現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

わが谷は緑なりき

2019-02-20 16:46:11 | 映画
 1941年のアカデミー賞を5部門で受賞した作品です。
 ウェールズの谷間の炭鉱町で暮らす一家(父と五人の兄は炭鉱で働き、母と美しい姉と一緒に暮らしています)を、年の離れた末の息子(学校へ上がる前から物語は始まります)の視点で描いた作品です。
 そういった意味では、広義の児童文学作品と言ってもいいかもしれません。
 幸せだった一家(家族仲良く暮らして、一番上の兄には美しいお嫁さんも来ました)と炭鉱町(歌と信仰に生き、働けばきちんと生活できました)が、次第に崩壊していく(不況により労働力があまり、賃金が切り下げられたり、腕のいい高い給料の炭鉱労働者(主人公の兄たちも含まれます)から首になったりします。組合などをめぐる争いで、仲間割れもおきます。一番上の兄は落盤で死にます。姉は炭鉱主の息子に見初められて、不幸せな結婚(本当は地区の教会の牧師が好きでした)をします。他の兄たちも仕事を失って、世界各地へ移民に行きます。最後には、一家の柱だった父も落盤で死にます)姿を描いています。
 主人公が遠い過去を回想する形で描かれていて、おそらく百年以上前の社会が舞台なので、現在の視点で見ると、宗教観、労働観、ジェンダー観、恋愛観、結婚観、家族観などに理解しにくい点がかなりあり、女性蔑視や少年労働や炭鉱労働者への差別などに対する批判が不十分な点はありますが、実直に生きている一家が踏みにじられていく社会の不条理は、今でも十分に感じ取れます。
 それにしても、緑(幸せの象徴でしょう)と銘打つ映画を白黒映画で描いて、観客の想像力に訴えかけていく映像の力(アカデミー賞の白黒部門の美術賞と撮影賞を受賞しています)は、一見の価値があります。

わが谷は緑なりき [Blu-ray]
クリエーター情報なし
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後藤竜二「風にのる海賊たち」

2019-02-20 09:00:05 | 作品論
 炭鉱の閉山闘争に敗れて荒廃した北海道の町で、それぞれに苦しい状況を抱えた子どもたちが一年後に再会した二日間を、四人の子どもたちのそれぞれの視点で描いた作品です。
 1973年3月に出版された作品なので、70年安保の挫折を、作者がどう総括したかに興味があったのですが、かなり混乱している印象です。
 しいて言えば、学園民主化闘争や組合闘争とは距離を置いて、歌声運動や市民運動に活路を見出そうとしていることが読み取れます(巻末の解説によると、作者自身も、この作品を執筆している時には、それらの運動にのめりこんでいたようです)。
 明確な方向性は打ち出せずに問題点を投げ出しただけですが、それが作者の置かれていた正直な状況だったのでしょう。
 私はその年の四月に作者と同じ早稲田大学(彼は1966年卒業です)に入学したのですが、新左翼セクト間の内ゲバが過激化したきっかけの一つである川口くんリンチ殺人事件の後の、革マル対反革マルの闘争中の荒廃したキャンパス(入学式も中止になりました)で、同様に呆然とした気分だったことを思い出します。

風にのる海賊たち (児童文学創作シリーズ)
クリエーター情報なし
講談社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井上乃武「「批評性」と「文学性」」

