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マツサカシダ・2~名前

 鹿島緑地の林内に生育する「マツサカシダ(松阪羊歯)」。イノモトソウ科イノモトソウ属の常緑性シダ植物で房総半島から太平洋岸沿いに九州までと島根県などに分布している。その名前は紀伊半島に自生していたものを伊勢松阪の植木屋さんが栽培して世に広まったことに因んでいる。オオバノイノモトソウに似ているが羽片はやや太く羽片中央部が白くなることが多い。羽片の縁は波のようにうねっている。
 さて三重県松阪市は『まつさかし』と濁らない。また漢字は“こざとへん”の『阪』を用いている。しかし史跡の松坂城は“つちへん”の『坂』でありいささかややこしい。この名が初めて付けられたのは天正16年(1588年)に遡る。戦国武将の蒲生氏郷がここに築城し、それまで居城にしていた松ヶ島城(松阪城の北約3キロ)の『松』と秀吉の大坂城の『坂』と合わせて松坂城と命名した。当時はこの辺りの地名も“松坂”となったが、明治22年(1889年)の市町村制の施行によって“松阪”に変えられた。その後は正式な文書等には“松阪”が用いられるようになったが今でも“松阪”と“松坂”は混在している。更にその読み方も市民の中には『まつざか』と濁る人もいるらしい。もっともどちらでもなく『まっつぁか』と訛るほうが地元らしい。ついでに言うと『まつさかうし』よりは『まつさかぎゅう』の呼び方のほうが個人的には好みではある。
 余談だが“大阪”はその昔は“小坂”だったが、大は小に勝るということで江戸時代では“大坂”と呼ばれるのが一般的になった。しかし幕末頃には、坂は土に返る(=死ぬ)とか、明治時代には士が謀反を起こす(士と反)ということで縁起を担いだのか明治元年(1968年)の太政官布告により大阪府が設置されて“大阪”が正式名となった。
 閑話休題、話をマツサカシダに戻そう。植物図鑑ではマツザカシダと濁っているが漢名では“坂”と“阪”の両方が見られる。このシダの名前は松阪市に因んだということなので、ここではマツサカシダ(松阪羊歯)と表記しておこう。
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オカタツナミソウ・2~果実

 長池公園の遊歩道脇で見られる「オカタツナミソウ(丘立浪草)」。シソ科タツナミソウ属の多年草で低山や丘陵地のやや日陰に生育している。5~6月に茎の上部に筒状の花を咲かせ、花後は唇形の萼片が皿状になり果実を包むようになる。写真は萼片の上唇が取れ掛けたところで中に黒い4分果がある。写真下には上唇が取れ果実が零れて残った下唇がある。
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