現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

中脇初枝「うばすて山」きみはいい子所収

2019-02-24 10:16:38 | 作品論
 子どもの時に母親から虐待を受けていた独身のキャリアウーマン(雑誌の編集長をしています)が、今は認知症にかかって6歳までの記憶しか持たない母親を、いつも面倒を見ている妹から三日間だけ預かる話です。
 この話でも、6歳の時に幼女に出されて虐待を受けていた母親が主人公を虐待するという因果律に、作者は縛られています。
 これでもかこれでもかと、次々に書かれている虐待のエピソードも、認知症の母親の介護の大変さも、どこか絵空事で心に響いてこないのは、肝心な部分でのリアリティがないからでしょう。
 まず、長年母親の面倒を見ていた妹が、三日間とはいえ八年も母親に会っていない主人公に母親を預けるでしょうか?
 今はきちんと探せば、介護保険を利用してリーズナブルな価格で、ショートステイなどのサービスを受けられます。
 ましてや、母親が主人公だけを虐待していて、妹はかわいがられていて実家の団地のそばに家を建て同居までしている設定なのですからなおさらです。
 また、この作者の大きな欠点なのですが、父親像があまりに不鮮明で、なぜ教師をやっていた母親が専業主婦になったかが不明確です。
 このことは、虐待をするようになった一つの理由なのですから重要です。
 その他、様々なご都合主義な設定(なぜ両親は団地暮らしを抜け出せなかったのに、母親は教師の資格を活かして共稼ぎをしなかったか? なぜ、これだけ束縛していた娘を関西の大学に行かせたのか?など)があるのですが、中でも主人公が母親のただ一つの優しかった思い出を心に秘めて生きていこうというラストには苦笑を禁じえません。
 作家の年齢からすると、この短編集で書かれた様々な今日的問題(児童虐待、認知症の親の介護、障害を持った子どもの養育、ネグレクトなど)はおそらく実体験ではないでしょうし、またそれほど切実なテーマですらないのではないでしょうか。
 これらの問題は、ひとつひとつ現代において深刻で重要な事柄なので、このように単なる小説のネタとして扱ってほしくはないと思います。
 おそらく、この作家の主な読者である若い女性たちは、一つ一つ丹念にエピソードを重ねてリアリティを追求するような作品より、情緒的で単純な因果律で割り切れるこの作者のような書き方の方が好まれるのでしょうが。

きみはいい子 (一般書)
クリエーター情報なし
ポプラ社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする