社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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歴史模擬授業(第30回 第二次世界大戦の後)②-1 戦後の日本の民主改革

2014年01月09日 00時13分02秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業(旧)の続きを久々に更新いたします。遅くなってしまい申し訳ありません。

詳細は,前の記事をご覧ください。

※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

第30回 第二次世界大戦後その1 戦後の日本の民主改革

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

「では、今回は第二次世界大戦後の歴史を見ていきましょう。」

「この時代って、わたしたちのおじいさん・おばあさんやお母さん・お父さんたちが

もう生まれていた時代なんだよね。この時代を知れば、お母さんたちと色々お話できるかも。」

「そうね。私も母や祖父から戦後の生の話を聞いて(祖父には戦前・戦争中の話も)色々と考えさせられたわ。

だから、機会があったら、ぜひ、その時代を生きた人たちに聞いてみてね!」

「はい!」

 

「今回は、戦争直後の日本を見ていきます。

戦争中の日本は、「戦争は良いもの」として、戦争中心の生活をしていました。

また、軍部の独裁がおこなわれ、民主主義の精神は失われつつありました。」

「そうだったね・・・。」

「それで、戦後の日本を、連合国民主化改革をしていくことになります。

日本が降伏したあとは、連合国軍が日本を占領しました。

そのさい、連合国軍の最高司令官となっていたのは、アメリカマッカーサーという人でした。」

「マッカーサーという名は聞いたことがあるよ。」

「そして日本は、連国軍総司令部(GHQ)の指示のもと、民主化を行っていきます。」

「民主化が行われたんだ。」

「戦争のためにすべてをつくせっていう状態に日本はだんだんとなっていったもんね。」

 

連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の軍隊を解散させます。

また治安維持法を廃します。

そして、1945年、選挙法が改正されて、ついに、女性にも選挙権が与えられるのです。」

「おお!戦後になってついに女性に選挙権が!」

満20歳以上の男女に選挙権が与えられました。」

「あ,年齢制限も下がった。25歳から20歳に。」

「この選挙権の条件は、よく入試にでますので、よく覚えておきましょう。」

「はい。」

 

「また、さまざまな分野の民主化が行われます。

 

経済での民主化は、財閥解体(ざいばつかいたい)という改革が行われます。

当時の財閥は、戦争に協力的だったので、財閥を解体すること(財閥という大きな存在をなくす)で、

戦争に結びつきやすい勢力を少しでも減らそうとしました。」

「そういえば、昭和時代の戦前で財閥は戦争に協力的な方だったと言っていたね。」

 

「また、農業の方でも、農地改革(のうちかいかく)というものを行いました。

これは、地主のもつ小作地に大部分を政府が強制的に買い上げ、

土地を持たない小作人に安く売り渡すようにした政策なの。」

「ほえー。」

「農地改革のおかげで、土地をもたないで農業をやらされていた人々(小作人)が

、自分の土地をもって農業ができるようになったの。

教科書的に言うと、小作農の多くが自作農になった。」

 

「つまり、大きな組織や、一部だけお金が集中していたという、貧富の差が激しい戦前(~戦中)の状態から、

 みんなでがんばろう!としたのね。」

「まさに、みんなでがんばる、ってのが民主主義らしいね。」

 

「また、労働の条件も良くなりました。

労働者が団結して不利な条件と戦うことができるとした労働組合法や、

労働条件の最低基準を定めた労働基準法などが定められたりね。」

「ほえー。これで、つらい強制労働からやっと抜け出ることができたんだね。」

 

「ほかにも、教育の民主化が行われました。

教育基本法が定められ、戦争を中心とした教育から、民主主義の教育になりまいsた。

また、義務教育が9年に伸び、男女共学、6・3・3・4制(小学校6年、中学3年、高校3年、大学4年という制度)

などもできました。」

「まさに今のような教育の形になったんだね。」

 

「そういうことね。

あと、とても重要なものが定められます。」

「?」

「どんなに民主化していっても、国の中心となる基本となるきまりが民主化できていなければいけない。」

「国の中心となる基本のきまり・・、あ、憲法?!」

「そう、憲法。憲法も、民主化され、新しい憲法が定められます。

それが、日本国憲法(にほんこくけんぽう)。

日本国憲法は、1946年11月3日公布され、翌年の1947年の5月3日施行されます。」

「公布?施行?」

「公布っていうのは、国民にその内容を公表すること。施行とは、そのきまりに従って実際に動くことです。」

「なんで、公布してすぐ施行しないの?」

「ほら、今までと全然違う決まりだから、勉強したりする必要があるのよね。」

「あ、そっか。だから、半年後なんだ。」

「日本国憲法の公布・施行の年月日はよく出るので覚えておきましょうね。」

「はい。」

「あと、日本国憲法には3大原則という、3つの柱があります。

それが、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義です。」

「ほえー。」

国民主権とは、主権は国民にある、ということです。

つまり、民主主義の考えの基本で、国民中心の政治を行う、ということになります。

 

基本的人権の尊重というものは、人間が誰しも生きるためにだれでも持っている権利です。

「平等」に、「自由」に生きる権利があり、だれでも、政治に参加もできるし、裁判も受けられるし、

最低限の生活を営む権利だってあるでしょ。そういうすべての権利をひっくるめて基本的人権と言い、

それを尊重したのです。

 

平和主義は文字で大体の内容は予想できるかな?

今までの戦争中心の考え方から180度かわって、戦争をしない!とした考え方なのです。」

「ほえー。」

「この三大原則もよく出るから覚えましょう。」

「はい。」

 

「で、このGHQによる民主化が行われていたときは、日本は日本ではなく、連合国軍に占領されていました。

しかし、数年後に日本は独立します。それには、国際的な問題がからんでくるのです。

あらたな戦争状態の幕開けです。」

「え・・・。戦争は終わったのでは・・。」

 

「では、今日はここまで。次回は日本の独立と、国際関係を行います。ではでは、起立・礼。」

 

「ありがとうございました。」

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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
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2014年01月09日 00時11分32秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業(旧)です。

下書き保存していたまま放置していた昭和時代を,何回かにわけてアップしています。

 

 

さて,歴史模擬授業は中学受験でよく出る時代の歴史分野の授業です。

 

今回は,昭和時代です。

今回はそのことについての授業をさせて頂きたいと思います。

文字数の関係で授業内容は別記事でのアップになります。

 

 

ーーーーーーーーーーーー


 <歴史模擬授業について>

「歴史模擬授業」という記事を更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。。

読むときに、

 

 →先生、

→生徒その1(ひなちゃん) 

→生徒その2(はむちゃん)

→生徒その3(ねこちゃん)

 

だと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学受験をする小5~6年生の授業(塾)だと思ってください。




今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
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不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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歴史模擬授業(第29回 第二次世界大戦)②-3 第二次世界大戦のはじまり  

2013年12月17日 22時00分15秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業の続きです。

 

第27回 第二次世界大戦

詳細は12月9日の記事をご覧ください。

※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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「さて、では今日は第二次世界大戦を行います。」

「はい。」

「地図帳を開きながら聞いてね。(ヨーロッパの地図を見て,国の位置を確認しながら聞いてね)

日本が日中戦争を行っている最中、

ファシズムの体制をとった、イタリア・ドイツも次々と、他の国に進出していきます。

ドイツは、近くのオーストリアやチェコスロバキアなどを併合(この場合、ドイツ領にすること)します。」

「え・・・、近くの国を自分のものにしていったの・・。」

「で、ドイツは,ソ連不可侵条約というお互いに相手の国を侵略しないことを約束する条約を結びます。

 そうすれば、ソ連の近くの国までドイツは進出しても、ソ連自身はドイツを攻撃しないともいえます。

 そのため、ドイツポーランドにまで進入します。」

「どんどん侵入していくね・・・。」

「しかし、ポーランドは、イギリス・フランスと同盟を結んでいた。」

「え・・・となると・・・、それって・・・。」

「ドイツのポーランド侵攻により,イギリス・フランスドイツに宣戦布告(戦争をするぞ!と宣言するようなもの)します。」

「う・・・。」

「そして、ついに、1939年第二次世界大戦がはじまります。」

「ついに始まっちゃったんだ・・・。」

 

