1971年(昭和46年)の4月、私は高校に入学しました。
当時の青山高校は、何ヶ月も授業が行なわれない深刻な学校紛争がようやく収束しつつも、その混乱が至る所に残る状況。
バリケード封鎖こそ機動隊によって既に解除されて授業は正常に行なわれるようになっていましたが、毎週月曜日の登校時間には校門前で、新左翼系セクトのシンパと思しき上級生たちが拡声器でアジ演説をぶってビラを配り、昼休みになると上級生たちが一年生の教室にオルグに来るのです。
音楽室の天井は、機動隊に向けて投げられた火炎ビンで焦げた跡が残り、体育館の壁や折り畳み椅子には「全共闘」「全闘委は闘うぞ」などとマジックインキでの書き込みが散見されるなど、全学集会や機動隊と衝突した生々しい痕跡がありました。
そんな紛争の影響もあって、堅苦しい詰襟の制服がなく、ジーパン・サンダルで登校してもOKでしたし、場所柄、OBの大学生も運動部や新聞部などの部室に普段から頻繁に出入りしていましたから、ちょっと大人びた、大学のような雰囲気が漂う高校でした。
さて、入学式が終わると、私たちは、教室に分かれて新しいクラスメート同士で自己紹介を行ないました。
氏名、出身中学、そしてあとは趣味やクラブ活動などを話題にするわけで、この中には、北鎌倉の閻魔さまの前で先日ピアノを弾いたSくん、あるいは、Nさんの主催する「どがじゃか会」で偶然再会したH嬢もいました。
そして、その中に面白い自己紹介をする男がもう1人いました。
最前列に座っていた彼はノソっと立ち上がり、後ろを振り返って「渋谷区立代々木中学出身のTです。岡林信康のような政治的偏向のある歌が好きです。」と言ってニコッと笑いました。
何せ、冒頭にお話ししたように学校紛争の生々しい傷が残る雰囲気でしたから、もし気難しい表情でそんなことを言われたら、ちょっと緊張の走る雰囲気になったに違いありません。
でも、その彼の笑顔がとても人なつっこいものだったので、教室がどっと沸きました。
Tくんが好んで聴いた岡林信康は、ベトナム戦争や学校紛争で揺れた時代における象徴的な歌手で、政治的メッセージの強い「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」などを歌い、「反戦フォークの旗手」「日本のボブ・ディラン」などと呼ばれていました。
中学生時代、私も岡林信康の歌をラジオの深夜放送で聴きましたが、歌詞はともかく、フォークギターを抱えて唄うサウンド自体には、実は殆ど興味を覚えませんでした。
しかし、私が中学三年生の時に発表されたセカンド・アルバム『見る前に跳べ』から、伝説のバンド「はっぴいえんど」がバックで演奏するようになり、サウンドが一気にロックへ移行して、私も好んで聴くようになりました。
私が最も好きだった曲が『ラブ・ジェネレーション』
ジャックスの早川義夫さんの作品ですが、「はっぴいえんど」が送り出すタイトなビートに乗って岡林さんが歌う、独特の早川義夫ワールドが最高です。
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[ラブジェネレーション]
(詞・曲:早川義夫)
Love Generation
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このアルバムの収録曲を眺めると、「おまわりさんに捧げる歌」「性と文化の革命」「自由への長い旅」「私たちの望むものは」「NHKに捧げる歌」というような曲名が並びます。
タイトルを一見しただけでも、体制や秩序への反発というか、あの時代の空気をヒシヒシと感じます。
また、「ゆでめん」を録音していた頃の初期の"はっぴいえんど"サウンドが心地良いですよ。
それにしても、こんな歌を好むTくんや私は、今考えると、先生たちの目から見て可愛いげのある中学生ではなかったでしょうね。
「お前ら、小難しいことを言わずに、『走れコータロー』でも歌ってろ」みたいな。
(;^_^A
なお、植物学者を父に持つTくんは、高校では勉強そっちのけで柔道に打ち込んでいましたが、その後は北海道大学の大学院で生物を研究し、結局、お父上と同じ道を歩んでいます。
