poco a bocco

自然の素材がもつぬくもりやパワーに助けられての作品づくり
poco a poco のペースで進みます~♪

タイミング

2014-07-11 23:54:00 | ひとり言
映画の後は所用で六本木へ
地下鉄の駅につながるミッドタウンでふと空を見上げる
梅雨の晴れ間とはいえ夏は目前
強い陽射しに窓ガラスはギラついていた


あやふやな記憶をたどると『終戦のエンペラー』(去年8月)以来の映画ということになるのだろうか。
この日見たのは『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』
生活のために歌うことをよしとせず 妥協しないルーウィン・デイヴィス。
頑固というのか 一途というのか 
不器用なのか それともただ単純なのか。
どこかの誰か…つまり自分を重ね合わせ 苦笑し ため息をつく。


ふとしたきっかけからカウンセリングを受け始めて3週間になる。
自分の認識とは大きく違う心理があることに気づく。

自分自身でありたい 自分らしさを大切にしたい。
そんなふうに思っていた割には
いくつかの特定の場面で自分を表現できていなかったことを発見する。

軋轢と抑圧を避けようとする気持ちから
どこか自分を抑えてきた この十年あまりの私。
それは仕事の場に限らない。
さまざまな場面で さまざまに 自分を表すことができていなかった。
そうと気づかず 自分の本音に蓋をしていた。

そういえば めずらしく落ち込んでいた1ヵ月前のこと。
“否定される” ことを何より恐れている自分を感じたのだった。
それを思うと このところの発見には うなずけるものがある。

もともと自分を前面に出したい性格ではない。
私が 私が と振る舞う気持ちはかけらもなく
私は私と居直ることも好むところではない。

ただ 他者の干渉や強制を受けたくないだけ。
むろん 他者に対して干渉や強制をすることもよしとしない。
自分自身と向き合い 自分に正直でありたいだけ。
互いを尊重し合う関係を求めているにすぎないのだが
どうやら そのあたりで 誤解されることが少なくなかったようなのだ。

先月の沢知恵さんのライブで「怒るときと許すとき」(茨木のり子『見えない配達夫』より)が語られたときに
自分でも驚くほど心が大きくふるえたのは
まさにこのことに通じていたからなのだろう。
この詩人との最初の出会いとなった詩だったからではなかったのだ。

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記憶はどんどん風化していく。
あの震災からちょうど3年半が経過した今日
震災直後の画像を閲覧した。