「これで、また世界中を巻き込んだ戦争が始まる。

 日本は、中国を援助するアメリカ・イギリスと対立した。

 また、ドイツがフランスに勝ち、フランスのパリを占領しました

 日本は、フランスがドイツに敗れると、

 フランスの植民地であった東南アジアの国々(フランス領インドシナ)に軍隊を送ります。」

「もう、ぐっちゃぐちゃだ。」

「あれ?第一次世界大戦で勝っていたフランスが負けてる・・。」

 

「そして、ファシズムのあの3つの国(日本・ドイツ・イタリア)は、同盟を結びます、

その同盟を、日独伊三国軍事同盟(1940年)と言います。独がドイツ、伊はイタリアを指します。」

「日本とドイツ・イタリアが手を完全に結んだんだね。」

「それで、ドイツ・イタリア・日本 VS イギリス・アメリカ という構図がより激化します。」

 

「あれ?ソ連は?」

ソ連は、ドイツとは不可侵条約を結んでいるという話をしたよね。

 実は、日独三国軍事同盟を結んだ翌年の、

1941年4月には日本とソ連も条約を結び、お互いは戦争しないようにしよう、としているの。

それを日ソ中立条約と言います。」

 

「じゃあ、ソ連はずっと何も参加しなかったの?」

「いや、それが、1941年6月にドイツ軍は、ソ連と結んだ不可侵条約を破って、ソ連に侵攻し始めたの。」

「え?!」

「で、それで、アメリカとイギリスが、民主主義をファシズムから守ろう、として、

それまでは対立関係のあった社会主義のソ連へ協力と援助を始めた。」

「ソ連はアメリカ・イギリス側についていったんだ・・。」

「うん。

ただ、まだ日本とソ連は中立条約を結んだ状態だから、ソ連と日本は戦っていない。

これは覚えておいて、あとで重要になってくるから。」

「はい。」

「日本は、東南アジアのインドシナ南部にどんどん攻め込んでいくの。

そうしたら、アメリカイギリス・中国・オランダと協力して、

日本に対して経済制裁(けいざいせいさい)を行います。つまり、経済的に日本に打撃をあたえようとする。

たとえば、日本へ石油の輸出を禁止したりね。」

「日本は石油がほとんど取れないから、それは大変だよ!」

「このようなアメリカ・イギリス・中国・オランダが行った日本への経済制裁を、、

4つの国の頭文字をとって、ABCD包囲陣と言います。(アメリカ:America イギリス:Britain 中国:China オランダ:Dutch)

あまり出ないですが、ときどき難関私立中学入試では出るので、覚えておくにこしたことはないと思います。」

「はい。」

 

「日本は石油が入ってこなくなったから、困った。それで、アメリカと交渉します。でも、交渉がうまくいかない。」

「え・・・え・・・それじゃあ、日本はどうなってしまうんだろう。」

「このあと、日本はついにアメリカを攻撃してしまうのです。」

「え?」

「それが1941年12月8日。日本軍は、ハワイの真珠湾(パールハーバー)を攻撃します。

そして、そのあとで、アメリカ・イギリスに宣戦布告して、アメリカと戦争を始めます。

その戦争を、太平洋戦争と言います。」

「この戦争の名前、聞いたことがある・・。」

 

「日本は中国とも戦争し、東南アジアにも軍隊を送り、アメリカとも戦争を始めた。」

「もう、おそろしいかぎりの戦争一色だよね・・。」

「最初は、日本軍は負けてはいなかった。

しかし、1942年6月のミッドウェー海戦で日本はアメリカに敗れてから、

日本はだんだんと負けて、

後退を続けることになる。

そのため、東南アジアからの物資の輸送が難しくなり、生活必需品の国内生産もゆきづまってくる。」

「そうだったんだ・・。」

「それでも日本は勝つことをあきらめずに、戦争を続ける。だんだんと食料も日用品も少なくなっていく。

そのため、日本は、食料や生活用品が配給制(割り当てが決められ、配り与えられること)になります。

また、それまでは大人の男性だけが戦争に行っていたのに、学生までが戦場に送られることになったのです。

そのことを学徒出陣(がくとしゅつじん)と言います。

さらに、そうすると人数がすくなるので、労働力を補うために、兵役についていない15歳から50歳の

男性は軍事工場で働かされ、中学生や女学生は勉強を中止されて、さまざまな職場で働かされることに

なりました。」

「えええええ。」

「みんな辛かったんだろうな・・。嫌々,戦争をやっていたんだろうな。」

「それが、多くの人は、それが正しいことだと思い、喜んで、戦争に行ったり働いたの。」

「え・・・」

「もちろん、全員ではないかったけど、多くの人は今回の戦争は正しいものだと思っていた。

なぜなら、政府は、日本がどんどん戦争に負けていることを報道しず、

「お国のために頑張るのが日本人のあかし」という状態になっていたのです。」

「え・・・。」

「大人なら、まだ判別がつくかもしれない。でも、子どものころに、それが正しいと教えられ続けたら・・・

そう思っても無理がなかった。そのために、多くの人々が、戦争を正しいものだと信じて、

戦争で命を落としていった・・。」

「そんな・・。」

「教育というのは、とてもおそろしいものなの。

使い方次第で、天使にも悪魔にもなる、おそろしいもの。

だから、教育というのは、国にとって宝であり、その宝を平和のために使っていく、というのが

現代のわれわれ教育者の使命だと思う。

この戦争中のような、戦争を良しとする教育は二度としないよう、気をつけないと・・。」

「はい。」

「では,第二次世界大戦の経過の説明に戻るね。

1943年にはイタリアが降伏します。残るはドイツ・日本のみになります。」

「え・・・。」

「1944年7月にはサイパン島がアメリカ・イギリスひきいる連合国に占領されます。

そうすると、サイパンからアメリカ軍の飛行機が飛ぶことができます。

それまでは、燃料の関係で、日本に直に飛行機を飛ばすことができなかったけれど、

サイパンからなら、行きやすくなったのです。」

「え・・ということは・・・。」

「そう、つまり、アメリカの大型爆撃機による、大規模な日本本土への空襲が始まる。」

「そんな・・・。」

「これは、一般市民が多く犠牲になるということなのです。」

「こわい・・・。」

「空襲の多くは、工場などがある都市部で行われるので、少しでも安全だと思われる田舎に、

小学生だけでも集団で避難させます。そのことを、学童疎開(がくどうそかい)と言います。」

「そうなんだ・・・。」

「中学の国語で「夏の葬列」という小説を習う学校が多いと思いますが、これは学童疎開をしていた

先でおこった悲しい出来事をモチーフにしたお話です。主題は、人間のエゴイズムを批判したものですが、

これも戦争というものさえおこらなかったら、おこらなかった事件なので、これを読むことで、

戦争の悲劇を感じます。」

「そうなんだ・・。」

「そして1945年3月には、東京が焼夷弾という爆弾が落ちたあたりをすべて焼きつくすという

おそろしい兵器による無差別爆撃を受け、一般市民を中心にして、一夜にして約10万人が犠牲になりました。」

「・・・・・。」

「また同年5月には、大阪や名古屋などの主要都市も攻撃をされ、ほとんどが焼け野原になっていきます。」

 「え・・、私たちの地元の名古屋も・・。」

「そして、地方の都市にも空襲が広がっていって・・。」

「考えるだけで、すごく怖い・・。」

「もう、人々は空襲におびえ、食料も少なく苦しく、

それでも「日本が勝つ」「お国のため、天皇のため」と信じ、こらえていた。」

「政府が正しい情報を国民に伝えていれば・・と思うと・・。」

 

「そして、同年4月、ついに、アメリカ軍は、沖縄に上陸します。

それは何を意味するか、これはとてもおそろしいことなのです。」

「え・・・。」

「これにより、さらに多くの犠牲者が出てしまうのです。

戦争がどんどん激化してしまっていて・・。

また、たとえ戦死しなくても、

「アメリカはおそろしいことをする国なんだ。だから、つかまったら何をされるかわからない。

また、日本国民として、恥ずかしくないよう、敵につかまるぐらいなら集団自決(集団で死ぬということ)をする。」

ということを正しいと信じ、集団自決をしてしまう沖縄の人々もいました。 」

「え・・・・。」

「そして、実は、太平洋戦争が終わった8月以降である9月まで沖縄では戦争が続いていたの。

このため、多くの沖縄県民が犠牲になるという悲惨な結果になった。」

「・・・・。」

「私は、沖縄に旅行に行ったことがあるんですが、激戦地に行き、沖縄の生の声を聞いたことがあります。

 そのときに、これは本当に生々しく、どんな理由があろうと絶対に戦争を起こしてはならない、と

 思った。戦争の一番の犠牲になるのは、何も罪もない一般市民なんだ、と。」

「そうだよね・・。」

 

 

「沖縄は、1945年4月にアメリカ軍が上陸し6月に占領されます。

もう、日本の負けは連合国から見たら、明らかでした。しかし日本は降伏しない。

その同時期あたりに、5月にドイツは降伏をします。」

「ついに、ドイツまで・・。」

「そのとき、問題がおきた。

ドイツは、ソ連と連合国(アメリカ・イギリス中心)に,はさまれた状態のまま、

降伏をしたため、ドイツを負かしたのは、ソ連か連合国か?という問題が出てきた。

これは、戦後に、どこの国がその敗戦国の主導権を握るか、という大きな利権問題が出てくる。

ここから、ついに、ソ連アメリカの対立が表面に出てきます。」

「そうなんだ・・・。」

「このソ連とアメリカの対立は、日本にさらなる悲劇をもたらします。」

「え・・?」

「これから話すことは1つの説なので、あくまで1つの説だと思って聞いてね。」

「はい。」

「戦争で、あと降伏していないのは日本だけなんです。」

「あ・・・。」

「じゃあ、日本はどの国が日本を降伏させた、かが重要になってくるでしょ。」

「・・・・。」

 

「7月に、ドイツのポツダムという場所で、連合国軍は会議を開き、ポツダム宣言というものを発表します。

この宣言を、日本に受け入れてもらい、日本は無条件降伏するように求めます。」

「そうだったんだ・・。」

「でも、日本はポツダム宣言を受け入れない、降伏もしない。」

「・・・。」

「そうすると戦争が続くよね。戦争が長引くとなると、それだけ,日本も,アメリカなどの連合国の国々のそれぞれの犠牲者も多くなる。」

「うん。」

「そんなときに、アメリカである新しい兵器が生まれていたんです。」 

「え?」

「それが、原子爆弾というもの。

アメリカはそれを8月6日広島に投下します。」

「え・・・。」

「原爆の威力は、予想をはるかにしのぐ、おそろしいものでした。

多くの人が一気に命を落とし、町の建物もほとんど吹き飛んでしまいまいました。」

「・・・・。」

「これでアメリカは、さすがの日本も降伏すると思った。でも日本は降伏しない。」

「え・・・。」

「そんな矢先、日ソ中立条約を破って、ソ連が8月8日に日本に宣戦布告した。」

「あ、、さっき覚えておいてといっていた日ソ中立条約」

「また、アメリカは、2つ目の原子爆弾を8月9日長崎に落とします。」

「え・・・。」

 

「この原爆の犠牲者は広島では14万人、長崎で7万人に上り、その後も犠牲者は増え続け、

今でも、この原爆により放射能による障害に苦しんでいる人がたくさんいます。」

「・・・・。」

「もう日本は、もうダメだ、と思い、8月14日ポツダム宣言を受け入れます。」

「日本はもういっぱいいっぱいな状態だったよね・・。」

「うん。しかし、報道捜査により,日本国民は戦争に負けていたことを知らない。ずっと戦争は勝ち続けていたと

信じている、だから、日本は負けました、など簡単に言っても国民は信じないだろうと思った。 

 そこで、全国民が一瞬で信じるようにするにはどうすればいいか、を政府は考えた。」

「え・・全員が信じる・・?」

「当時の日本人に一番の中心は、「天皇」だった。」

「あ・・・。」

「だから、天皇に、戦争が終わったことを発表してもらえれば、国民は信じ、納得するはずだ。

そこで、8月15日、天皇がラジオ放送で日本の降伏を伝え、長きにわたる戦争は終了します。」

「・・・・。」

「8月15日に戦争が終結したことから、現在は、8月15日終戦記念日とします。

(ただ、沖縄は9月まで戦火が続く、と悲劇的な状況が続いていました。)」

「お盆の最後の日(15日)の終戦記念日とは、この日のことだったんだね・・。」

「ええ。そして、ほとんどが焼け野原化した日本がこれから、60年でどのように現代にようになっていったかを

次はみていきましょう。」

「はい。」

「では、ここで終わります。起立、礼。」

 

「ありがとうございました。」

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歴史模擬授業(第28回 第二次世界大戦 前)②-1 満州事変から日中戦争  

2013年12月10日 23時32分42秒 | 歴史☆模擬授業

前回の歴史模擬授業(旧)の続きです。

 

歴史模擬授業(旧)第27回その2 

第二次世界大戦 前 満州事変から日中戦争

 

詳細は,12月9日の記事をご覧ください。

※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
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「では、今回は続きを行います。

日本ファシズムの道をどのようにたどり、軍部が力を握り、戦争に突入していったかを見ましょう。」

「はい。負の歴史を学んでいくんだね。」

世界恐慌以後、日本では、不景気が続き、大陸(おもに中国やその周辺を指す)に進出して植民地を増やして、

少しでも不景気から抜け出そうという意見が、軍部の中で広まっていきます。

とくに「日本の生命線」と呼ばれていた満州という、中国の東北一帯の地域を侵略して、

不況で苦しんで政治に不満を持っている日本国民たちの目を満州にそらそうとしたのよ。」

「いつでも、はやく不況の対策をしろ!不況なのは政府が悪い!という風潮はあったのね。(もちろん、景気対策は政府の役目です)」

「しかし、景気対策において過激な考え方をする人たちが現れたのね・・。」

「・・・。」

「で、ついに軍部が行動にうつすんです。突然、植民地を得るために攻撃したら、世界から大非難でしょ。

そこで、あきらかに相手が悪いから攻撃をしました、それで植民地にしました、と言えば良い、と考えました。

日本は、1931年に南満州鉄道を爆破し、それを中国のしわざとして、軍事行動に出て、

満州全土を占領してしまいます。そして、1932年には、その地に満州国という国をつくります。

その一連のことを、満州事変と言います。」

「うーん・・。」

「満州国は、中国の最後の王朝のの最後の皇帝、溥儀(ふぎ)と言う人物を満州国の皇帝に立てました。

清の皇帝の民族は、満州と同じ民族だったので、日本はその民族のための独立国をつくった、と言いはります。

しかし独立した国だとは言え、日本政府がその実権を握っていました。(これは悪いことです。)」

「日本にとって、都合の良い国をつくったってことだね・・。」

「しかし、国際連盟が、これっておかしいのでは?と思い、満州に調査に来ました。

その調査団のことをリットン調査団と言います。」

「平和を守る組織、国際連盟が来たんだ。」

「で、調査したら、鉄道を爆破したのは日本軍だろう、ということがわかった。

なので、国際連盟は日本に、満州から軍隊を引き上げるよう、命令をしました。」

「日本のやり方がばれちゃったのね・・。」

「そうしたら、日本はそれに反発して・・・」

「反発して・・・どうしたんだろう・・?」

「なんと国際連盟を脱退してしまうんです!」

「え??!!」

「これで、日本はどんどん世界から孤立化してしまう。」

「そうだよね・・。」

「そして、日本国内でも軍部の力が強くなっていきます。」

「・・・。」

 

 

「しかし、軍部の力が強くなることを良しと思わない人たちもいた。

その一人が、当時の内閣総理大臣の犬養毅(いぬかいつよし)。」

「あ、大正時代に護憲運動をしていた人だったよね。政党政治を目指していた、と言ってた。

昭和で出る、と先生が言っていたのはこのことだったのね。」

「しかし犬養毅の努力はむなしく、1932年5月15日に犬養毅首相は、海軍将校(かいぐんしょうこう)に

暗殺されてしいます。」

「え・・。」

「この犬養毅が暗殺された事件を、事件がおこった日からとって、五・一五事件(ご・いちごじけん)と言います。」

「これじゃあ、軍部に文句つけたり対立するようなことを言ったら、軍部に殺される、ということになるんじゃ・・。」

「そうなの。この五・一五事件によって、民主主義の象徴であった政党政治が終わり、

政治に対しての軍部の圧力が強まったの。」

「こわい・・・。」

 

