昨日は録画していた「王様ランキング」を見て
メンタルがボロボロになってたsachiakiです。
「王様ランキング」は「この漫画がすごい」で注目されてから
絵本のようなほんわかした絵からは想像もつかない
大人も号泣するかなり辛い話だったりするんですけれど、
知らない人のために説明すると
主人公は巨人族の王様と王女から生まれた王子ですが
聞こえない、しゃべれない、筋力がほぼほぼない
巨人族のはずなのに人間の子供としても小さいという設定です。
心根がとても優しく、人間に嫌われがちな蛇を助けたり
自分に対して意地悪な人に対しても笑顔で応答することができる
器の広さもあり、転じて救われる人がたくさんいます。
で、こういった設定が積まれた主人公だと
困難はあっても優しい話にしかならないって思うっしょ?
あらすじ的には王子がなんの力も持っていない理由は
王様がまだ若い旅人だった頃「世界で一番強くなりたい」と
魔人に願ったところ、
「自分の子供の本来持つ力をお前に注ぐことができる」
という条件をつけてきたんですね。
で、彼は若かったのでそれを了承したんですけれど、
実際に自分がパワーアップしたことに気づいたところで
生まれてきた王子が豆粒のように小さく
あまりにか弱い存在として生まれてきたことで
彼は自分の過ちに気づき、王子が生まれたところに城を築き
王子が何不自由なく暮らせるように王国を作りました。
そして、この世界の王様たちにはランキングというものがあり、
各国の王様たちは1位を目指して良い国を作り
良い王様となろうとします。
そんな世界観の中で、この力のない王子が王様になるのは
とても難しいってことは想像に難くないと思うのですが
王様が亡くなった時に遺言で王子に王の継承とあったにも関わらず
健康な第二王子に継承権が移ってしまい、
そのことに絶望的になってしまった王子が
世界一の王様になるために修行をし
実際にとても強くなって帰ってくるーという話なんですけれど
この漫画&アニメは人の業的なものを描いているので
出てきた時は悪人っぽいっていう人の行動の裏で
とても優しいエピソードが隠されていたりと
何度もなんども人間の多面性や成長して更生されるところが
描かれていくんです。
普通だったら王子の成長を描くために
昨日の敵は今日の友的な演出であるのかと思えばそうでなく
ただただ王子の行いに感銘を受けて改心したり、
そもそも悪い行いでないものが悪く見えていることが分かったりするんですね。
で、実は王子が修行の旅に出たあとで
国を滅ぼそうとして裏で糸を操っていたラスボス的な人が出てくるんですけれど、
その人があまりに苦しい環境におかれているので
(幼少期に人を信じることしか教えられていなかった子供が
母親は目の前で殺されて、自分は抵抗できないように両手を切断されて
顔の皮を剥がされてさらしものとして放置されるという過去がある)
たしかにラスボス的な人がやってきた
王女殺しだったり(第一王子のお母さんが殺されてます)、
二人目の王女殺し(第二王子のお母さんが狙われています)
&国を滅ぼすためにモンスターや
別の国の囚人を放ったりと悪いことはしているんだけど、
それはそれこれはこれって、この子が救われないなんて
絶対にそんなの世界が間違ってるだろ……って気持ちになってました。
私の気持ちを代弁するように、
「なぜそなただけが苦しまなくてはならないのだ」
というセリフがありましたが
ほんそれだよ!!!!!なんでだよ!!!!!ってなりました。
好き好んで悪事に手を染める人はいない
っていうのが私の信念なんですけれど、
たとえ今、人に対して嫌がらせをすることを至上の悦びとしていても
その人が幸福でないからこそそんなことを好むのだ
っていうのが私の思うところで
赤ん坊の頃から周りのものを傷つけたり苦しませることを
楽しいと思うことはないはずで、
そう思うようになる何かがあることが大半なんですよね。
そしてそういう回路が出来上がってしまったからこそ
悪事を喜ぶことってあるんだと思うし、
そういったもので喜ぶことで幸福としている人なら
まだ救われる段階ではないのかもしれないけれど、
無垢な時を思い出し、現在が不幸…というよりも
そうならざるを得ない道しか残されてなくて
苦しんでいる人がいるなら、
その人はまっさきに救われなくちゃいけないって思うんです。
善人だから救われるっていうのは絶対におかしい。
善人は善人であるからもう救われてるんですよ。(たぶん)
だけど悪人はここから変わっていかなくちゃいけない。
だからこそ救われなくちゃいけないんです。
内村鑑三が無教会主義を掲げていたけれど、
その無教会主義の話を聞いたのと同時に
他力本願であるところの浄土宗の救いの話に近いとあり、
それはとても素敵なことだなって思ったんですよね。
あー、ここからは長い話になってしまいそうだな。
読みたい人がいるのかどうかもわからないし、
お仕事にも戻らないとなので続きは書くかわかりません。
とりあえず「王様ランキング」はいいぞって話でした。
そんじゃまた!モイモイ。
この日記の追記を3/20に載せました。
救われるってことはオールオッケーってことじゃないんよ
メンタルがボロボロになってたsachiakiです。
「王様ランキング」は「この漫画がすごい」で注目されてから
絵本のようなほんわかした絵からは想像もつかない
大人も号泣するかなり辛い話だったりするんですけれど、
知らない人のために説明すると
主人公は巨人族の王様と王女から生まれた王子ですが
聞こえない、しゃべれない、筋力がほぼほぼない
巨人族のはずなのに人間の子供としても小さいという設定です。
心根がとても優しく、人間に嫌われがちな蛇を助けたり
自分に対して意地悪な人に対しても笑顔で応答することができる
器の広さもあり、転じて救われる人がたくさんいます。
で、こういった設定が積まれた主人公だと
困難はあっても優しい話にしかならないって思うっしょ?
あらすじ的には王子がなんの力も持っていない理由は
王様がまだ若い旅人だった頃「世界で一番強くなりたい」と
魔人に願ったところ、
「自分の子供の本来持つ力をお前に注ぐことができる」
という条件をつけてきたんですね。
で、彼は若かったのでそれを了承したんですけれど、
実際に自分がパワーアップしたことに気づいたところで
生まれてきた王子が豆粒のように小さく
あまりにか弱い存在として生まれてきたことで
彼は自分の過ちに気づき、王子が生まれたところに城を築き
王子が何不自由なく暮らせるように王国を作りました。
そして、この世界の王様たちにはランキングというものがあり、
各国の王様たちは1位を目指して良い国を作り
良い王様となろうとします。
そんな世界観の中で、この力のない王子が王様になるのは
とても難しいってことは想像に難くないと思うのですが
王様が亡くなった時に遺言で王子に王の継承とあったにも関わらず
健康な第二王子に継承権が移ってしまい、
そのことに絶望的になってしまった王子が
世界一の王様になるために修行をし
実際にとても強くなって帰ってくるーという話なんですけれど
この漫画&アニメは人の業的なものを描いているので
出てきた時は悪人っぽいっていう人の行動の裏で
とても優しいエピソードが隠されていたりと
何度もなんども人間の多面性や成長して更生されるところが
描かれていくんです。
普通だったら王子の成長を描くために
昨日の敵は今日の友的な演出であるのかと思えばそうでなく
ただただ王子の行いに感銘を受けて改心したり、
そもそも悪い行いでないものが悪く見えていることが分かったりするんですね。
で、実は王子が修行の旅に出たあとで
国を滅ぼそうとして裏で糸を操っていたラスボス的な人が出てくるんですけれど、
その人があまりに苦しい環境におかれているので
(幼少期に人を信じることしか教えられていなかった子供が
母親は目の前で殺されて、自分は抵抗できないように両手を切断されて
顔の皮を剥がされてさらしものとして放置されるという過去がある)
たしかにラスボス的な人がやってきた
王女殺しだったり(第一王子のお母さんが殺されてます)、
二人目の王女殺し(第二王子のお母さんが狙われています)
&国を滅ぼすためにモンスターや
別の国の囚人を放ったりと悪いことはしているんだけど、
それはそれこれはこれって、この子が救われないなんて
絶対にそんなの世界が間違ってるだろ……って気持ちになってました。
私の気持ちを代弁するように、
「なぜそなただけが苦しまなくてはならないのだ」
というセリフがありましたが
ほんそれだよ!!!!!なんでだよ!!!!!ってなりました。
好き好んで悪事に手を染める人はいない
っていうのが私の信念なんですけれど、
たとえ今、人に対して嫌がらせをすることを至上の悦びとしていても
その人が幸福でないからこそそんなことを好むのだ
っていうのが私の思うところで
赤ん坊の頃から周りのものを傷つけたり苦しませることを
楽しいと思うことはないはずで、
そう思うようになる何かがあることが大半なんですよね。
そしてそういう回路が出来上がってしまったからこそ
悪事を喜ぶことってあるんだと思うし、
そういったもので喜ぶことで幸福としている人なら
まだ救われる段階ではないのかもしれないけれど、
無垢な時を思い出し、現在が不幸…というよりも
そうならざるを得ない道しか残されてなくて
苦しんでいる人がいるなら、
その人はまっさきに救われなくちゃいけないって思うんです。
善人だから救われるっていうのは絶対におかしい。
善人は善人であるからもう救われてるんですよ。(たぶん)
だけど悪人はここから変わっていかなくちゃいけない。
だからこそ救われなくちゃいけないんです。
内村鑑三が無教会主義を掲げていたけれど、
その無教会主義の話を聞いたのと同時に
他力本願であるところの浄土宗の救いの話に近いとあり、
それはとても素敵なことだなって思ったんですよね。
あー、ここからは長い話になってしまいそうだな。
読みたい人がいるのかどうかもわからないし、
お仕事にも戻らないとなので続きは書くかわかりません。
とりあえず「王様ランキング」はいいぞって話でした。
そんじゃまた!モイモイ。
この日記の追記を3/20に載せました。
救われるってことはオールオッケーってことじゃないんよ