南北朝時代、鹿児島に進出した島津氏の最初の城
1341年、北朝に味方する「島津家第5代貞久」が、東福寺城にこもる「鹿児島郡司 矢上一族」を滅ぼし、約40年間居城した後に清水城・内城等を経て、関ヶ原後は鶴丸城へと移る。
「鶴丸城・城山公園」は、前回と前々回に攻略していたので、何処にも寄らずに帰る予定だったのだが、桜島の噴煙を眺めたあと、鹿児島港北埠頭近くで、「東郷平八郎元帥」の銅像と墓がある多賀山公園に寄ってみたら、そこに「東福寺城跡」もあったのだ。
朝、ホテルから納品に向かう途中「天守閣」を発見!!
帰りに探したのだが、入り口の案内板らしきものも無く、道行く人に訪ねたら『「うえの城?」だそうだが、詳しい事は判らない?』と言うのだ。近くの花屋さんで聞いたら、そこは何の歴史的背景も無く、不動産屋さんが「結婚式場?」として造ったもので、現在は事務所として使用しているとの事。りっぱな天守閣ではあるが、「日本の城シリーズ」に加える訳にもいかず、寄ってはきませんでした。
1341年、北朝に味方する「島津家第5代貞久」が、東福寺城にこもる「鹿児島郡司 矢上一族」を滅ぼし、約40年間居城した後に清水城・内城等を経て、関ヶ原後は鶴丸城へと移る。
「鶴丸城・城山公園」は、前回と前々回に攻略していたので、何処にも寄らずに帰る予定だったのだが、桜島の噴煙を眺めたあと、鹿児島港北埠頭近くで、「東郷平八郎元帥」の銅像と墓がある多賀山公園に寄ってみたら、そこに「東福寺城跡」もあったのだ。
朝、ホテルから納品に向かう途中「天守閣」を発見!!
帰りに探したのだが、入り口の案内板らしきものも無く、道行く人に訪ねたら『「うえの城?」だそうだが、詳しい事は判らない?』と言うのだ。近くの花屋さんで聞いたら、そこは何の歴史的背景も無く、不動産屋さんが「結婚式場?」として造ったもので、現在は事務所として使用しているとの事。りっぱな天守閣ではあるが、「日本の城シリーズ」に加える訳にもいかず、寄ってはきませんでした。