現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

少年少女の名作案内 日本の文学 ファンタジー編

2019-02-17 09:38:50 | 参考文献
 2010年に出た日本児童文学のガイドブックのファンタジー編で、50作品が選ばれています。
 同様の本は1979年、1998年にも出ていますが、この本は日本児童文学者協会編という縛りが取れたせいか、選考範囲はかなりバランスのとれたものになっています。
 特長としては、戦前の児童文学作品(小川未明、宮沢賢治、浜田広介、新美南吉など)が復権したこと(従来のガイドブックは、1950年代以降の狭義の「現代児童文学」に偏っていました)、一人一作という総花的な縛りをなくして重要な作家は複数の作品を入れたこと(宮沢賢治(3作)、新美南吉、松谷みよ子)、単独作品だけでなくシリーズ物も取り上げたこと(ズッコケシリーズ、守り人シリーズなど)、2000年前後の新しい作品も取り上げられたこと(上橋菜穂子、伊藤遊など)があげられます。
 巻頭に、編者の一人である佐藤宗子が、「境界の向こうに広がる世界」というタイトルで、明治時代から現代までの日本のファンタジーの歴史について概観しています。
 また、各作品の評者は、編者たち(佐藤宗子、藤田のぼる)が属する日本児童文学者協会評論研究会のメンバー(必ずしも日本児童文学者協会の会員とは限りません)を中心に、日本児童文学学会の会員など、評論、研究分野の人たちがほとんどで、先行研究なども紹介しつつバラつきのないものになっています。
 この本に載っている作品を一通り(シリーズものを全部読むのは難しいですが)読めば、日本のファンタジーの世界を概観できると思われます。

少年少女の名作案内 日本の文学ファンタジー編 (知の系譜 明快案内シリーズ)
クリエーター情報なし
自由国民社
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皿海達哉「ナイフ」なかまはずれ 町はずれ所収

2019-02-17 09:35:39 | 作品論
 この作品も、主人公は普通の小学校六年生の男の子です。
 主人公は、学校対抗の野球の試合のメンバーにも選ばれず、クラスの女の子たちのいざこざ(リーダー格の女の子がなくした指輪を、別の女の子が盗んだのか、拾っただけなのか)にも巻き込まれます。
 男の子の世界でもうまくいかず(これも1976年の出版時期にはすでに変わっていたと思いますが、作者の子ども時代のころの学校対抗の野球の試合の持つ意味は、今では想像できないぐらい大きなものでした。なにしろ、他に盛んなスポーツがないので、男の子のほとんど全員がいっぱしの野球プレーヤーでしたから)、女の子たちにも相手にされない(しかも不運にもいざこざにまで巻き込まれてしまう)男の子の屈折した感情が見事に書かれています。
 20年後の1996年に、それまで野球を全く知らなかったあさのあつこ(本人が語っています)は、超人的少年ピッチャー原田巧を生みだして、「バッテリー」シリーズを1000万部以上売ることに成功しました。
 この間に、確実に児童文学は変貌をとげました。
 自然主義的文学からエンターテインメントへ、普通の男の子が共感できる男の子の主人公から、女性読者(大人も含みます)があこがれるヒーロー的な男の子の主人公へ。
 近代文学をベースにした「現代児童文学」は、こうして終焉しました。

0点をとった日に読む本 (きょうはこの本読みたいな)
クリエーター情報なし
偕成社

 
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後藤竜二 ぶん、長谷川知子 え「りんご畑の九月」

2019-02-17 09:33:22 | 作品論
 農家の子どもたちが、りんご泥棒を見張る話です。
 人間を信じることの大切さを伝える後藤の文もいいし、長谷川の絵もいつものように魅力的なのですが、どこかしっくりとしません。
 絵本というよりは、短編小説に大きな絵をたくさんつけたような感じなのです。
 絵本で一番大事な、ページをめくった時にどんな世界(絵)がひろがるかのわくわく感が、決定的に欠けています。
 その原因は、後藤の文にストーリー性が不足していることだと思います。
 そのため、美しいシーン(絵)はたくさんあるのですが、それらが十分に生かされていないように思いました。

りんご畑の九月
クリエーター情報なし
新日本出版社
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