石田菊香さんのピアノリサイタルに初めて伺ったのは、1992年6月だったでしょうか。
以来、どうしても都合がつかなかった何回かを除いて、この季節に菊香さんの演奏を聴くのはBoccoの決まりのようになっています。
菊香さんの演奏をBoccoの勝手な解釈で説明するなら…
ある楽曲の音符が全部入った箱をひっくり返してぶちまき、それを組み立て直し表現していく作業…と言えるのではないかと思います。
ショパン、バッハ、シューベルト、ベートーベン、リスト、ラベル、モーツァルト……つまりクラシックの楽曲です。
門外漢がこのような言葉を発するのはまったくもって不躾だということも重々承知です。
チャレンジングで、創造的で、緻密かつ繊細にして壮大。
とても乗り越えられそうにもない問題を抱えて右往左往していたある時期、そんな菊香さんの演奏からBoccoはたくさんの勇気とエネルギーをいただきました。
たやすいことではないけれど、“自分を生きる” というのは、ある意味、こういうことなのではないか…と、気持ちが高揚したものです。
「さすらい人の歌 ~孤独な魂の悲痛な叫び~ 荘厳と軽快、そして別れ」と題された今年のリサイタルは、6月10日。
プログラム・ノートには、「……人間の内面、魂の奥底からの荘厳な祈り、孤独なさすらい人の悲痛な叫び、革新の情熱、陽気と悲哀などを表現したい……」とあります。
予定調和の心地よさ…それを十分に認めたうえで、予定外不調和の危うさ、力強さ、痛快さ……自分を生きようとする魂の叫びに揺さぶられ共鳴する感性を失いたくないと、Boccoは思うのです。
来年もまた、菊香さんの演奏に快哉を叫ぶ体力と気力が残っていますように。。。
☆ そして、今回のテ・ン・ジョ・ウは…津田ホール(東京・千駄ヶ谷)でしたッ!☆
以来、どうしても都合がつかなかった何回かを除いて、この季節に菊香さんの演奏を聴くのはBoccoの決まりのようになっています。
菊香さんの演奏をBoccoの勝手な解釈で説明するなら…
ある楽曲の音符が全部入った箱をひっくり返してぶちまき、それを組み立て直し表現していく作業…と言えるのではないかと思います。
ショパン、バッハ、シューベルト、ベートーベン、リスト、ラベル、モーツァルト……つまりクラシックの楽曲です。
門外漢がこのような言葉を発するのはまったくもって不躾だということも重々承知です。
チャレンジングで、創造的で、緻密かつ繊細にして壮大。
とても乗り越えられそうにもない問題を抱えて右往左往していたある時期、そんな菊香さんの演奏からBoccoはたくさんの勇気とエネルギーをいただきました。
たやすいことではないけれど、“自分を生きる” というのは、ある意味、こういうことなのではないか…と、気持ちが高揚したものです。
「さすらい人の歌 ~孤独な魂の悲痛な叫び~ 荘厳と軽快、そして別れ」と題された今年のリサイタルは、6月10日。
プログラム・ノートには、「……人間の内面、魂の奥底からの荘厳な祈り、孤独なさすらい人の悲痛な叫び、革新の情熱、陽気と悲哀などを表現したい……」とあります。
予定調和の心地よさ…それを十分に認めたうえで、予定外不調和の危うさ、力強さ、痛快さ……自分を生きようとする魂の叫びに揺さぶられ共鳴する感性を失いたくないと、Boccoは思うのです。
来年もまた、菊香さんの演奏に快哉を叫ぶ体力と気力が残っていますように。。。
☆ そして、今回のテ・ン・ジョ・ウは…津田ホール(東京・千駄ヶ谷)でしたッ!☆