 

「しかし、まだこの段階では政党はまだ存在していたし、内閣は内閣、軍部は軍部ではあった。

それが、ついに、政党にかわり、軍部が政治を動かすようになるきっかけとなった事件がおこる。

それが二・二六事件というもの。」

「え・・・。」

二・二六事件は、1936年に、陸軍将校(りくぐんりょうこう)が部隊をひきいて、

首相官邸などを襲撃し、内大臣や大蔵大臣(今で言う財務大臣)などの大臣たちを殺害し、

平氏超などの東京の中心地を占拠した事件なの。(総理大臣は奇跡的に殺害されなかった。)

しかし、この事件は失敗にはおわった。」

「すっごくこわい事件なんだね。」

「うん、これは当時の映像も残っていて、以前テレビでこの事件の特集の番組を

見たことがあるんだけど、異様な雰囲気で、さすがに怖かった・・。」

「映像が残っているんだ・・。」

「うん、そのときに雪が降っていたというイメージが私は焼きついたから、

五・一五事件と二・二六事件が逆にはならなくなったよ。ほら2月には雪が降るけど、5月は雪が降らないから。」

「怖いのに、目をそらさずに、まっすぐ映像を見ることは、勉強で忘れないイメージをつけるのにも大切なんだね。

そうだよね、これは私たちが忘れてはならない負の歴史だから、イメージもつけて忘れないようにしなければ・・。」

 

「この二・二六事件のあと、政治権力は軍部が握ります。・・ということは、日本はどのようになっていくと予想できる?」

「戦争を行う?」

「悲しいことだけど、そういうことになるよね・・。それで、事件の一年後の1937年に、日本は戦争を始めます。

戦争の相手国は中国。中国の北京の近く、盧溝橋(ろこうきょう)という場所で日本と中国の両軍が衝突して

戦争がはじまります。その戦争のことを日中戦争と言います。

日本軍は、その戦争をしていくなかで、当時の中国の首都であった南京(なんきん)では、

多数の中国人 を殺害し、世界から非難をあびました。

その南京での事件は、南京事件(南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ))と言い、この事件は、現在まで論争になっている事件です。

なので、非常に難しい問題です。」

「・・・・・・。」

「この日中戦争では、アメリカやイギリスは中国を援助します。そして、双方とも決着がつかず、戦争は長引いていきます。」

「・・・。戦争が長引くということは、それだけ被害も広まるよね・・。」

 

「この日中戦争で日本が戦争を行っている最中、今度はヨーロッパの方で大きな事件がおきます。

それが、ドイツの動きです。それを次回行います。

この時代は、現在まで続く、とってもデリケートな話が多いです。しかし、私たちは平和主義の観点から

二度とこのような悲劇が起きないように、この時代を学びましょう。」

「はい、目をそむけたくなるような内容だけど、きちんと学んで、二度と過ちを繰り返さないようにしたいと思います。」

「一緒にがんばろうね。ではでは今日はここまで。起立、礼。」

  

「ありがとうございました。」

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※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
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歴史模擬授業(第27回 第二次世界大戦 前)②-1 世界恐慌  

2013年12月09日 22時09分54秒 | 歴史☆模擬授業

 

歴史模擬授業(旧) 第27回 第二次世界大戦前 2-1 世界恐慌です。

詳細はこちらの前の記事(ご注意)をご覧ください。

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「さて、今日は昭和時代を行いましょう。」

「ついに、昭和時代!」

「平成も一部は行うけど、昭和でほとんど習う歴史は終わるので、あと一息、がんばりましょう!」

「はい!」

「昭和時代は、長いうえに、ある時を境にして180度社会状況がかわっていくので、

大きく3つに分けます。

 

第二次世界大戦(戦前)

第二次世界大戦

第二次世界大戦(戦後)

の3つ。

よく戦後、という言葉はこれから使うけど、それは、第二次世界大戦後のことを指すので、

覚えておきましょう。」

「はい。」

 

 

「では、今日は、第二次世界大戦前の、戦争がおこる原因・きっかけを見ていきましょう。」

「第一次世界大戦は、植民地の取り合いだったのが戦争がおこる背景にあったけど、

 第二次世界大戦はどうだったんだろう?」

「ではでは、始めます。

第二次世界大戦が、はじまるきっかけとなった1つには、

世界規模の大不況(大不景気)がおこったからと

言われています。

多くの国が、景気対策をしていくんですが、だんだんといきづまっていき、

それが限界に達したと時に戦争がおこってしまいます。

第一次世界大戦同様、その背景には、

植民地の取り合い、世界の覇権争い(はけんあらそい:誰が一番になって、世界をまとめるか、という争い)がありますが・・・。」

 

「世界規模の大不況がおこったんだ・・。」

 

「1929年にアメリカのニューヨークで、数年間上昇していた株価が突然、大暴落してしまいます。

それがきっかけに、アメリカは大不景気になってしまいました。」

「なんか・・・、何年か前のアメリカから始まった不景気と似ている・・。(独り言)」

 

「で、この不景気はアメリカだけの問題だけではなかった。

実は、第一次世界大戦でヨーロッパの国々はお金をたくさん使ってしまった。

イギリスやフランスは、アメリカの資金援助や、

ベルサイユ条約で決められたドイツからの賠償金を頼りに、戦後の復興をしていた。

ドイツは賠償金を出すお金がなかったから、お金をアメリカに借りて、

それでイギリスやフランスに賠償金を払っていた。

また、アメリカは世界各国と貿易をして、日本もアメリカと貿易をしていました。」

 

「つまり、この当時はアメリカに、世界のほとんどの国がおんぶにだっこだったのね・・。」

「そうなると、ほとんどの国を支えていたアメリカが倒れたら、共倒れになっちゃうよね。」

「あ、つまり、アメリカが不況になれば、アメリカと関係のあった国も不況になってしまう?!」

 

「そういうことなの。

アメリカのこの株価大暴落をきっかけに、世界中に広がった大不況を

世界恐慌と言います。」

「日本も不景気になったの?」

「うん、なった。しかも、6年まえに関東大震災がおこっていたから、日本は不景気の状態だった。

それに世界恐慌は日本の不景気に追い打ちをかけた。アメリカへの輸出が衰えてしまってね・・。

都市での失業者が増え、農作物の値段が下がり(不景気の場合は値段が下がる傾向にあります)農民たちも

生活が苦しくなる。」

「生きるか死ぬか、の厳しい状態になったってことだね・・。」

「会社や銀行などもつぶれていく。

そんな中、三井・三菱・住友・安田などの財閥は、(つぶれそうな)会社や銀行を吸収していくの。」

「不景気のときって、生き残りをかけて会社・銀行の吸収合併もするもんね・・。」

財閥はどんどん大きくなる。

そうすると、経済の分野だけの支配だけでなく、政治分野まで

影響力を強めていく。」

「そうだったんだ・・。」

「それが、のちの戦争がおこる一因とも言われています。」

「そうだったのか・・。」

 

「悪い言い方をすれば、

戦争がおこるとお金は動く。

どうしても武器などは売れるから、売れるものを確実に

つくって売ればもうかるでしょ。また、植民地を持てば、そこに輸出してそれでもうけることだってできる。

(良いことではありません。絶対にしてはいけないことです。

また、現在の企業を批判しているわけではありませんので、これはあくまで過去のものとして考えてください。)

 「そんな・・・。」

 

 

 

「では、この世界恐慌による景気対策を列強諸国はどうしていったか

 

やり方は大きく分けて3つあります

 

