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【京都 国宝】西本願寺 唐門 

2022年05月24日 | 京都 西本願寺
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西本願寺と東本願寺がある驚きの理由

2022年05月24日 | 京都 西本願寺
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韓国 釜山金井区 李秀賢さんのお墓参り

2022年05月14日 | ソウル フード
韓国 釜山金井区 범어사  李秀賢さんのお墓参り   

 

(2012年03月12日 の記事を再編集)

 

住所:釜山市金井区青龍洞546番地

住所(韓国語):부산광역시 금정구 청룡동 546번지

交通:地下鉄1号線梵魚寺(ポモサ・BEOMEOSA)駅下車、墓地までタクシーで2500ウォン(250円ほど、急な坂道なので是非、車で!!)

 

皆さんは覚えていますか??

10年前JR新大久保駅で線路に落ちた日本人を助けようと飛び降り

命を落とした韓国人がいたことを。

もう一人日本人のカメラマンと共に当時、大きな問題となりました。

カメラマン関根史郎さん李秀賢イスヒョンさん。

 

当時、日本と韓国の間には大きなミゾがあり両国の間には修復できないくらいの問題がたくさんありました。

 

(駐釜山日本大使館HPより)

 

毎日使っていた地下鉄1号線 を使って向かいました。

梵魚寺駅は釜山の中心地から北にあり終点のひとつ手前です。

 

駅に近づくと山並みが見えてきました。

いよいよなんだという想いが強くなってきました。

地下鉄1号線梵魚寺(ポモサ・BEOMEOSA)駅

 

改札には他の駅と違いこんな飾りが。

 

二番出口を地上に出ると目の前には警察署があります。

その先には山に向かう道があります。

(横断歩道を右方向へ進みます)

墓所に続く道路。

平らに見えますがこの地点からすでに勾配が強くなっています。

是非、タクシーを使ってください。

 

歩き始めるとすぐこんな花屋さんが何軒も。

冬にもかかわらずなぜかこんなにも鮮やかな色彩です。

 

市内で花屋が見つからずいいタイミングで発見できたと喜んだものの

近づいて見ると。。。。。結局買いませんでした。

 

 

広大な公園のような墓所が広がっています。

全部のお墓に花が供えてあります。

不自然なほど色鮮やか!!

 

そう、全部、造花なのです。

先ほどの花屋さんの店頭にあった花は全部造花でした。

この右手に有名な禅寺、梵魚寺があります。

今回は素通りさせてもらいます。

 

 

 

 

 

道路が左方向に曲がっていくと急に広い道になりました。

車が何台も駐車しています。

 

お墓の場所がわかるのか?不安になったその時、小さな案内板が目に入ってきました。

 

 

階段降りるとお墓があり記念碑が立っていました。

 

韓国語、日本語、英語、中国語で書かれています。

(碑文全文)

 

 

 

左が李秀賢さん、右が父親の李盛大さん

 

あの時のショックは未だに強烈に残っています。

 

他の日本人より韓国事情がわかっていただけに・・・

 

何で韓国人が日本人のために命をかけてまで救おうとしたのか??

 

当時、まだまだ反日の韓国。

小学校でも日本の侵略についての教育が徹底的に行われていました。

それも秀吉の時代から明治の時代のことまで事細かく教えていた時代です。

 

 

当時、韓国の人の受け止め方もなんで日本人のために命を懸けた??

と、いうのが大筋の捉え方でした。

 

彼のおじいさんも日本のために辛い過去がありました。

ご両親も

 

何のために日本に行ったんだ!! と。

死ぬために留学させたのではない!!

 

私も韓国人なら当然の想いだと理解していました。

 

その後、何故彼がこんな行動をとったのか知るにつれ日本人とは違う韓国人の思いが伝わってきました。

 

韓国の動画サイトでは日常的に線路に落ちた人を助けに飛び込む人の姿が投稿されていました。

 

韓国では地下鉄が東京並みに発達しており酒豪ぞろいの韓国では酔っ払いがよく線路に落下することもよくあることでした。

 

命を懸けてその人を救出することは当たり前のことでした。

 

当時、

日本では命を落とす危険をおかしてまで人を助ける。。。

 

そんなこと、ありえませんでした!!

 

この後、日本でも危険を顧みず同じような行動をとる人が続出しました。

 

あなたが日本に来て嫌がらせを受けたり嫌なことも多かったようですね。

それでも尚、日本のため、日本と韓国の友好のために役に立つ人間になりたい・・・

と思ったのは何故ですか??

 

今でも韓国と日本のために一生懸命なのでしょうね!!

きっと昨年の震災の際もどこかで力を貸してくれていたのでしょうね。

 

日本は決してあなたを忘れません、このあと100年たとうが忘れることはありません。








 

 

 

 

 

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