「御石さん(おせきさん)」と呼ばれるこの石は拝むと縁に恵まれ、幸せが訪れると言われていますけれど
逆に、石に触れてしまうと祟りがあるんです!
平安遷都の際に御所の鬼門に鬼門封じの「猿が辻」が造られました。
北東から鬼がやってこないように角を凹ませて鬼門に強い猿を祀っています。
京都御所の「猿が辻」、この幸神社の「猿像」、比叡山の麓「赤山禅院の屋根の上の猿」、比叡山延暦寺(日吉大社)の「神猿(まさる)」と、京都は鬼門ライン上に読ん重のお猿さんで守られて来ました。
厄除けや降りかかる悪に対する最強の力をもらえる神社なのです。
河原町今出川から一つ西の信号の寺町通を北に「危除縁結 幸神社」の石碑が建っています。
そこから細い道を西に歩くと北側に幸神社の石の鳥居があります。
今は小さくなってしまった神社ではありますが歴史は古く、創建は平安遷都に遡り、都の東北の鬼門を護る為に置かれた守護神で広大な神域を構えていたようです。
この辺りに居をかまえていた出雲氏の氏神であったとも言われています。主祭神の猿田彦神は交通安全の神として崇められてきました。
現在は縁結び、鬼門除けの神社として信仰を集めています。
本殿の東側に置かれている猿の神像は格子越しに見ることができます。猿は烏帽子を被り鬼門の東北を睨みつけ、祓いの忌串(いみぐし)を肩にかかげています。
この木彫りの猿は左甚五郎の作とも言われていますが定かではありません。
京都御所の猿ケ辻の猿、この幸神社、赤山禅院の屋根の上の猿、比叡山延暦寺の麓の日吉大社の猿とほぼ一直線に都の中心から東北の鬼門ラインがつながっています。
境内の東北隅には「おせきさん」と呼ばれる神石(陽石)が置かれています。
拝むと縁結びの御利益がいただけるようですが、触れると祟り(たたり)があるともいわれています。
神社の名前を“さいのかみのやしろ”と読むことに、何か意味があるような気がしませんか? 実は、その語源をたどると、“さいのかみ”は「幸の神」ではなく、「塞の神(さいのかみ)」だということなのです。
「塞の神」とは道祖神のことで、疫病や災害などをもたらす悪霊が侵入してくるのを防いでくれる守護神です。
幸神社がある位置は、平安時代の地理に当てはめると、平安京の北東の角になり、この位置はいわゆる京の鬼門の位置になるのです。つまり、幸神社は平安遷都以降、1200年もの間、この地で京の町の鬼門封じという大役を担ってきた神社だったのです。