住所:京都市上京区京都御苑
交通:地下鉄烏丸線「丸太町駅」1番出口/京阪電車鴨東線「丸太町駅」 (市内各所からの市バスも便利・烏丸丸太町下車)
*地下鉄から出て丸太町通りを行くと門の無い「間ノ町口」を入り右手が 捨翠亭
昨年初めて行き趣のある庭園にすっかりはまってしまいました。
九條家はこの地に広大な敷地を持っていましたが明治の初めに取り壊され現在の
捨翠亭を含む庭園だけが残されました。
訪れたこの日は金曜日、入り口付近に参観を知らせる張り紙が出ています、一般公開をしているのを全く知らず偶然、通りかかりました。いいタイミングでした。
九條邸跡
九條家は、五摂家(ごせっけ)の1つで、平安後期以降多くの人が朝廷の重要職である摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)につきましたその娘の多くも天皇妃となり、大正天皇の皇后節子(さだこ)もその1人です。
江戸末期、米総領事ハリスの通商条約締結要請(つうしょうじょうやくていけつようせい)に対し、徳川幕府は了解する考えでしたが、朝廷側の孝明(こうめい)天皇は反対でした。折りしも京都市内では、幕府と朝廷との様々な交渉が行われ、時の関白九條尚忠(ひさただ)の邸もその舞台の1つとなりました。
広大だった屋敷も、今では池の畔の茶室と拾翠亭(しゅうすいてい)と、九條邸の鎮守(ちんじゅ)だった厳島(いつくしま)神社が中島に残るばかりです。
名称:捨翠亭しゅうすいてい
参観:3月1日~12月27日までの毎週金曜日土曜日
「葵祭り」「時代祭り」(春秋の御所の一般公開日)
時間:9:30~15:30
料金:100円(高校生以上)
受付は右手入口を入ってすぐ
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池の中央に架かる橋は明治15年に竣工した「高倉橋」
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九條池の東側
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高倉橋より捨翠亭を望む
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厳島神社
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橋を渡り厳島神社に入りました。
祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、祗園女御(ぎおんにょご)。
安芸の厳島神社の分社として、平清盛が母祇園女御のために今の神戸市兵庫区築島に勧請したものが、その後、京都の九條家邸内に遷座したという由来書が掲げられています。
厳島神社の石鳥居は、唐破風鳥居として知られており、蚕の社(かいこのやしろ)の三柱鳥居、北野天満宮の伴氏社(ともうじしゃ)鳥居とともに京都三鳥居のひとつ。
元々は九條家の鎮守社であったものが今は別管理になっている。
*尚、「捨翠亭」のすぐ近くにある「閑院宮邸跡」 も一般公開されています。
(収納展示室)
休館日: 月曜日・年末年始(12月29日~1月3日)
参観時間: 午前9時~午後4時半 ※受付は午後4時まで
入場料: 無料(ご予約の必要はありません)
(庭園)
参観時間: 午前9時~午後4時半
入場料: 無料(ご予約の必要はありません)
【交通】
京都市営地下鉄東西線 蹴上駅から徒歩約7分
京都市営バス 神宮道バス停から徒歩約10分(西行き[三条京阪,京都駅方面行き]からは徒歩約15分)
京都市営バス 京都会館美術館前バス停(平安神宮大鳥居下)から徒歩約9分
岡崎の疎水沿いにひっそりと・・・・と言いたいのですが広大な敷地に開放的な空間の広がる由緒正しい庭園があります。
学生時代一回だけ訪れた事があります。
当時は疎水までもが中性洗剤のせいで泡だらけ、こちらの池にも泡が大量に流れ込んでいて庭園全体が薄汚れた景観になっていました。その時の印象が続いていてその後、訪れることもありませんでした。
今回、近くまで来たのでその後を見たいと訪れました。
延々と続くこの溢れ出るような木々、冬とはいえ緑の濃い庭。
長い塀を右に入ると入り口があります。
その隣に料亭「吉兆」があります。
入り口への塀、手前半分が黒くなっています、なんでしょう??
焼け焦げのような板塀・・・??
只今、TV「ビフォーアフター」を見ているとこれを作っている場面がありました。
瀬戸内海地方では(防火、防虫、耐火)目的で外壁に使う習慣があるとの事です。
杉板3枚を三角形に組み真ん中から炎を通し、すぐ消火。その後、そりをなくします。
見た目もシックで美しい景色になっています。
(明治・大正の元老 山県有朋の別荘)
無鄰菴は,明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて明治・大正の元老である山県有朋(やまがた ありとも)が京都に造営した別荘です。その名は,有朋が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたといいます。
その後,有朋は京都の木屋町二条に別荘を構え,無鄰菴と号しましたが,さらに新しい地に好みの別荘を作りたいと考え,明治27年(1894),現在の地で無鄰菴の造営にとりかかりました。工事は日清戦争の勃発により一時中断しましたが,翌年2月から本格的な工事を再開し,明治29年(1896)に完成しました。
有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し,多忙な公的生活の合間にも夫人を伴ってしばしば訪れましたが,その後大正11年(1922)に83歳でこの世を去っています。
【庭園】
敷地の大半を占める庭園(面積約3,135平方メートル)は,有朋自らの設計・監督により,造園家・小川治兵衛(おがわ じへえ)が作庭したもので,ゆるやかな傾斜地に,東山を借景とし,疏水の水をとり入れ,三段の滝,池,芝生を配した池泉廻遊式庭園です。
蔵のような洋館には様々な資料が展示してあります。
説明書きには・・・・・
洋館は明治31年の建立です。2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋があり,ここで明治36年(1903)4月21日,元老・山県有朋,政友会総裁・伊藤博文,総理大臣・桂太郎,外務大臣・小村寿太郎の4人によって,日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれています。
今日でも,この部屋には花鳥文様の格天井,椅子,テーブルなどの家具が残り,当時の趣を伝えています。
なお,1階は展示室になっており,無鄰菴についての説明,山県有朋についての説明や愛用品,小川治兵衛についての説明や彼により作庭された主な庭園についての説明展示を行っております。
今回の京都行きの目的はいくつかありますがその中に白川一本橋 を訪れる事が入っています。
雑誌やブログで良く聞くのですが場所は私が桜の季節に必ず立ち寄っているはずなのに記憶に無いのです。
京阪「伏見稲荷駅」から「三条駅」で降り三条通りを歩いて白川へ。ここから下る事に。
「伏見稲荷」で雪が降り始めましたが降ったりやんだりとハッキリしない天気になりました。
しかし写真からは晴れているように見えますがほぼ降っている状態です。
しかし京都の皆さん、傘をさしません、
雪の状態がさらっとしているからでしょうか。
私も傘はさしませんでした。
三条通りからすぐ見えてきた橋、これか?
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橋のそばにあると言う銘盤 が見当たりません、この橋ではないようです。
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同じような橋が見えてきました。(対面より撮影)
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まさにこの橋でした。・・・・・・ こちら
変哲の無い普通の橋に見えます。
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気が付かない訳が判明!!
いつも反対側を歩いていました!!!
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銘盤には次のように書かれています。
一本橋(行者橋)は、 比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が
粟田口の元三大師に報告した後、 京の町に入るときに最初に渡る橋で、
行者橋、阿闍梨橋 とも言われる。
江戸時代には、この橋を粟田祭の剣鉾が差して渡る「曲渡り(曲差し)」が有名だった。
★ 阿闍梨 千日回峰行
生活の中の普通の橋のようで皆さん、普通に歩いて渡っています。
当然か!
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