大川小学校跡に立つのは3回目でした。
そのたびに、心に訴えかけてくるものが違ってくるのです。不思議です。
初めは、惨状にぼう然とするばかりでした。
2度目は、黒く冷たい濁流に呑み込まれ翻弄されながら、子どもたちは「おかあさーん」と叫ぶこともできずに亡くなったんだと気づきました。そう思うと、それが自分のこどもや孫だったら・・・胸がカキムシラレルヨウデス。
今回の3度目は、亡くなった子どもたちが私たち残されたものに何を訴えているのか、ということでした。
私の胸に響いてきたのは、「みんなを助けてー!」という叫びでした。「自分を助けてー!」という叫びは当然ですが、「子どもたちみんなを助けてー!」と叫んでいるように聞こえるのです。
3.11以降、被災地であれ、たまたま被災地でなかったにしろ、残された大人たちの責任は、子どもたちに2度とこのような悲惨、苦しみ、絶望を味わわせてはならない・・・ということではないでしょうか。
あなたは、どう思いますか?
次の4枚は当日、撮った写真です。
① これは廃墟となった大川小学校の全景です。濁流は2階建て校舎の屋根付近まできました。鉄筋コンクリートの脚が倒れています。津波の激しさを物語っています。子どもたちは、そんな濁流に呑み込まれていったのです。
② 大川地区の全景です。小学校を中心に集落がありました。ここでも400人余(今のところ正確には分かりません)が濁流に呑みこまれていったそうです。手前の川が北上川です。右手の山が「あそこに逃げれば助かったのでは」と言われている学校の裏山です。子どもたちは先生に誘導されて右手手前の橋のたもと(周囲から5メートルほど高くなっている)に逃げようとしていました。そこを津波が襲ったのです。
③ 実際に逃げて助かった子どもたちもいる裏山の登り口周辺。
④ 学校の前の北上川の堤防です。高さ5メートルほどか? これでも3.11後に補強された堤防です。驚いたことの一つが、大川小学校周辺の海抜は0~2メートル程度だったということです。
どんなに立派な建物でも、そもそもそれが建っている土台や地域が安全でなければ、危険に対して無力だということを教えているのではないでしょうか。
同じような危険は、全国各地にあるのではないでしょうか。
私の住む寒河江市や隣の西川町でも、最大容量1億900万トンもの寒河江ダムという巨大ダムの下に小学校があります。子どもたちは大丈夫? ?
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