ジョン・レノンのナンセンス絵本が話題になっていた頃、私にはナンセンスはさっぱりわからなかった。ナンセンスより、どちらかといえば常識や道徳や倫理をたよりに歩いていた。頭の中や感覚は、わりに世間並みなメインストリートを歩く若者だったのだろう。
それが(たぶん)結婚、子育てと環境が変わり、夫の影響などもあって読書傾向が変わるにつれ、メインストリートを踏み外し、ケモノ道を(家族ぐるみ!で)歩く人生へと様変わりしてしまったようである。それとともに「ナンセンス(絵本/マンガ)」というものを楽しめるようになってきた。
ナンセンスや笑いはラブ&ピースと親和する。一方、戦争は(世間、世論に通じる)常識や道徳とどこかでつながっている様に思う。真面目で道徳的で自己犠牲的できっちりと枠がある世界に憧れる人たちは多いだろうけれど、それは一見キレイで、秩序だって、美しい理想的な世界に見えるけれど、そんな空気に近づいて行くと、きっとなにかしら違和感を感じてしまうと思う。言葉にできないけれど「あれ?」と思うような。
ソリッドな正義や秩序は、不思議な事になぜか暴力が巻きひげのようにからまってくる性格があるような気がした。一見、相反するもののようなのに。
ところが。戦争の周辺はソリッドなのに、戦争そのものは・・・ブラックユーモアとナンセンスのるつぼかも。やってる人たちが大真面目なだけに。悲惨や残酷さがこれだけ伝えられているのに、いまだ戦争がなくならないのなら、いっそこのバカバカしさを伝えていければ、チャンネルが変わる気もする。
たとえば斉藤洋さんの『シュレミールと小さな潜水艦』(絶版)みたいな話とかね。これを読んだらホント『戦争』に脱力しちゃいます。
以上、本日帰宅途上に、ふと考えた事。個人的な覚え書きとして。
それが(たぶん)結婚、子育てと環境が変わり、夫の影響などもあって読書傾向が変わるにつれ、メインストリートを踏み外し、ケモノ道を(家族ぐるみ!で)歩く人生へと様変わりしてしまったようである。それとともに「ナンセンス(絵本/マンガ)」というものを楽しめるようになってきた。
ナンセンスや笑いはラブ&ピースと親和する。一方、戦争は(世間、世論に通じる)常識や道徳とどこかでつながっている様に思う。真面目で道徳的で自己犠牲的できっちりと枠がある世界に憧れる人たちは多いだろうけれど、それは一見キレイで、秩序だって、美しい理想的な世界に見えるけれど、そんな空気に近づいて行くと、きっとなにかしら違和感を感じてしまうと思う。言葉にできないけれど「あれ?」と思うような。
ソリッドな正義や秩序は、不思議な事になぜか暴力が巻きひげのようにからまってくる性格があるような気がした。一見、相反するもののようなのに。
ところが。戦争の周辺はソリッドなのに、戦争そのものは・・・ブラックユーモアとナンセンスのるつぼかも。やってる人たちが大真面目なだけに。悲惨や残酷さがこれだけ伝えられているのに、いまだ戦争がなくならないのなら、いっそこのバカバカしさを伝えていければ、チャンネルが変わる気もする。
たとえば斉藤洋さんの『シュレミールと小さな潜水艦』(絶版)みたいな話とかね。これを読んだらホント『戦争』に脱力しちゃいます。
以上、本日帰宅途上に、ふと考えた事。個人的な覚え書きとして。