1つは、貿易の関税率を操作して、自分の国だけで不景気から抜け出す、というやり方です。」

「?」

「これは、経済観念の問題なので、ちょっとむずかしいと思います。

なので、簡単に説明するね。

外国からの輸入品は高い関税をかける。

そうすると、自分の国(本国)や自国(本国)の植民地は、外国からの輸入品を買うのを控えるでしょ。

自国(本校)の植民地は自国(本国)の輸入品を買うようになるから、自国(本国)だけでも利益は出たりね・・。

そして、自国と植民地だけで自給自足をして、自分たちだけでも経済を立て直そうとしたの。

このように、植民地と本国(自国)の経済的結束を固めたような景気対策ブロック経済政策と言います。

(もし、この説明で意味がわからなければ、とにかく関税を利用して植民地と本国で結束を強くして

景気回復をしようとしたのがブロック経済政策なんだ、と思ってもかまいません。)」

「えー、なんか国際的にみんなで不景気から回復しようと、するのでなく、自分たちだけでも!という形なんだ。」

「うん、悪い言い方をするとそうだよね。このブロック経済政策って、植民地を多く持ってないとできない政策だよね。」

「うん。そうだよね・・・。」

「だから、ブロック経済をすることができた国って、たとえば・・。」

「えーと、第一次世界大戦で勝ってないと、植民地は失うから、勝った国で・・もともと植民地が

多かった国というと・・・イギリスフランス?」

「そういうことね。景気回復対策において,イギリスフランスブロック経済政策を行います。」

「そのように、関連付けて覚えるといいのね。」

 

「あと、アメリカも植民地は持っていたんだけど、イギリスやフランスよりは多くない。

 しかし、アメリカというのは、他の国とは違う状況を持っていた。

それは(近代史としての)歴史がまだ浅く、近代化(工業化)が住んでいない場所が多かった。

それを利用して、景気対策を行おうとした。それが、2つ目。」

「ほえー。」

 

アメリカの景気対策というのはどういうものなのかと言うと、

政府が公共事業を行い、その労働者を雇うことで、失業者を少なくし、

さらに、その公共事業で国全体がさらに

発展させる、というしたもの。

公共事業とは、たとえば、ダムの建設などね。

ダムを作るから,その建設のお仕事をしたい人集まってね~!

そしてそのお仕事をした人にはお給料を払うよ,というもの。

世界恐慌でお仕事を無くした人が多いから,その人たちが

そのダム建設という一時的なお仕事だとしても,その仕事の間は

給料をもらえるから生活できるってこと。

 

このように、積極的に政府が公共事業などを行い、資金援助をして景気を回復させようとした政策

ニューディール政策と言います。このニューディール政策を行ったのはアメリカ

当時のアメリカ大統領は、フランクリン=ルーズベルト。」

「ほえー。現代でも、不景気のときに公共事業をするのは、ここからきているのかな?(予想)」

 

 

 

「しかし、このようなやり方は、まだ工業化などの開発途中の段階にあったアメリカだからできたことです。

もう、工業化しつくしてしまった国や、政府そのものもお金がないところは、このようなことをすることは

できない。」

「たしかに・・・。」

 「だから、イギリス・フランスのようにブロック経済政策ができるほど植民地を持っていない国、

 アメリカよりもすでに工業化などが住んでしまっている国(もしくは政府内にお金があまりない)国は

どうすれば、経済の立て直しができるか?という問題がでてくる。」

「そうだよね。しかもブロック経済政策が行われているため、

自分の国の商品は高い関税がかけられているため外国で売れなかったりするだろうし。」

「・・で、このように追いつめられると、過激な行動に出てしまう、というおそろしいことがおこる。」

「え・・。」

「植民地がなければ、戦争をして奪ってでも手に入れて、少しでも自分たちの国の景気を良くしていこうと、

という考え方が出てきた。」

「う・・・。」

軍事力で政治を動かすようになる。その際に、独裁者が出てくる。

   1人の人(独裁者)にすべてを任せて、国が一丸となって苦しみから逃れようとね・・・。

 しばしば、追いつめられると独裁者を生む傾向があります。(独裁者を良し、とした意見ではありません)」

「そうなんだ・・・。」

「このように、権力で支配する独裁政治ファシズムと言います。

そして、このファシズムは、軍事色をどんどんと強めていきます。」 

「こわいな・・・。」

「ファシズムを行うようになった、国って今までの流れから予想できないかな?

植民地をほとんど奪われ、お金にも困り、追いつめられた国・・・。」

「それって、つまり第一次世界大戦で負けた国だよね・・、そして賠償金も払わなくてはならないから、お金に

困って・・・、あ、もしかしてドイツ?」

「そう、ドイツ

ベルサイユ条約で多額の賠償金を払うことになり、世界恐慌が追い打ちをかけ、

 自分たちの日々の生活さえ苦しいのに、なぜ、外国にまでお金を・・・という気持ちでいっぱいいっぱいのとき 

に、

ある人が「ベルサイユ条約の言うことを聞かないで良い!賠償金なんて払う必要がない!」という

言いだした。

そのときに、精神的にいっぱいいっぱいだった人々には、それが救いになったの。

(その言葉や内容が良い、と言っているわけではありません。)」

「うーん、たしかに、それは当時の人々から救いの言葉になったのかもしれないね・・。(その言葉が良い,と言っているわけではありません。)」

「で、その言葉を言った人を人々は支持し、しだいに、その人の独裁政治になっていった。

ドイツのその独裁者ヒトラー(ヒットラー)と言います。

そのヒトラーが属していた政党をナチス党(ナチ党)と言います。」

「そうだったんだ・・。」

 

「あと、ドイツよりも先にファシズムを行ったのは、イタリアです。

イタリアは第一次世界大戦では途中で同盟国を裏切り、連合国側についたとは前に話したよね。

しかし、戦争がおわってからの連合国の対応は、冷たいものだった。

だから、次第にイタリアも窮地(きゅうち:苦しいところ)においつめられていた。

それで、ファシスト党ムッソリーニが軍事力を強めて、独裁政治をし始めたのです。」

ドイツイタリアの2つがファシズムか・・。」

「いえ、もう一国、われわれにとって最も身近な国がファシズムになりました。」

「え?」

「植民地もイギリスみたいに多くない、第一次世界大戦後にイギリスからの同盟も破棄され、

経済・政治の中心部に大地震がおこり、不景気がさらに苦しくなり、それにさらに世界恐慌に

追い打ちをかけられた国がある・・・。」

「え・・・それって・・・。」

「うん、そう。」

「に・・・日本・・?」

「そう、日本。」

「ええええええ?!」

「今まで、あなたたちはもしかして、ドイツやイタリアは大変だな~と上から目線で見ていなかった?」

「う・・・たしかに・・。」

「細かいところはそれぞれの国では違うけど、日本もほぼ,ドイツやイタリアと同じ状況だったのよ!」

「う・・自分たちのおごり高ぶりがはずかしい・・。」

「歴史を学ぶときは、馬鹿にしたり同情したりする目でみてはならない。

常に同じ状況下に置かれたときには、自分たちだって、同じ行動をとる可能性があるかもしれない、という

恐れを常に抱き、そのような同じ悲劇を繰り返さないように、理性で抑えるようにするのよ。」

「はい!歴史の失敗を学んで、明るい未来をつくるのが、歴史の意義の1つだったよね。つい忘れてた・・。」

「まあ、私もつい、そういう状況におちいることがあるから大きなことがいえないけど、

途中で気がついて、最悪な状況までに陥らなければいいよ。」

「はい!」

「では、ファシズムを行った主な国はドイツ・イタリア・日本

ドイツの独裁者はナチス(ナチ党)のヒトラー

イタリアの独裁者はファシスト党のムッソリーニ

 

 

そして、日本は・・、ですが、ドイツ・イタリアとはすこし異なります。

ヒトラーやムッソリーニのように、民間人の独裁者というのが存在しなく、

軍部という集まりによる独裁になります。

ただし、その軍部が奉ったのが(上にかかげた)のは天皇になります。

軍部は、最終的には「天皇のために」という呪文のような言葉で、国民を動かしていったのです。

(こちらは天皇を批判した意見ではありません。)」

「そうだったんだ・・。」

「では、次回は、日本がどのようにファシズムの道を歩み、戦争に突入していったのかをみましょう。

では終わります!起立,礼!」

 

「ありがとうございました。」

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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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歴史模擬授業をご覧になる方へ

2013年12月09日 22時00分09秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業(旧)です。

下書き保存していたまま放置していた昭和時代を,何回かにわけてアップしていきますね。

 

 

さて,歴史模擬授業は中学受験でよく出る時代の歴史分野の授業です。

 

今回は,昭和時代です。

今回はそのことについての授業をさせて頂きたいと思います。

文字数の関係で授業内容は別記事でのアップになります。

歴史模擬授業 第27回 世界恐慌 

という記事でご覧ください。

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 <歴史模擬授業について>

「歴史模擬授業」という記事を更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。。

読むときに、

 

 →先生、

→生徒その1(ひなちゃん) 