当時の青山高校は、何ヶ月も授業が行なわれない深刻な学校紛争がようやく収束しつつも、その混乱が至る所に残る状況。
バリケード封鎖こそ機動隊によって既に解除されて授業は正常に行なわれるようになっていましたが、毎週月曜日の登校時間には校門前で、新左翼系セクトのシンパと思しき上級生たちが拡声器でアジ演説をぶってビラを配り、昼休みになると上級生たちが一年生の教室にオルグに来るのです。
音楽室の天井は、機動隊に向けて投げられた火炎ビンで焦げた跡が残り、体育館の壁や折り畳み椅子には「全共闘」「全闘委は闘うぞ」などとマジックインキでの書き込みが散見されるなど、全学集会や機動隊と衝突した生々しい痕跡がありました。
そんな紛争の影響もあって、堅苦しい詰襟の制服がなく、ジーパン・サンダルで登校してもOKでしたし、場所柄、OBの大学生も運動部や新聞部などの部室に普段から頻繁に出入りしていましたから、ちょっと大人びた、大学のような雰囲気が漂う高校でした。
さて、入学式が終わると、私たちは、教室に分かれて新しいクラスメート同士で自己紹介を行ないました。
氏名、出身中学、そしてあとは趣味やクラブ活動などを話題にするわけで、この中には、北鎌倉の閻魔さまの前で先日ピアノを弾いたSくん、あるいは、Nさんの主催する「どがじゃか会」で偶然再会したH嬢もいました。
そして、その中に面白い自己紹介をする男がもう1人いました。
最前列に座っていた彼はノソっと立ち上がり、後ろを振り返って「渋谷区立代々木中学出身のTです。岡林信康のような政治的偏向のある歌が好きです。」と言ってニコッと笑いました。
何せ、冒頭にお話ししたように学校紛争の生々しい傷が残る雰囲気でしたから、もし気難しい表情でそんなことを言われたら、ちょっと緊張の走る雰囲気になったに違いありません。
でも、その彼の笑顔がとても人なつっこいものだったので、教室がどっと沸きました。
Tくんが好んで聴いた岡林信康は、ベトナム戦争や学校紛争で揺れた時代における象徴的な歌手で、政治的メッセージの強い「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」などを歌い、「反戦フォークの旗手」「日本のボブ・ディラン」などと呼ばれていました。
中学生時代、私も岡林信康の歌をラジオの深夜放送で聴きましたが、歌詞はともかく、フォークギターを抱えて唄うサウンド自体には、実は殆ど興味を覚えませんでした。
しかし、私が中学三年生の時に発表されたセカンド・アルバム『見る前に跳べ』から、伝説のバンド「はっぴいえんど」がバックで演奏するようになり、サウンドが一気にロックへ移行して、私も好んで聴くようになりました。
私が最も好きだった曲が『ラブ・ジェネレーション』
ジャックスの早川義夫さんの作品ですが、「はっぴいえんど」が送り出すタイトなビートに乗って岡林さんが歌う、独特の早川義夫ワールドが最高です。
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[ラブジェネレーション]
(詞・曲:早川義夫)
Love Generation
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このアルバムの収録曲を眺めると、「おまわりさんに捧げる歌」「性と文化の革命」「自由への長い旅」「私たちの望むものは」「NHKに捧げる歌」というような曲名が並びます。
タイトルを一見しただけでも、体制や秩序への反発というか、あの時代の空気をヒシヒシと感じます。
また、「ゆでめん」を録音していた頃の初期の"はっぴいえんど"サウンドが心地良いですよ。
それにしても、こんな歌を好むTくんや私は、今考えると、先生たちの目から見て可愛いげのある中学生ではなかったでしょうね。
「お前ら、小難しいことを言わずに、『走れコータロー』でも歌ってろ」みたいな。
(;^_^A
なお、植物学者を父に持つTくんは、高校では勉強そっちのけで柔道に打ち込んでいましたが、その後は北海道大学の大学院で生物を研究し、結局、お父上と同じ道を歩んでいます。