今朝、窓を開けたら久しぶりの銀世界。
やむなく東伏見詣でを断念しました。
一方、父が入院中のリハビリ施設からは、「インフルエンザ対策のため、家族といえども面会禁止」と通知が届いているため、2日連続で自宅で過ごすことになってしまいました。
父のリハビリは順調でして、今後、何度かの一時帰宅を行なった後に退院する予定となっています。
既に、和室用の椅子を購入したり、父の居室に手すりを増設するなど、我が家の受け入れ準備は万端です。
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さて、東京六大学野球。
現在の六大学各校の布陣を眺めると、私よりも年下の監督さんが2人います。
1人は、立教の大塚監督。
大塚監督の記事
そして、もう1人は、明治の善波監督(捕手。桐蔭学園出身)です。
1984年度(昭和59年度)の明治の主将でした。
その年の明治は、前年に春秋連続で首位打者となった広沢(小山高校)と福王(日大三高)が打の主軸、竹田(日大一高)が主戦投手という強力な布陣で、その年の秋季にリーグ優勝を果たしました。
地味で泥臭いチームカラーの明治としては、スター選手が揃う、ちょっと珍しい時代だったという印象です。
あの島岡御大もご健在で、ユニフォームの袖に猪が縫い込まれていた時代です。
なお、現在は六大学の審判を務めていらっしゃる戸塚さん(内野手。明大中野)が、その年の二年生でした。
戸塚さんといえば、審判として、早稲田の前監督・応武さんとは、試合中に色々なことがありました。
(;^_^A
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その年の早稲田の主将は、鈴木康生外野手(静岡高校)。
リーグ優勝は叶いませんでしたが、3年生の湯川外野手(宇治高校)が春の首位打者を獲得して、気を吐きました。
(写真は、湯川選手と宮崎監督(旧制・小倉中学))
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/97/edc7cf3adf0542cf1c3d0e4e6da4c723.jpg)
個人的には、この年の3年生がひいきの学年でして、首位打者・湯川選手ばかりでなく、足立投手(松商学園)、木村恒内野手(天理高校)、小島啓民内野手(諫早高校)、山川内野手(高松商業)、守屋外野手(掛川西)ら、素晴らしい選手たちが揃っていました。
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また、1984年は東大が輝いた年でもありました。
主戦の大越健介投手(新潟高校。現NHKキャスター)が春秋で7勝をあげる大活躍。
大越健介さんの記事
この年の東大監督は、伊藤仁さん(東海高校)。
私と同じ世代の伊藤仁さんは、第一次赤門旋風の主役の1人でしたから、彼が監督をされている東大に対しては、個人的な思い入れを持って、勝手に声援を送っていました。
その声援が届いたのか、その年の東大は、前年の秋季から二季連続で五位となるとともに、秋季には、立迫浩一内野手(浦和高校)が首位打者を獲得しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/91/5433e0587f223b424a0a19b9732ef452.jpg)
やむなく東伏見詣でを断念しました。
一方、父が入院中のリハビリ施設からは、「インフルエンザ対策のため、家族といえども面会禁止」と通知が届いているため、2日連続で自宅で過ごすことになってしまいました。
父のリハビリは順調でして、今後、何度かの一時帰宅を行なった後に退院する予定となっています。
既に、和室用の椅子を購入したり、父の居室に手すりを増設するなど、我が家の受け入れ準備は万端です。
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さて、東京六大学野球。
現在の六大学各校の布陣を眺めると、私よりも年下の監督さんが2人います。
1人は、立教の大塚監督。
大塚監督の記事
そして、もう1人は、明治の善波監督(捕手。桐蔭学園出身)です。
1984年度(昭和59年度)の明治の主将でした。
その年の明治は、前年に春秋連続で首位打者となった広沢(小山高校)と福王(日大三高)が打の主軸、竹田(日大一高)が主戦投手という強力な布陣で、その年の秋季にリーグ優勝を果たしました。
地味で泥臭いチームカラーの明治としては、スター選手が揃う、ちょっと珍しい時代だったという印象です。
あの島岡御大もご健在で、ユニフォームの袖に猪が縫い込まれていた時代です。
なお、現在は六大学の審判を務めていらっしゃる戸塚さん(内野手。明大中野)が、その年の二年生でした。
戸塚さんといえば、審判として、早稲田の前監督・応武さんとは、試合中に色々なことがありました。
(;^_^A
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その年の早稲田の主将は、鈴木康生外野手(静岡高校)。
リーグ優勝は叶いませんでしたが、3年生の湯川外野手(宇治高校)が春の首位打者を獲得して、気を吐きました。
(写真は、湯川選手と宮崎監督(旧制・小倉中学))
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/97/edc7cf3adf0542cf1c3d0e4e6da4c723.jpg)
個人的には、この年の3年生がひいきの学年でして、首位打者・湯川選手ばかりでなく、足立投手(松商学園)、木村恒内野手(天理高校)、小島啓民内野手(諫早高校)、山川内野手(高松商業)、守屋外野手(掛川西)ら、素晴らしい選手たちが揃っていました。
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また、1984年は東大が輝いた年でもありました。
主戦の大越健介投手(新潟高校。現NHKキャスター)が春秋で7勝をあげる大活躍。
大越健介さんの記事
この年の東大監督は、伊藤仁さん(東海高校)。
私と同じ世代の伊藤仁さんは、第一次赤門旋風の主役の1人でしたから、彼が監督をされている東大に対しては、個人的な思い入れを持って、勝手に声援を送っていました。
その声援が届いたのか、その年の東大は、前年の秋季から二季連続で五位となるとともに、秋季には、立迫浩一内野手(浦和高校)が首位打者を獲得しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/91/5433e0587f223b424a0a19b9732ef452.jpg)