2019-02-20 08:57:54 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 ナンセンスファンタジー作家の小沢正が、1966年に書いた「ファンタジーの死滅」(その記事を参照してください)という論文と、彼の代表作『目をさませトラゴロウ』におけるファンタジー観の問題について考察しています。
 発表者は、ファンタジーを現実の対応物と考えることに、違和感があるそうです。
 また、この発表では、テーマと異なるキャラクターの動きについても考えてみたいと思っているそうです。
 発表者が、小沢正の「ファンタジーの死滅」という評論に興味を持ったのは、その中に出てくる未完成という言葉からです。
 「ファンタジーの死滅」では、「子どもを発見したからこそ、ファンタジーが発生した」と主張していると、発表者は述べています。
 そして、「子ども」も「ファンタジー」も、近代あるいは近代が生み出した諸制度によって規定されているとしています。
 レジュメで引用した岡田淳のファンタジーは、小沢のファンタジー論の影響を受けていると、発表者は言っています。
 発表者の発表に対する熱意は伝わってくるのですが、時間配分ができてなくてすごく早口にレジュメを全部話そうとして、けっきょく尻切れトンボに終わってしまいました。
 質疑のときに発表出来なかった部分も触れられるように助け舟を出したのですが、その意図も理解できなかったようで答えもまとまっていませんでした。
 レジュメも、先行論文をよく調べてあって力作なのですが、小沢の論文や作品およびいろいろな先行論文からの引用が多く、発表時間に対してあまりにも長すぎてまとまりがありません。
 レジュメとは別に、発表用に要点をパワーポイントでまとめて説明するなどの工夫が必要だったと思います。
 以下は、レジュメの内容です。
1.はじめに
 岡田淳の「扉のむこうの物語」を引用して、「未完成」というタームを強調しています。
2.「ファンタジーの死滅」の概要
A.ファンタジーの由来(その背景)もしくは「子どもと文学」批判
B.「一つが二つ」論・<一つの物を二つにする機械>について
C.ファンタジー小説の限界(と可能性)について
3.「ファンタジーの死滅」の問題
A.「ファンタジーの死滅」についての言及
B.「子どもと文学」をめぐる問題
C.時代状況の影響
D.「まちが かわる日のうた」(注:「小沢の代表作「目をさませトラゴロウ」の巻末に掲げられた歌です)の解釈
E.テクスト内在的なファンタジー児童文学の可能性
4.「目をさませトラゴロウ」の問題
A.初出時の収録作品
B.前提としての「自己同一性」「子どもの自立性」というテーマが存在
C.「はじめに」の問題
D.「一つが二つ」
E.「食う」ことによる自己同一性イデオロギーの破壊
F.「目をさませトラゴロウ」の問題
5.ファンタジー児童文学の可能性について
6.おわりに――いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」をめぐる二通りの空想
A.「小人たちの物語」へ:天沢退二郎「二つの掟――いぬいとみこ作『木かげの家の小人たち』論――」
B.「人間たちの物語」へ:長谷川潮「小人像は中途転換した」
「まちが かわる日のうた」
 発表者があげてくれた先行論文は、それぞれ重要なものばかりですので、非常に参考になりました。

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)
クリエーター情報なし
理論社




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本侑子「巨食症の明けない夜明け」

2019-02-20 08:49:11 | 参考文献
 過食症を取り扱った小説ということで興味を持って読みましたが、実際には主人公である若い女性の、母親との葛藤や恋愛観(失恋など)を中心に描かれていて、過食症に対する実体験的な考察はあまりなくて、やや肩透かしを食った感じです。
 タイトルが「過食症」ではなくて「巨食症」となっているように、全体に言葉に敏感な文学少女っぽいスタイリッシュな作品で、作者がテレビに出演している若い美人だったということもあって、すばる文学賞を受賞時には、けっこう話題になったようです。
 おそらく過食症も彼女の実体験ではないのでしょうが、実際に摂食障害が1970年代の拒食症中心から過食症中心に移っていく1988年に出版されているので、題材としては非常にタイムリーで、その点では時代感覚に優れた人なのでしょう。
 その後、過食症に関する知見はかなり進んでいるので、現時点で読んでみると障害と原因の因果関係があまりに単純化されすぎている感はありますが、こういった同時代性を前面に出した作品(最近では2010年の新就職氷河期を鮮やかに切り取って見せた朝井リョウの「何者」など、その記事を参照してください)も必要だと思っています。
 児童文学の世界では、同時代の風俗を描くのはすぐ古くなるからと敬遠されがちなのですが、それを過度に恐れていては、同時代を生きる子どもたちと共有できるような世界は描けないと思います。

巨食症の明けない夜明け (集英社文庫)
クリエーター情報なし
集英社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする