかというと、兼ねてからいろいろお世話になっていた堀江溪愚氏のお誘いでしたから。新幹線に乗って一人でわざわざ名古屋まで。どういう顔して行ったのか?今となっては想像すらできません。でも、ステキなサミットでした。堀江氏の紹介でそれまで雑誌でしか見たことがない人たちと知り合いになれてとても嬉しかったのを覚えています。そして各巨匠の公演では天野勝利氏の『アワセは遅くもなく、早くもなく、丁度良いアワセが一番いい』と、瀬畑氏の『沢山のテンカラ有名人がお見えになっておりますが、その中で一番上手なのは僕です。なんてたって時期になれば毎日釣ってますから。』という言葉は、ほぼ20年を経過した今でも鮮烈な言葉として今でも忘れることが出来ません。
その後、フィッシングショーなどでそのときの講師たちと幾度か会話を交わした程度ですが、お誘いを受けて内容を見たら、なんと名古屋のサミットとほぼ同じメンバーじゃないですか!って事で参加を決めたわけです。
同じ講師とはいえ、もう20年前の事ですから忘れていると思いきや、なんとみんな覚えていてくれて・・・嬉しかったです。テンカラ人の巨匠たちはみんな記憶力に長けているようです。そしてその方々が再び今年奥多摩に集結します。
『第4回テンカラファンの集い』
(http://yoshidakebari.jugem.jp/?eid=936)
です。きっと今年も楽しい集まりになると思われます。
で、話を戻しましょう。何の本を探してたかというと『釣鉤図譜』という本です。全国の色々な釣り針を絵で図鑑のように書かれているだけの本です。誰がいつ何の目的で書いたのか?まったく判っていない書物です。別冊に明治22年頃に中村利吉という人が著したらしいと推定されているだけです。この本のどこかにその頃の毛鉤が掲載されていて『へぇぇぇ・・・こんな昔に毛鉤があるんだぁ。でもよく考えたらバケなんかもあるんだから当たり前か!』と思った記憶があるのです。記憶が正しければ、ここに掲載されている毛鉤はまさに伝承毛鉤です。
そう思って探したのですが、出て来なかったのでまた明日探してみます。火事の時に大半は灰になったとは言え、とにかく昔読んだ釣り関係の本が多過ぎで、こういうときは困ってしまいます。
でも、懐かしいパンフレットが出てきて、思えばこれが僕のテンカラのスタートだったんだなぁ・・・と感慨にふけっておりました。