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【韓国】また旅客機炎上「棚からパチパチと…」全員脱出

2025年01月30日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

 

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北朝鮮軍、重いからと防弾チョッキも脱いで突撃…捕まると手榴弾で自爆

2025年01月29日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

ロシアのクルスクに配置され、ドローンを眺める北朝鮮兵士 

ロシアのクルスク戦線に配備された北朝鮮軍が「神風」(自殺特攻隊)を連想させる無謀な肉弾突撃でウクライナの先端兵器に対抗していると、米CNN放送が28日(現地時間)、報じた。

CNNはウクライナ特殊作戦軍から入手した映像や関係者とのインタビュー内容などを紹介し、北朝鮮軍が戦場で見せる姿を「自殺衝動と1980年代式戦術」と特徴づけた。

CNNが入手した映像には、ウクライナ軍が戦闘後に倒れた北朝鮮兵士に近づき、生存を確認するために足を引っ張ると、その兵士が大声を上げながら自分の頭の近くで手榴弾を爆発させる場面が出てくる。

ある特殊作戦軍の指揮官は「彼らは手榴弾を利用して自分自身を吹き飛ばすことができる」とし「降伏を要求するいかなる試みにもかかわらず、彼らは戦闘を続ける」と伝えた。一部の北朝鮮の兵士は、重い防弾チョッキの保護板と防弾ヘルメットを脱ぎ捨て、軽くなった体でウクライナ軍の陣地を素早く攻撃するという。

ただ、この中佐は、北朝鮮軍が現代式ドローン戦闘などウクライナの戦場現実には備えていないと指摘した。また、「皆、若くてよく訓練された強い戦士たちだが、精々1980年代の戦争の現実に準備された水準」と述べた。

 

 

 

 

 

 

 

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韓国・釜山の空港でエアプサン機から出火 乗客乗員176人は全員緊急脱出

2025年01月29日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

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新大久保駅事故から21年 現場で追悼行事

2022年01月27日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

2022/1/26 21:33 産経ニュース
参照記事
https://www.sankei.com/article/20220126-SUMAVJJ64JKCDKJL52UWWZKPRY/

新大久保駅転落事故から21年となり、JR新大久保駅のホームで関係者らは黙禱をささげた=26日午後5時40分ごろ


東京都新宿区のJR新大久保駅で平成13年1月26日、カメラマンの関根史郎さん=当時(47)=と韓国人留学生、李秀賢(イ・スヒョン)さん=同(26)=がホームに転落した男性を救出しようとして電車にはねられ死亡した事故から21年を迎え、追悼行事が26日、新大久保駅などで開かれた。

韓国・釜山在住の李さんの両親は毎年、訪日して新大久保駅で献花を行ってきた。李さんの父、盛大(ソンデ)さんが3年前に亡くなり、母の辛潤賛(シン・ユンチャン)さんは昨年に引き続き、新型コロナウイルス禍で来日できなかった。

この日は、在日韓国大使館の大使ら4人がホームに立ち、黙禱(もくとう)をささげた。その後の追悼式では辛さんが「日韓両国の友好を切実に望んでいた息子の遺志を受け継いでいくことに賛同してくださる皆さまに心より感謝申し上げます」とビデオメッセージを寄せた。

事故後、両親は寄せられた弔慰金を基に「LSHアジア奨学会」を設立。昨年、支援する奨学生は1059人となった。

(韓国 釜山 李秀賢さんのお墓参り)

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新大久保駅転落事故20年 韓国人留学生奨学金 受給者1000人超え

2021年11月19日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

 

2021年11月19日 0時13分 NHKJP

参照記事

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211119/k10013353571000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002

 

 

20年前、JR山手線の新大久保駅で、ホームから転落した人を助けようとして電車にはねられて亡くなった韓国人留学生の両親らが設立した基金を通じて、これまでに奨学金を授与された留学生の数が、18日で1000人を超えました。

 

 

20年前の平成13年1月、JR山手線の新大久保駅で、韓国人の留学生、イ・スヒョン(李秀賢)さんが(当時26)ホームから転落した人を助けようと日本人の男性とともに線路に降り、入ってきた電車にはねられて3人とも亡くなりました。

 

イさんが生前、日韓両国の懸け橋になりたいと話していたことから、両親らが見舞い金などをもとに基金を設立し、毎年およそ50人の留学生に奨学金を授与してきましたが、その数が18日で19の国と地域合わせて1059人となり、1000人を超えました。

 

母親のシン・ユンチャン(辛潤賛)さん

 

