ここで筆者は今回の主題から離れて、平野啓一郎の「日蝕」にふれて、彼と大塚の生徒たちの作品の差は、物語の構造にあるのではなく(どちらもサブ・カルチャー的としています)、「学力(東大生の平野と偏差値45以下(大塚の言葉)の専門学校生」の差にあると述べています。
筆者はよほど学歴にコンプレックスがあるのかもしれませんが、平野と生徒たちの作品の差は「学力」の差に起因するのではなく、「教養」の差に起因するものだと思われます。
東大生でも「教養」のない学生はたくさんいますし(いやむしろ受験勉強の勝利者である彼らは「教養」に割ける時間は限定されているので、一般の人たちよりも不利かもしれません)、高学歴でなくても「教養」のある人はたくさんいます(おそらく筆者の生徒たちの中にもいたのではないかと思います)。
確かに、平野の小説には、1970年ごろに終焉したと言われる「教養主義」(詳しくは「教養主義の没落」の記事を参照してください)のしっぽみたいなものが感じられます。
そして、こういった「教養主義」の匂いは、筆者の生徒たち、いや筆者自身の作品にも感じられないのかもしれません。
さて、本題に戻って、再び村上龍の「五分後の世界」の「世界観」をもとに生徒が「創作」したプロットには、「行きて帰りし物語」の物語構造があると解説しています。
ここで、筆者が引用しているように「行きて帰りし物語」とは、トールキンの「ホビッとの冒険」(2012年に「指輪物語」と同じ監督が映画にしましたが、「ロード・オブ・ザ・リング」のようにはヒットしませんでした)の副題であり、その本の訳者である瀬田貞二の「幼き子の文学」の中で、小さい子どもにもわかる原初的な物語構造であるとされています。
そして、筆者はこの基本的な物語構造に基づいて創作すると、「主題(この場合は成長物語など)」が自然と出てくると述べています。
おそらく筆者は、「主題」などは初めから考えないでも基本的な「物語構造」をなぞって「創作」すれば、「主題」はおのずから現れると言いたいのでしょう。
それは確かにそうかもしれませんが、その時の主題は前にも述べたように非常に古くて基本的なものでしかありません。
もしそれで良しとするならば、「創作」を新しい「主題」のもとに創造するものではなく、お仕着せの「主題」で「創作」するルーチンワークに堕してしまいます。
「ブルーカラーの物語作者」を養成して金もうけをしようとしている筆者はそれで構わないかもしれませんが、教えられる生徒の立場に立てば暗澹たる思いがします。
筆者はよほど学歴にコンプレックスがあるのかもしれませんが、平野と生徒たちの作品の差は「学力」の差に起因するのではなく、「教養」の差に起因するものだと思われます。
東大生でも「教養」のない学生はたくさんいますし(いやむしろ受験勉強の勝利者である彼らは「教養」に割ける時間は限定されているので、一般の人たちよりも不利かもしれません)、高学歴でなくても「教養」のある人はたくさんいます(おそらく筆者の生徒たちの中にもいたのではないかと思います)。
確かに、平野の小説には、1970年ごろに終焉したと言われる「教養主義」(詳しくは「教養主義の没落」の記事を参照してください)のしっぽみたいなものが感じられます。
そして、こういった「教養主義」の匂いは、筆者の生徒たち、いや筆者自身の作品にも感じられないのかもしれません。
さて、本題に戻って、再び村上龍の「五分後の世界」の「世界観」をもとに生徒が「創作」したプロットには、「行きて帰りし物語」の物語構造があると解説しています。
ここで、筆者が引用しているように「行きて帰りし物語」とは、トールキンの「ホビッとの冒険」(2012年に「指輪物語」と同じ監督が映画にしましたが、「ロード・オブ・ザ・リング」のようにはヒットしませんでした)の副題であり、その本の訳者である瀬田貞二の「幼き子の文学」の中で、小さい子どもにもわかる原初的な物語構造であるとされています。
そして、筆者はこの基本的な物語構造に基づいて創作すると、「主題(この場合は成長物語など)」が自然と出てくると述べています。
おそらく筆者は、「主題」などは初めから考えないでも基本的な「物語構造」をなぞって「創作」すれば、「主題」はおのずから現れると言いたいのでしょう。
それは確かにそうかもしれませんが、その時の主題は前にも述べたように非常に古くて基本的なものでしかありません。
もしそれで良しとするならば、「創作」を新しい「主題」のもとに創造するものではなく、お仕着せの「主題」で「創作」するルーチンワークに堕してしまいます。
「ブルーカラーの物語作者」を養成して金もうけをしようとしている筆者はそれで構わないかもしれませんが、教えられる生徒の立場に立てば暗澹たる思いがします。
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