→生徒その2(はむちゃん)

→生徒その3(ねこちゃん)

 

だと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学受験をする小5~6年生の授業(塾)だと思ってください。




今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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新☆歴史模擬授業 第12回 市民革命5ー産業革命1

2011年10月21日 23時35分03秒 | 歴史☆模擬授業

新☆歴史模擬授業です。産業革命1です。

詳細は、この前の記事(ご注意)をご覧ください。

*わかりやすく解説したいので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

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キンコーンカンコーン

「さて、今日は市民革命の最後をやりましょう!」

「長かったよう。」

「イギリスの清教徒革命・名誉革命、アメリカ独立戦争・フランス革命と3つの国の革命をやったね。

次はどこの国で市民革命がおきたんだろう。わくわく!」

「実は、今回は、1つの国だけでおきた革命ではありません。」

「ほえ?」

「ある国から始まり、そのあと、ほかの国でも次々と同じような革命がおこりました。

しかも、今までの革命とはちょっと雰囲気、というか系統が違うというか。」

「そうなんだ。」

「今までは、王様を倒して~、とか戦争を起おして~、とか名もなき市民たちが何かを倒す形で、

民主主義の政治をゲットしたという形だったよね。

しかし、今日習う革命は、そうじゃない。

あるものの出現で、生活や価値観などの社会の様子がガラっと変わった、という革命なの。

もちろん、市民革命の1つに含まれるから、そのガラっと変わった結果、市民たち(一般民衆たち)が中心となったのは間違いないんだけど。」

「なんだかややこしい。」

「まあ、別に、なぜこの革命は市民革命に含まれるか?とかの問題は出ないし、

あくまで、現代の私たちが5大市民革命と呼んで分類しているだけで、当時の人々は「よし今から5大市民革命をおこそう!」と

していたわけじゃないからね~。」

「た、たしかに・・。」

「ではでは詳しく見ていきましょう!」

「はい!」

 

 

「今回習う革命を、産業革命と言います。」

「産業が大きく変わったってことなんだろうね。」

「そういうこと!産業とは簡単に言うと、モノを生産することです。

その、モノの生産方法が大きく変わったことが、そのあとの社会を変えていきます。」

「そうなんだ。」

産業革命が1番最初に始まったのはイギリスです。」

「またしてもイギリス!」

「イギリスって当時は最先端の国だったんだね。」

「イギリスは、17世紀からインド産の綿織物を大量に輸入していました。インド産の綿織物は素晴らしいものだったから。」

「そうだったんだ。」

「でも、輸入していた、ということは、貿易の際にお金がかかるよね。

自分の国で作った方が、お金は抑えられる。」

「たしかに。」

「なので、イギリス国内で綿織物をつくるようになっていく。

そして、18世紀後半になり、綿織物を作る際にとても便利なものが登場するの。

それが、織機(しょっき) や 紡績機(ぼうせきき)

紡績機や織機が次々と改良されて、ほぼ生産を人間の手で行われていたそれまでとは違って楽に生産できるようになった。

(紡績機は糸をつむぐもの、織機は、糸を織って織物をつくる機械。綿織物の場合で考えれば、

植物の綿花から綿を刈り、その綿から、紡績機で1本の糸(綿糸)を取出し、その糸(綿糸)をタテ糸・ヨコ糸に組み合わせて布(織物)をつくる、と考える。)

さらに、水力や、ワットという人物が改良した蒸気機関を使って、紡績機や織機が動くようになった。

今では電力を使って機械って動かすけど、当時は電気がなかったから、

水や蒸気の力でモノを動かしたの。」

「水力や蒸気って強いものね。」

「今まで、機械を動かしていたのは人の手。

それが、人間よりもはるかに力が強く、継続できる水力や蒸気機関の力で機械を動かせるようになったから、

それまでより大量生産が可能になったの。

機械は1つの場所、つまり工場に集められ、そこで綿織物は生産されるようになった。

それまでは、商人が原料・道具などを生産者に貸して、生産は各家で行い、完成した製品を商人が買って、それをお店で売るという方式だったの。

それが、生産を工場で行うので、生産者は工場に集まり、一気にモノをつくるようになった、というわけ。

このような形態を、工場制機械工業と言います。」

「今の生産方法と一緒だね!」

「そういうこと!工場制機械工業により、いまのような工場でモノを作って・・という方式に変わった。

これは社会を大きく変化させた。」

「ほえ?」

「それまでは各家で生産を行うし、ほぼ人の手で行うから、ある程度の経験と技術が必要だった。

しかし、工場の機械がほとんど生産をしてくれるから、だれでも製品が作れるようになったわけ。」

「あ、そうすると、一部の人が生産を牛耳るのでなく、市民全体でモノがつくれるようになるってことだよね!」

「そういうことです。生産方法が工場制機械工業になったことで、だれでも生産に参加できるようになった。」

「ほえー。」

「また、機械の動力として使われた蒸気機関は、汽船機関車にも応用されるようになって、輸送能力を高めた。

船や機関車があれば、重いものも、一気に大量に楽に移動できるでしょ!それまでは馬などでしか輸送できなかったら数が限られたし、

距離にもある程度限界があった。

でも、船や機関車で、鉄や機械を工場まで運べるし、また工場でつくったものを港まで運び、大量に外国に輸出することだって楽になった。」

「ほえー。すっごく便利になったんだね。」

「そのおかげで、製鉄業・造船業・機械工業などの重工業がさかんになる。

すうすればそこで働く人々が必要となるので、工場がある場所に人口が増える。

そのように人口が増えた場所が都市(都会)になって・・・とね、

そして、工場で作った製品を外国に売って儲けて、

どんどんイギリスは豊かになっていく。」

「ほえー。」

このように、機械の発明や改良が続き、社会のようすが大きく変化したことを産業革命というの。

産業革命イギリスが最初。

民主化が行わなければ、産業革命はおこりにくい。

なぜなら、みんなが主役、名もなき市民が自分たちで国をつくっていく、という形の民主主義の考え方がなければ、

みんなが集まってモノを作ることはしないから。

王政のときのように身分が固定化されていたら、「いや、うちは代々この仕事しているから。」と言って、

新しい職業に就くことは少ないし、生産物や生産して稼いだお金はほぼすべて貴族・王様に納めなければならないから、

一般庶民だって、やる気がね・・。

民主化で、稼いだお金は、ほぼ自分のものになるのだから、人はがんばれるから。」

「たしかに・・。」

「だから、民主主義の政治にかわらないと、なかなか産業革命は行われません。(全部ではないけど)

それで、いちはやく清教徒革命・名誉革命で民主化が完成したイギリスに、産業革命がおこり、

その後、アメリカ独立戦争・フランス革命で民主化が行われた、アメリカ・フランスは19世紀に産業革命がおこります。

その後、日本ドイツでも産業革命がおこっていく。」

「日本でもおこった、というのは、たしかに、小学校のころに習った覚えがある・・。うっすらだけど。」

「うっすらでも覚えているのはえらい!」

「えへへ。」

「このように産業革命は世界のいろいろな国でおこった。これだけ聞くと、国が豊かになってよいね!という感じだけど、

豊かになる国があるということは逆に、貧乏になる国が出てくるということ。

また、産業革命がおこった国内でも闇の部分がでてくる。

 

産業革命を成し遂げた国々は、次々と恐ろしいことをやっていきます。それを次回、行うね、市民革命シリーズ最後の授業。」

「はい!」

「ではでは、終わります。起立!礼!」

「ありがとうございました!」

キンコーンカンコーン

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新☆歴史模擬授業ご注意

2011年10月21日 23時31分37秒 | 歴史☆模擬授業

新☆歴史模擬授業です。

予定がどんどん遅くなってしまい、申し訳ありません。

妊娠により,今後の仕事のために世界史の自主勉強を優先せざる負えず,

歴史模擬授業の方まで頭がまわらなくて・・。

 

5大市民革命!はやく完成できるようにがんばりますね!

臨月まであと少しなので,可能なかぎりがんばりますね~!