東京・千代田区で行われた授与式には、今月から新型コロナウイルスの水際対策が緩和されたことを受けて来日した母親のシン・ユンチャン(辛潤賛)さんが出席し「大きな夢のため祖国を離れてきた皆さんが、頑張って必ず夢をかなえることを願っています」とエールを送りました。

 

奨学金を受け取った韓国人留学生の男性は「イさんと同じように私も日本との懸け橋になりたいと思っています」と話していました。

 

2011年01月27日「日本はあなたを忘れません」…故李秀賢さん10周忌

 

2012年03月12日韓国 釜山 李秀賢さんのお墓参り

 

 

 

 

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JR新大久保駅転落事故から20年 駅で関係者が黙とうささげる

2021年01月26日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮


(2021年1月26日 18時02分 NHK)

 



JR山手線の新大久保駅で、ホームから転落した人を助けようとした韓国人の留学生と日本人の男性が、電車にはねられ死亡した事故から、26日で20年となり、駅で関係者が黙とうをささげました。

平成13年1月26日、JR山手線の新大久保駅で、韓国人の留学生、イ・スヒョン(李秀賢)さん(当時26)とカメラマンの関根史郎さん(当時47)が、ホームから転落した男性を助けようと線路に降り、入ってきた電車にはねられ、3人とも亡くなりました。

事故から20年となった26日、当時、イさんが通っていた日本語学校の理事長ら5人が新大久保駅を訪れ、事故を伝えるプレートの前に花をたむけたあと、現場となったホームで黙とうをささげました。

母親のシン・ユンチャン(辛潤賛)さんは毎年欠かさず、命日に駅を訪れていますが、ことしは新型コロナウイルスの影響から訪問を見送りました。

このあと開かれた追悼式でシンさんのビデオメッセージが流れ、「息子を亡くしてすでに20年がたちました。その間、変わらずに温かい愛情を注いで下さる皆様のおかげで悲しみを乗り越えることができました」と述べていました。

両親は、イさんが日本と韓国の懸け橋になりたいと留学していたことから、見舞い金などをもとに基金を設立し、これまでに18の国と地域から来日した998人の留学生に奨学金を渡していて、イさんの志が次の世代に引き継がれています。

 

2011年01月27日「日本はあなたを忘れません」…故李秀賢さん10周忌

 

2021年1月26日JR新大久保駅転落事故から20年 駅で関係者が黙とうささげる



釜山に李秀賢さんの墓参り

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韓国首相 JR新大久保駅で亡くなった韓国人留学生らを追悼

2019年10月23日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

 

イ・ナギョン(李洛淵)首相





イ・スヒョン(李秀賢)さん



「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」に参列するため、22日から日本を訪問している、韓国のイ・ナギョン(李洛淵)首相は、JR山手線の新大久保駅を訪れ、平成13年に線路に転落した男性を助けようとして亡くなった韓国人留学生らを追悼しました。


韓国のイ・ナギョン首相は22日午前、羽田空港に到着し、天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」に参列しました。

その後、平成13年1月に線路に転落した男性を助けようとして亡くなった韓国人留学生、イ・スヒョン(李秀賢)さん(当時26)と、カメラマンの関根史郎さん(当時47)を追悼するため、JR山手線の新大久保駅を訪れました。

イ首相は駅の構内にある2人の慰霊のためのプレートに花束を手向け、手を合わせました。

イ首相は「人間の愛は国境を越えることを、2人の偉人が実践しました。そのような献身の思いを追悼するため、ここに来ました」と述べました。


日韓関係について

イ首相は、悪化している日韓関係について、「50年にもならない不幸な歴史のせいで、1500年続いた友好の歴史が損なわれるのは愚かなことだ」と述べ、両国関係の改善が必要だという考えを示しました。

イ首相は24日までの日本滞在中に安倍総理大臣と会談する見通しで、現状の打開を図りたいとするムン・ジェイン(文在寅)大統領のメッセージを伝えることにしています。

(NHK)

イ・スヒョン(李秀賢)さんの墓参り 2012年03月12日 釜山

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新大久保駅で亡くなった李さんの両親の映画上映

2019年05月24日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

 



’13年、両親が埼玉県の小学校で公開授業に参加した際の写真
(左から二人目のご主人と三人目奥様)





映画『かけはし』
李盛大(イ・ソンデ)さん、辛潤賛( シン・ユンチャン)さん





故 李秀賢さん



東京都新宿区のJR新大久保駅で18年前、線路に落ちた人を助けようとして電車にはねられて亡くなった韓国人留学生李秀賢(イスヒョン)さん(当時26)。その遺志を継ぎ、日韓の交流に尽力する両親の活動を記録した映画「かけはし」の上映会が26日、八王子市で開かれる。

