私が「お姉さん」と呼ぶ人は
養護学校小学部4年生の時に、
寮の10人部屋で、6年生だった彼女だけである。
中学部の部屋でも、1年間は隣に布団を敷いて寝た。
学校以外の、食事もおやつも、掃除も洗濯も
お風呂も勉強時間も一緒に過ごした。
その時のままの関係が維持されて
半世紀たった今も 私は「ナーコ」で居る。
数十年間、年賀状一枚でつながってきた。
昨年のお正月の「年賀状をやめます」というお知らせへ、
メールで返事をしたら、やり取りが急増した。
怪我して動けない時に、県外から食品を郵送してくれた。
本当に、ありがたいことだ。(ありえないことだ)
中学を卒業した後、どこで、どんな人生を歩んだか
互いにほとんど知らないのに、である。
1年前のお姉さんの返信は
<障がい者65歳の壁>のせいで、要介護3に変更され
日々の生活の質の低下への怒りを 持て余していた。
期待と現実のギャップが大きいほど 怒りは激しい、
それほど、困っていた。
よだれは流れっ放し、お尻が痩せて骨が当たって痛い
全力で床を這うのも やっとだとのこと。
手術後の手の痺れが増し、最近は物忘れも!と衰えを教えて貰った。
プールが好きなのに、介助するガイドヘルパーさんの派遣会社が、
新年度が来ても、まだ決まらないらしい。
昨日の近況報告でも 状況が好転しているとは思えない。
ところが この春、お姉さんは変った。
嘆きの中に、現実を受入れようとする努力を感じるし
憎しみや悲しみや嫉妬だけでメールを終わらせない
先輩としての 思いやりも感じた。
なにより一番嬉しいのは、
お姉さんが「プールが好き」と お愉しみを忘れてないこと。
どんな状況の下でも、楽しい話題を共有しようとしてくれること。
お姉さん、ありがとう