 

 

さて,☆歴史模擬授業は中学で習う世界史分野です。

 

 

現在、数回に分けて市民革命を行っています。

 

市民革命は世界の歴史の中でもよく出題されやすい分野の1つです。

 

 

今回は「産業革命」です。

 

 

 

 

 

 

 

産業革命は、ほかの市民革命とは、ちょっと違います。

ですので、すこし自分なりに説明を加えてみました。

 

産業革命により、私たちの生活ってとても変わりました。1つの発明で、人々の価値観や生き方がこうもかわるのか、と感じます。

 

 

 

 

 

文字数の関係で授業内容は別記事でのアップになります。

新☆歴史模擬授業 第13回 市民革命5 産業革命 

という記事でご覧ください。

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 <新☆歴史模擬授業について>

「新☆歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、中学生1~2年生の授業(塾)だと思ってください。

内容的には,現在ではあまり教科書で扱われていない部分もありますが,

学校によっては入れ込む内容と思われる部分はこちらでアップする予定です。(十字軍など)

(今までの歴史模擬授業の学年設定より数年後,という設定です。)


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説したいので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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新☆歴史模擬授業 第11回 市民革命4ーフランス革命

2011年10月18日 00時23分34秒 | 歴史☆模擬授業

新☆歴史模擬授業 第11回フランス革命です。

詳細はこちらの前の記事(ご注意)をご覧ください。

*わかりやすく解説したいので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

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キンコーンカンコーン

「さて,今日は,市民革命の中でも,ヨーロッパ中に大きな影響を与えたフランス革命を行いましょう。」

「はい!フランス革命っていう名称ということは,フランスでおきたんだね!わかりやすい。」

「そうだね。まんまだもんね。ただ,このフランス革命は,突き詰めていくと,すーっごく複雑!」

「ほえー。」

「ただ,中学では,サラッと経過を習うだけだから,ある程度の流れが分かればいいよ。

高校で詳しく習うのでお楽しみに!」

「はい。」

 

「では,フランス革命がおこるからのフランスの状況から見ていきましょう。

 第7回で絶対王政を習ったのを覚えているよね。

そこでフランスの絶対王政が頂点に達したころのフランス国王って誰だっけ?」

「えーと・・・ルイ14世だったよね。」

「そうそう!よく覚えているね。」

「ルイ14世は,ヴェルサイユ宮殿という,すっごく豪華で広大な建物をつくったんだよね!」

「そうそう!

このように隆盛を極めたルイ14世のころは,国王は強くて,議会も開かず,という状態だったんだよね。」

「国王中心なんだよね。」

「それに,陰りが 見え始め,フランス革命がおこるのが,ルイ14世から2代あとの,ルイ16世のとき。」

「またしてもルイさん。」

「ルイ16世の治世のころ,18世紀ごろになると,

生まれで人々の権利や地位が決まるような身分制度はおかしいのでは

という考えがフランスで広まったんだよね。

もう,このころは,イギリスで清教徒革命・名誉革命,

アメリカでアメリカ独立戦争がおこった後なので,ある程度,理解はできるかな?」

「市民革命,民主主義の風潮がフランスでもおきたんだ,と思えばいいね。」

「そうね。でも,いくら他国で民主主義の風潮があっても,

それでもフランス自体が豊かで,日々の暮らしが充実していればよかった。

しかし,そうではなかったんだよね。

あいつぐ戦争などに参加してきたフランスの国家財政は厳しく,

しかし,それでも特権階級である王室・貴族は,それをあまりかえりみないような贅沢な生活をしていた。

豪華な食べ物に,服に,パーティーなどしてさ。

フランスの一般庶民は,毎日食べるものがなくて,苦しい思いをしていたのにだよ。

(世間一般に言われる,王室・貴族の贅沢ぶりは,当時&後世に誇張された部分はありますが・・)」

「えー!一般庶民は生きるか死ぬか,という瀬戸際なのに,貴族たちは自分たちだけで楽しんでいたんだ。」

「フランスには,(王室の人々を除く)3つの身分がありました。

そのうち2つは,第一身分・第二身分という,特権階級で税金を払わなくて良い身分。

第一身分聖職者第二身分貴族。」

「聖職者の方が第一身分なんだ。聖職者って,宗教に従事する人だよね。

フランスの宗教は,えーとキリスト教?」

「そう,キリスト教だね。今とは価値観が違うから,あれ?って思うかもしれないけど,

当時は貴族より聖職者が上でした。(実際に貴族の1部が聖職者になっています。)

そして,特権階級でない第三身分平民です。つまり一般庶民。

平民だけが税金を払う義務があったの。」

「え?つまり,聖職者・貴族たちは税金も払わず,贅沢三昧?

自分たちのご飯や服は国民の税金から払われているのに?」

「だから,平民からしたら,それはおかしんじゃん!と思うようになったのよ。」

「あ,そっか。」

平民たちが不満が爆発しそうな状態,しかも国家財政は悪い,

そこで税金を特権階級も出すようにしようとした王室の動きに

に反発するような人々(聖職者・貴族たちの1部)も出てきたりと,

フランスは大変な状態になったので,一度,3つの身分で話し合おうじゃないか!ということで,

三部会という会議を開くことにしました。」

「三部会・・。3つの身分で集まるから,三部なのかな?」

「しかし,この三部会フランスの歴史を大きく変えることとなる。」

「ほえ?」

「三部会を開いて,みんなで話し合おう!というのは良いように聞こえるよね。

しかし,実際には不平等極まりない会議だった。

今だったら,会議というと多数決を取るよね。その際って1人1票だよね。」

「うん。それが普通だよね。」

「そうすると,人数が多い身分の票が,その議会の決定になる。

当時,一番人口が多いのは平民。」

「あ,じゃあ,1人1票だったら,平民になるじゃん。」

「だよね。しかし,三部会はそうじゃない。

各身分で話しあって,その身分で1つの票とするの。

つまり,第一身分(聖職者)で1票・第二身分(貴族)で1票,第三身分(平民)で1票,とね。」

「えー!」

「そうなるとさ,自然に,どの身分が有利?」

「第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)は同じ特権階級だから,たいがい同じ意見になるよね。

・・となると,毎回,2対1で,第一・二身分の特権階級の意見が三部会の決定になる?」

「そういうこと!」

「ひどい!つまり,平民はいつもハバにされる!言うこと聞いてもらえない!それはおかしい!」

「だよね。そこで,当時の平民もそう思い,怒りが爆発した。

三部会なんて本当の議会ではない!おれたちが正しい議会をつくってやる!と言い,

あたらしく,議会をつくって対抗していきます。

(その中には民主主義を目指す,一部の貴族たちも仲間に入っています。)

しかし,国王はその議会を弾圧してしまいます。」

「そりゃ,国王からしたら,彼らの動きは困るものね。」

「ほえー!」

「そして,ついに,1789年フランス革命がおきます。」

「年号わかりやす!百の位から7・8・9と連番になってる!」

「フランス革命のきっかけは,以前から王室の浪費や貴族たちの特権に対して不満を持っていた

パリの民衆たちが国王の議会弾圧におこり,バスティーユ牢獄を襲撃したことでした

その牢獄には,当時のフランス国家に反対した人々,つまり特権階級を批判したような人々が

投獄されていたところだったら,彼らを解放することは民主主義の第一歩だということ,また

そこに武器があると思われていたためです。平民たちは武器なんて高級なもの持ってないから。」

「そうか・・。」

「バスティーユ牢獄襲撃後は,民衆の勢いは止まらず。ついにそれまでの身分制度を打ち壊し,

市民を中心とした,自由で平等な社会を作り始めました!」

「まさに市民革命だね。」

「民主主義の根本には,自由・平等の権利がある。

その権利を,フランス国民(市民)は

勝ち取ったわけです。貴族も王もおらず,すべてみんなフランスの1国民(市民)なんだ!とね。

そして,その革命の中で,「人権宣言」を発表し,個人の権利や

市民による社会の政治を行うにあたっての重要な原則などを示しました。」

「ほえー。」

「フランス革命はかなり,過激でした。

国王を処刑,王妃を処刑,貴族たちを多数処刑し,膨大な人々が殺されていきます。」

「え・・。」

「「平等」の精神を突き進め過ぎたのよね。

「国王」「貴族」その存在そのものが「平等」と同時に存在してはならず,罪の身分だ,

だから,その存在そのものを消す必要がある・・とね。」

「うーん,理想主義すぎたんだ・・。」

「理想を追い求めるのは悪くはないけれど,やりすぎは悲劇がおこる。

理想というのは,ある意味,他者の排出だから・・。」

「そうだよね・・。」

「そのフランス革命のやり方には,他のヨーロッパの国々からも批判が出た。

他のヨーロッパの国々は,ほとんど王国(帝国)で,特権階級によって国が動かされていたから,

自分の国でもフランス革命のようなことがおきたら,自分たちがいつ自国民に殺されるかわからない。

たとえ,死から逃れたって,それまでのような生活ができるわけではない。」

「そうだよね・・。」

「そこで,「フランス革命は間違いだった!」と証明させなければならない,

だから,フランスを攻撃し,以前のような体制に戻そうと,ヨーロッパの国々は考え始めた。

イギリス・ドイツ(当時はプロイセン)・オーストリア・ロシアなどね。

しかも,

オーストリアは,処刑されたフランス王妃(マリー・アントワネット)の出身地だから

(長年,フランス・オーストリアは敵対関係にあったが,プロイセンの台頭により,

両国は手を結んだ。その証が,フランス(ルイ16世)とオーストリア(マリー・アントワネット)の婚姻だった。)