 李さんは「日韓のかけ橋になりたい」と2000年に来日し、日本語学校で学んでいた。事故に遭ったのは翌年1月だった。今年3月に80歳で亡くなった父の李盛大(イソンデ)さん、母の辛潤賛(シンユンチャン)さん(68)は毎年のように命日に来日し、現場を訪ねて息子の死を悼んだ。両親は寄せられた見舞金を日本語学校で学ぶアジアの留学生のために寄付し、エルエスエイチアジア奨学会が奨学金を支給している。

 映画の製作会社「ミューズの里」(町田市)は、両親をはじめ、関係者のインタビューや奨学会の留学生支援活動、両国の若者たちの交流などを記録し、17年に95分のドキュメンタリーにまとめた。統括プロデューサーの中村里美さん(55)は「盛大さんの急逝はいまだに信じられないが、映画を通して、秀賢さんの志を忘れなかった両親の気持ちを知ってほしい」と話す。今年、全国での上映を目指し、来月25日には初めて韓国で上映する。

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新大久保駅で18年前息子を失った母の信念「韓国人は日本が好き」

2015年05月23日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

 

釜山市内にある故李秀賢さんと故李盛大さんのお墓の前に立つ辛潤賛さん







韓国人留学生、故 李秀賢さん




18年前、東京のJR新大久保駅で線路に落ちた人を助けようとして亡くなった韓国人留学生の母、辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(69)。息子の遺志を継ぎ、日韓の架け橋になってきた。二人三脚で歩いてきた夫を3月に亡くし、24日に東京で開かれるしのぶ会に出席する。

 日本を毎年訪れるようになって18年になる。きっかけは、東京のJR新大久保駅で2001年、線路に落ちた人を助けようとして電車にはねられた長男、李秀賢(イスヒョン)さん(当時26)の死だった。

 「天が崩れ落ちたような気持ちでした」。前を向けたのは、息子の留学仲間から言われた言葉だ。「お母さんが悲しむことを、秀賢は望まない」。日本から届いた1800通の激励や感謝の手紙の内容を理解するため、韓国の文化センターで日本語を習い始めた。

 事故後に寄せられた弔慰金は、日本で学ぶアジア出身の留学生を支えるのに使われ、これまで800人超に奨学金が送られている。自身も、訪韓する日本の学生と交流を続け、日本で相互理解の大切さを講演したこともある。

 専業主婦で、日本に強い関心があったわけではない。それでも、活動を通じて得た信念は「大多数の韓国人は日本が大好きなんです」。

 


韓国 釜山 梵魚寺 ポモサ 李秀賢(イ・スヒョン)さんのお墓参り
 

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2011年01月27日「日本はあなたを忘れません」…故李秀賢さん10周忌

2011年01月27日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮

李秀賢さん10周忌、東京と釜山で追悼行事(1月27日) 

 

≪日本ではことしが最後に≫

 

 

 

2001年1月に東京・JR新大久保駅でホームから転落した人を救おうとして命を落とした韓国人留学生、李秀賢(イ・スヒョン)さん(当時26歳)をしのぶ追悼行事が26日、韓日両国で開かれた。

 

 同日午後4時から「故李秀賢君を偲(しの)ぶ会」が東京都内で開かれ、李さんの両親をはじめ約300人が出席した。

 

 李さんの父・盛大(ソンデ)さんは、李さんについて「子どものころから正義感が強く、困っている人を助けずにはいられない性格だった。息子の死が無駄ではなかったと信じている」とし、韓日の多くの方々がいまだに息子を忘れずにいてくださり感謝していると話した。

 

 また、権哲賢(クォン・チョルヒョン)駐日大使が「貴い命を救おうとした故人の勇気の前で国境は問題にならなかった。韓日の懸け橋になりたいと故人が抱いていた志を思い、両国の友好協力関係をさらに発展させるため努力する」との李明博(イ・ミョンバク)大統領の追悼の辞を代読した。

 

 しのぶ会はこれまで毎年1月に李さんの母校・釜山莱城高校や日本で開催されてきたが、日本での公式行事はことしで最後となる。奨学生らとの交流会は、今後も毎年10月の奨学金授与式を通じ続ける計画だという。

 

 一方、同日午前には李さんの母校の釜山・菜城高校でも10周忌追悼式が行われた。式には遺族や母校の生徒、市民団体関係者ら30人余りが参列した。

 

 式を主管した「義人李秀賢の精神宣揚会」の関係者は、「最も恐れていることは、李さんを少しずつ忘れていくことだ。そうならないようにするのがわれわれの責務。李さんは一時関心を引いた人ではなく、不死身になるべきだ」と強調した。

 

