あなたは見たことがありますか?
墓石に、罪人の印として二重の刻印が入っているのを。
これは山形県西村山郡西川町にある寛永白岩一揆の義民の供養碑です。
「2基の供養碑頭部に注目を!
それぞれ2本の縄目が入っています。
科人(とがにん=罪人のこと)の印と思われます。
・・・・・
処刑(残忍な磔の刑)から33年経てなお、このような供養碑しか許されなかった?」
今年、「白岩義民にまなぶ会」が発行したリーフレット『白岩義民』の一節です。
江戸時代初期、西の天草一揆とほぼ同時期に起きた白岩一揆は、あまり知られていませんが、江戸幕府に重大な警戒心をおこさせるものでした。
5年におよぶ闘いのその頑強さ、その組織力、白岩目安状に示された百姓の危機的様相の実態、それらは各地の百姓層に大きな共感を惹き起したに違いありません。
だからこそ、幕府は百姓層に対する譲歩として時の白岩領主 酒井忠重を領地召し上げの処分に付しつつ、他方の手で36人もの磔を強行したのではないでしょうか。
・・・・・この続きは、リーフ『白岩義民』(頒価300円)をご覧ください。
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