(オーストリアがフランスに攻撃を仕掛けたのは,王室の処刑の前からである。)」

「マリー・アントワネットは聞いたことがある!」

「マンガ・映画などでもよく取り上げられるから,知っている人も多いよね!」

 

「では話を戻すね。

イギリス・ドイツ(プロイセン)・オーストリア・ロシアなどのヨーロッパ列強とフランスは

戦争で戦うが,なかなか勝てない。

だんだんと,「自分たちのおこした革命は,実は間違いだったのでは?」と自信を失う人々が出てくる。

また,フランス国内でも政権争いがおこる。」

「清教徒革命と似ているね。トップ(国王)を処刑して,だれがまとめていくかわからなくなったんだ。」

「・・ということは,クロムウェルのような独裁者がフランスでも登場する?」

「お!歴史的法則がだいぶわかってきたみたいだね!」

「えへへ~。」

「そうなんです。フランス革命でも独裁者が誕生します。

 

 

相次ぐ戦争の惨敗で自信を失っていたフランス国民。しかし,そんなある日,

フランスが勝利した!という朗報が入ってきます。その勝利に導いた人物というのが,

ナポレオン・ボナパルト(以後,ナポレオン)という人物。」

「ナポレオン!聞いたことある!」

ナポレオンは次々と戦いに勝利します。

そして,当時,不安定ですぐ交代ばかりしていた政権を

倒し(クーデター)をおこし,政権を握ります。」

「ほえー!」

「でも,まあ,ここまでは良かった。」

「そうなの?」

「うん,別に独裁そのものがすべて悪いわけではないから。

そのころまでのナポレオンは,フランス革命の民主主義精神に基づいた政治を行い,

今まで続く法律や制度を確立したり,いろんなところの整備をしたりしたからね。」

「そうだったんだ・・。」

「当時のフランス国民にとって,ナポレオンはなくてはならない存在になった。

もし彼がいなくなったら,また国内は不安定になるし,

またヨーロッパ列強が戦争を仕掛けてきたら,今度こそつぶされるかもしれない・・とね。」

「ナポレオンは,フランスの英雄になんだね。」

「そこで,一生ナポレオンに政治についてもらおう!ということで,

ナポレオンに「皇帝」になってもらうことになりました。」

「へ?皇帝?・・ということは,王様のような身分制度が復活したってことだよね?

それって民主主義に反しない?」

「だよね。そこが,フランス革命のややしいところ。

 

 皇帝と国王というのは同じものだと思われがちだけど,実は違うんだ。

ここでは,簡単な違いを説明します。(厳密に言うと,違う点もありますのでそこはご勘弁を)

まず,「皇帝」は選挙で決めます,

「国王」は指名制というか,国王の子供や孫などが継ぎます。」

「あ,ということは「皇帝」には,血がつながってなくても誰でもなることはできるんだ!」

「そういうことです。(実際には,血族が継ぐという形が多いですが・・)」

「じゃあ,民主主義精神と,完全に相反するわけではないんだね。」

「そうそう!

あと,「皇帝」というのは,「国王」を束ねる,つまり,「国王」をまとめる役割がありました。」

「つまり,国王より皇帝の方が地位が上ってこと?」

「そういうこと。当時,ナポレオンは次々に戦争に勝ち,スペインやイタリア(の1部)などをフランスの領土に

していたの。そこで,その国を束ねる「皇帝」という地位に就くには,都合が良いんだよね。

フランス革命を正しいと言う皇帝がヨーロッパのそれぞれの王国の頂点に立っているぞ!ということで。」

「ほえー。皇帝にはそういう意図が・・。」

「ナポレオンは実際に支配した国,戦争で戦った国にフランス革命の精神(民主主義精神)を伝えます。

それで,後に,ヨーロッパの色々な地域で革命や民主主義改革が行われたの。

だから,フランス革命はフランス国内だけでなくヨーロッパに大きな影響を与えたと言われるの。」

「ほえー。」

「しかし,ナポレオン皇帝(ナポレオン1世)はやりすぎた。

相次ぐ戦争をおこし,国民はだんだんと疲れてくるし,やりすぎた独裁も目立つようになってきた。

しかし,ナポレオンが戦争に勝ち続けている間はまだよかった。

そんなときに,ロシアに遠征したナポレオンは,失敗をし,多大な損害を出してしまう。」

「ほえー。」

「そのロシア遠征の失敗を機に,ナポレオンの転落は始まり,

ついに,フランス革命をつぶそうとしていたヨーロッパの国々に負けてしまう。

そして,ナポレオンは皇帝を退位し,またフランスは王政に戻ってしまうの。」

「フランス革命精神を守ってくれたナポレオンがいなくなってしまったので,また王政になってしまったんだ・・。」

「あああ。」

「その後,フランスは,また革命(七月革命・二月革命)をおこし,

民主主義の国に近づいていきますが,それはまた高校でね。」

「はい。」

 

 

「このように,フランス革命は,イギリスの革命よりも民主主義の政治を徹底させる形の基礎をつくりあげ,

一時はその精神は失われたものの,ヨーロッパにその精神を残し,

現代のように,みんなが主役の民主政治が実現できるんだよ!ということを証明してくれたのでした。

 

テストでは,フランス革命・バスティーユ牢獄襲撃・人権宣言・ナポレオン・皇帝,という言葉が出てくる

だけかな?

では,今日はここまで!起立・礼!」

「ありがとうごうざいました。」

 

キンコーンカンコーン

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わかりやすく解説したいので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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新☆歴史模擬授業ご注意

2011年10月18日 00時20分20秒 | 歴史☆模擬授業

新☆歴史模擬授業です。

予定がどんどん遅くなってしまい、申し訳ありません。

妊娠により,今後の仕事のために世界史の自主勉強を優先せざる負えず,

歴史模擬授業の方まで頭がまわらなくて・・。

 

5大市民革命!はやく完成できるようにがんばりますね!

臨月まであと少しなので,可能なかぎりがんばりますね~!

 

 

さて,☆歴史模擬授業は中学で習う世界史分野です。

 

 

現在、数回に分けて市民革命を行っています。

 

市民革命は世界の歴史の中でもよく出題されやすい分野の1つです。

 

 

今回は「フランス革命」です。

 

 

 

 

 

 

 

フランス革命は、よく考えるとすっごく難しい!

古代に始まるヨーロッパの民主主義精神がぎゅっと詰まっている出来事です。

 

だから、一生勉強してもすべてわからないだろう、ということが満載。

でもそんなフランス革命が私は一番大好き!

 

説明不足、実は細かくいうと違う、という点は多々あったらすみません。

 

でも、自分なりにフランス革命を消化して、今回のような説明の形にさせていただきました!

 

 

 

 

文字数の関係で授業内容は別記事でのアップになります。

新☆歴史模擬授業 第12回 市民革命4 フランス革命 

という記事でご覧ください。

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 <新☆歴史模擬授業について>

「新☆歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、中学生1~2年生の授業(塾)だと思ってください。

内容的には,現在ではあまり教科書で扱われていない部分もありますが,

学校によっては入れ込む内容と思われる部分はこちらでアップする予定です。(十字軍など)

(今までの歴史模擬授業の学年設定より数年後,という設定です。)


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説したいので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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