 故人の義弟、シン・ギヨンさんは、「皆さんの関心が遺族には大きな喜び」だとし、李さんの犠牲が100年後にも伝わり、その犠牲精神が受け継がれてほしいと話した。

 

(2011年1月27日、聯合ニュース)

 

 

★ 事件当時、体の中を強い衝撃が走りました。

若い頃から韓国を何十回となく訪れていていかに韓国の人が日本人を嫌っていたか良く知っていたからです。

 

国内旅行のようにチケットだけ買ってソウルに飛んで地下鉄を適当に降りて近くのビジネスホテルに飛び込みでチェックイン。

 

夜、ホテルの近所の飲み屋にぶらっと入ると「日本人が入ってきた!」と一斉に店を出てしまいます。

街で道を尋ねると誰もが無視して通り過ぎていく。

観光客の人とは違い街をストレートに楽しもうと行った韓国は厳しかった。

 

その韓国人が日本人を救おうとして命を投げ出した!! 何故??

しばらく、何が起きたのか理解できませんでした。

 

 

韓国ではそれまでも地下鉄などで落下した人を身を挺して助け出す動画を見て良くあるニュースだと知っていました。

しかしそれを日本で行う人が出るとは思ってもいませんでした。

 

 

それまで日本ではこのような行為は行われていなかったように思います。

人のために命を懸けて助けた!!

この後、続けて同じような事件が起きました。

日本人でも人のために命をかける人が出てきました。

 

日本と韓国の関係も変わってきたように感じました。

 

タイトルの

日本はあなたを忘れません

 

他の日本人がいつか忘れることがあっても私は一生心の中に刻み込んで生きていきます!!

 

 

2021年1月26日JR新大久保駅転落事故から20年 駅で関係者が黙とうささげる

 

2012年03月12日韓国 釜山 李秀賢さんのお墓参り

 

 

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韓国人留学生が、東京の地下鉄で日本人を救出

2010年11月12日 | 朝鮮半島/韓国・北朝鮮
韓国人留学生が、東京の地下鉄で日本人を救出「日本中が感動」―韓国 







 東京の地下鉄千代田線・根津駅の構内で10月22日午後9時30分ごろ、酒に酔った60代の男性が、誤って線路に転落した。その際、すぐさま非常ベルを押し、線路に降りて救助を行った後、名乗らずに立ち去った若い男性が、東京大学博士課程に留学中の韓国人、イ・ジュンさん(32)だったことが明らかになった。

 救助から3日後の25日、再び根津駅を利用したイさんは、構内に張られた今回の転落事故のビラを見たが、来日から3週間ほどしかたっておらず、日本語で書かれた詳細が分からなかった。しかし、そのビラは構内に多数貼られており、線路に落ちた人を救った時刻などが書かれていた部分は読み取れた。気になったイさんは、携帯電話のカメラでビラを撮影し、大学で友人に尋ねたところ、警察や地下鉄がイさんを探しているという事実を知ることになったという。

 韓国のメディアも、この救助活動について相次いで報じている。イさんは、今回の事故に対し、「道で転んだ子どもがいたら、誰でも起こしてあげるだろう。そのようにごく当然のことをしただけ」と語っている。

 2001年1月、東京・山手線の新大久保駅で韓国人留学生の李秀賢(イ・スヒョン)さんと日本人でカメラマンの関根史郎さんが、ホームから転落した男性を救助するため線路に飛び降りたところ、進入した列車にはねられ、3人とも死亡するという痛ましい事故があった。

 韓国メディアは9年前に日本で発生した事故を連想させる出来事がまた起こったが、今回は幸いにも救助者や救助された人など全員が無事だった。この美談に日本中が感動に包まれたと伝えている。

 イさんは、偶然にも大学で交通工学を専攻しており、日本政府招請の国費留学生として選抜された優秀な学生だという。東京の地下鉄と消防署から、来週にも感謝状を受ける予定。



★ 毎日、山手線の新大久保駅を通勤で通過しています。
   李秀賢(イ・スヒョン)さんが酔った男性を救おうと日本人のカメラマンとともに亡くなった事件は記憶のかなたに遠のいてしまったでしょうか?


  私は当時、電車が新大久保の駅を通過するたびに合掌していました。
李秀賢(イ・スヒョン)さんに対しては日本人として一生の借りを負った気分です。
いつか、絶対、彼のお墓参りをするまで心の引っかかりは消えないことでしょう。
同じ事件が起きてしまいましたが当事者すべてが無事だったのがうれしい事実です。


念願かなってお墓参りに行ってまいりました。

韓国 釜山 梵魚寺 ポモサ
李秀賢(イ・スヒョン)さんの墓参り 




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