4月より、実験調査船はっけん号と自律型潜水ロボット淡探の購入のために基金を立ち上げる予定です。
その前に、はっけん号を建造した経緯について2001年にまとめた文章があるので紹介します。
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はっけん号は、琵琶湖研究所の実験調査船である。
実験調査船というのは、船内で簡単な実験ができるからそう呼ぶことにした。
こんな呼び方は、世界に例がないだろう。
琵琶湖研究所の造語である。
さて、はっけん号について話す前に、その建造の経緯について触れよう。
というのは、1993年3月にはっけん号が進水して以来約8年の歳月が流れ、昔の記憶が薄れてきているからである。
大切な思い出をなくさないために、こうして文章の形として残しておきたい。
1982年に琵琶湖研究所はスタートしたが、湖沼の研究を行なっているにもかかわらず観測船がなかった。
そのために、漁船を借り上げて調査をするのだが、夏の暑さ冬の寒さは身にこたえた。
時には、全身びしょぬれになって琵琶湖を漂流したこともあった。
まさに遭難寸前だった。
なんとかして、自前の調査船を持ちたい。
研究所の会議で話したら、吉良竜夫前琵琶湖研究所長に、「時期尚早だ」と言われてしまった。
1985年のことだったと思う。
悔しくてならなかった。
湖に出ない人は、琵琶湖の厳しさを知らないのだ。
負けたくなかったので、翌年の予算時期にも同じ話を持ち出した。
当時の琵琶湖研究所次長だった林さんが助け舟を出してくれた。
湖国21世紀ビジョンの、重要施策の中に盛り込もう、と。
単に船が欲しいと書いても駄目なので、出来るだけ夢のある話にした。
レイクシャトル10年計画の誕生である。
研究所の同意を取り付け、県庁へ持ち込んだ。
その頃、琵琶湖研究所は企画部企画調整課に属していた。
徹夜で作ったレイクシャトル10年計画は、当時の企画調整課長の桃野さん(故人)にいとも簡単につき返された。
でもめげなかった。
翌年、再挑戦をしたが、また、だめだった。
3年目の、1998年に、桃野さんが言った。
「熊谷さん、本気なんやな」。
そして、調査費をつけてもらった。
それから東京の某大手シンクタンクに頼み込んで、格安で実験調査船に関する調査をしてもらった。
1989年日本国内の聞き取り調査、1990年にカナダ・アメリカの国外調査を行なった。
初めて、カナダ内水面研究センター、ウッズホール海洋研究所、スクリプス海洋研究所を訪問した。
いずれも、琵琶湖研究所の何10倍もある、大きくて立派な研究所だった。
その当時の最先端の計測機器や調査船についての情報を得ただけでなく、研究マネージメントの仕方についても教わった。
行く先々で親切に教えてもらったことが今でも私の糧となっている。
だから、時々研究所にやってくる外国人に対しては、出来るだけ時間を取って親身に対応してあげるように心がけている。
その年に、オーストラリアからインバーガー教授という有名な陸水物理学者がやってきた。
教授のスーツケースの中には、見たこともない機器が入っていた。
水中の微細な水温構造を計測する機械だった。
台風が通り過ぎた翌日、教授と私は琵琶湖へ出かけて、その機器を水中に投入した。
データを見ていた教授が叫んだ。
「Great! Micho」。
それは、台風で引き起こされた内部ケルビン波の美しく大きな躍動だった。
それ以来、教授は琵琶湖の内部波に見せられてしまった。
そして、琵琶湖で国際的な共同実験をやろうと言い出した。
Noと言えなかった私は、事情もよくわからないまま教授と約束の乾杯をしてしまった。
教授は言った。
「You can do anything if you really want to do.」
それから、私の黒髪は徐々に白くなり始めた。
ちなみに、Michoというのは私のMichioという名前が、縮まったものでありイタリア語で大きな猫と言う意味だそうである。
共同実験の予算を取るために、科学技術庁の地域流動研究に応募した。
研究代表者は、吉良前所長だった。
吉良先生は、さすがに偉大だった。
初めての応募で通ってしまった。
こうして、3年間の琵琶湖における共同研究がスタートした。
この中には、3年目に琵琶湖国際共同観測(BITEX)をやることを盛り込んだ。
1991年、いよいよレイクシャトル10年計画がスタートした。
当時の企画部長が、カタカナは駄目だというので湖中探査先端技術化計画をいう名前に変わってしまったが。
10年前の県庁は、そんな雰囲気だった。
今では、マザーレークと大々的にカタカナで宣伝しているのに。
1992年、BITEXの予備調査を行なった。
少しずつ国内外から参加者も増えてきた。
中でも、京都大学の中西教授、近畿大学の津田教授(故人)、島根大学の橋谷教授の参加は大きかった。
海外からは、カナダのロバーツ、ビンセント、ルジャンドル、アメリカのメラック、マッキンタイヤー、イスラエルのバーマン、スペインのカタランなどなど、今でも親しくお付き合いをしている一線級の研究者が集まってきた。
1993年3月、待ちに待った実験調査船はっけん号の誕生である。
8月のBITEXに合わせて完成した双胴船は、世界最高の機能を有していた。
当時では画期的なDGPS、ADCP、F-PROBEと言った横文字がならぶ最新機器と、私が自分で図面を引いた実験室。
誇らしげにまっさらの舵を取る河内船長。
すべてが、まばゆいくらいに輝いていた。
8月中旬から約1ヶ月間、国内外の研究者・技術者・学生177名が参加した国際共同観測が始まった。
はっけん号は、早朝から夕刻まで連日稼動した。
みなが、一生懸命、採水しデータをとり解析を行なった。
NHK大津の稲垣ディレクターが、つきっきりで制作してくれた番組、近畿NHKスペシャル「世界が琵琶湖を診断した」は、今でもファンがいるほどの名作だった。
研究成果は、日本陸水学会誌から特別号として出版された。
あれから、8年が経った。
今でも、はっけん号は現役で活躍している。
河内船長も、健在だ。
2000年に、琵琶湖研究所は建設省と共同で自律型潜水ロボット「淡探」を作った。
環境監視の自律型水中ロボットとしては、世界初のものである。
今、私達は、このロボットを利用して琵琶湖の未知の部分を解明しようとしている。
そして、ゆくゆくはバーチャル琵琶湖を作り、その中にロボットがとったいろいろな映像やデータをはめ込んでいく予定である。
バーチャル琵琶湖は、家庭のパソコンでインターネットを通してアクセスすることが出来る。
学校や、お茶の間から簡単に琵琶湖とふれあい、もっと、琵琶湖のことを知って欲しいと思っている。
それが、はっけん号と淡探と私達の願いである。
時代は、どんどん変わっている。
わずか10年前には知りえなかった多くのことを私たちは解明してきた。
パソコンやインターネット、携帯電話の普及はもっと進んできている。
15年前に、世界一の調査船と琵琶湖潜水艦を作ろうと思い立った誇大妄想的な夢が、ほぼ実現してしまった。
今、私たちが考えていることは、この夢から可能になった技術を用いて、琵琶湖の本当の姿を一人でも多くの人にお見せしたいと言うことである。
そして、できたら、琵琶湖とその周辺に暮らす人々のすばらしさを世界に紹介したいと思っている。