紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

読書感想文パート2

2008-08-15 21:39:32 | 読書
 昨日のブログで「読書感想文テキスト」をお探しの方が訪問されたとしたら、大変に期待はずれでご迷惑をおかけしたかもしれないので、念のため私のセレクトをあげておきます。

 『ぼくは勉強ができない』 山田詠美
 『死神の精度』      伊坂幸太郎
 『マイナス・ゼロ』    広瀬正
 『つきのふね』      森絵都
 『しゃべれども しゃべれども』 佐藤多佳子
 『ダモイ遥かに』     辺見じゅん
 『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』 森達也 

 私自身は小学生も高学年になると、読書感想文要員のような扱いで、大変つまらなかった。なぜなら、担任の命に依り、課題図書専門に読書感想文を書かかねばならなかったのである。

 最近の課題図書は、センスのいい納得出来るセレクトで、これなら「読みたい!」「面白かった!」という子どもたちも多かろうと思う。慶賀である。

 しかし私が小学生だった頃の課題図書は、いかにも大人が好きそうな「問題提起型」というか、「正義感溢れる子どもたちの感想を待っている」という大人の思惑がありありとみてとれ、「はいはい、お望み通りに」としぶしぶ正義感溢れる気分を盛り上げたけれど、ウマく書けたり書けなかったりした。たまに大人の思惑と、私自身の義憤が一致したときには意気揚々だったりしたのだが、あまりに「大人の思う壷」的感想文だったため、かえって担任から「親に書いてもらった疑惑」までかけられたりして、あまりいい思い出は無い。

 ところで、終戦記念日である。

 いつも私が不思議に思うことがある。何度か書いている事なのだけれど、昭和天皇も平成の天皇も、さきの戦争を深く悔い、残念に思い、二度と戦争をしないことを願っておられるのに、「自分は深く日本を愛し天皇陛下を敬っている」と自認している方々が、逆ベクトルの考え方をされているのかが、私には理解出来ないのだ。

本日の戦没者慰霊の式典で、天皇の述べられた文章の一部が下記である。

「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に唐黷ス人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

 私は昭和天皇が慚愧にたえない、といった様子でことあるごとに上記のようなことをおっしゃっていたのを長年聞いて育って来た。平成の世になっても、天皇のおっしゃられることに変化はなく、むしろ過激になってきたくらいなのに、世間的には露骨にスルーされたり黙殺されたりと、失礼千万な扱いとなっているように思う。いいのでしょうか、これで? と辛酸なめ子さんのように、皇室関係者に聞いてみたい気がする。