何度目かの石巻訪問でした。でも、今までは大川小学校跡などの被災地をまわり、残された瓦礫を見て、「被災者はどんなだったろう・・・」と想像することが主でした。
今回は、ご自身が被災者で、避難所となった湊小学校の対策本部長の任にもあたった庄司慈明さんの話を伺うことができました。お忙しい中、約2時間半、具体的な出来事や教訓を詳しく話してくれました。人間として如何に生きるかにつうじる意義深いお話であったと思います。
リスクコンサル・ネットの友人、仙台の石塚さんたちと一緒に取りくみました。
仙台からは9人、山形からは私を含めて4人、合計13人の参加でした。
庄司さんのお話で印象に残ったことは一杯ありますが、その中から二つを紹介します。
〔1〕 一つは非常時の判断ということ。
避難所となった湊小学校には1500人くらいが、飲まず食わずで居た。
そこへ3日目の晩、おにぎり300個が届いたそうです。しかし配らなかったというのです。
「届いたのはみんなが知っていたのに、誰も怒らなかった」と。
「全員に配れるときにしか配らない」というマニュアルもあったそうですが、しかし簡単にできることではありません。
「ここに300個がきたということは、これからもっと支援が強まるということ」と話しをして300個を配らなかったのだそうです。
〔2〕 もう一つは、「昨年の3.11、ろうそくで絵文字をつくった。家族を失った方は悲しみを乗り越えるのは容易ではない。悲しみとともに生きる人、新しく見つけ出したものに生きる人・・・など。何とともに生きるかは人それぞれだが、しかし、何かとともに生きることが大事」と話されました。
“ともに生きる”がテーマになった、と。
そのお話を、より深く考えさせたのは、庄司さんの次の一言でした。
「私は被災はしたが家族を失っていない。だから家族を亡くした人の痛みは分からない。そこからは想像力だと思う。」・・・こうした想いがあるからこそ、“ともに生きる”がテーマになるのだと思うのです。
私も山形で、いろんな人と3.11や大川小学校のことを話しあっていてよく思います。
私たち山形の人間は直接的な被災はしていません。だから庄司さん以上に家族を亡くした人の痛みは分かりません。
でも、できるだけ現場に足を運び、被災者の実状を想像することで、より深く知ることはできると思うのです。
庄司さん、貴重なお話をありがとうございました。(その2に続く予定です)
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