みなさま、本日もありがとうございます。

0の概念について、ある番組で
やっと、「れくす先生の歴史授業」の更新を再開できました。
9月までは比較的時間的な余裕があったため、パソコンであらゆるものを作っていこう!
という気持ちで制作していました。
実際に、パソコンで制作したほうが、
レイヤーをうまく使いこなせば
色んな種類のものも作れるし、
作り始めるときは時間がかかりますが
総合的には時短になります。

ただ、ですね、10月からは
プライベートでの問題で
時間的、精神的余裕がなくなり、
パソコンに立ち向かえなくなりました。
時間的に、というよりは、精神的に、
もう無理だな、と。
精神的に、何が辛かったか?というと
あることがきっかけで
「どうせ、がんばったって・・・
」と

いう気持ちが出てしまったからです。
とくに今回は、冤罪をかけられたことで
かなり精神的にきつかったです。
自分の中で最も大切な「勉強」は
私や家族にとって、
相棒であり趣味でものです。
しかし、私達の言い分を聞かず
相手の一方的な価値観のみで
「勉強が悪だ」
「勉強をがんばることは
子供に悪影響しか与えない」
という価値観で、本人は善意で
私に諭してきた人がいて、
それで、まいってしまいました。
その人が
「勉強をしない」「勉強を嫌う」
ことは個人の自由ですが
「勉強が楽しい」と思っている子に
それを言う?
「母親という役職をしている人は、すべて、自分より教育的な能力は劣っている」という前提で、私に話してくる、
という感じで、疲れてしまいました。
いちいち、反論するのが疲れてしまい、
「アナタは私を極悪人、駄目な母親
と思っていいから、
私達は勉強を楽しみたい!
相手のことをしろうともしず、
自分の価値観だけで世界を見て、
他人の好きなもの、心の支えを
否定ばかりする人の近くで学ぶものは
何もない。」
と、その人、その機関から
縁を切る覚悟をするのに
時間がかかりました。
縁を切るので損をするのは
こちら側だけなので。
ただ、今回、家族内では意見が
一致していたので、すばやく行動できた
のは幸いでした。
もちろん、完全に縁を切れたわけでは
ありません。事務的なことはこれからも
関係してくるので。
ただ、3ヶ月かけて、やっと
精神的に縁が切れたことで
冷静になり、
頭をまとめながらブログを書けるように
なりました。
「どうせがんばったって」ではなく
「がんばることそのものを楽しむ」
「やっぱり勉強好きだー!」と
いう気持ちのほうが強くなりました。



このブログも
「学校に通っている前提の勉強」と
いうスタンスはやめ
「学校に楽しく行ってい、勉強をがんばっている人」
「学校は辛いけれど、学校に行って勉強を
がんばっている人」
「学校以外の場所で勉強をがんばっている人」
「受験うんぬん関係なく、勉強そのものを
がんばっている人」
すべての
「勉強をがんばりたい人」に向けて
書きたい!と思いました。

更新はできるときにするため
不定期連載にはなりますが
かならず続けていきたいと思いますので
これからもよろしくお願いいたします。

0の概念について、ある番組で
「音楽の楽譜の休符の存在だと思えば良い」
という内容を聞き、
そこから
「つまり、0があるからこそ、一定のリズム(幅)で、物事を進められる思考ができるのかもしれない」
と思いました。
ある数学系の専門だった人が
「0だけでどれだけでも話せる」と
言ったのを思い出しました。
当時、それを聞いたのは中学生のときで
「なんじゃらほい?」
と思っていましたが
今になると「あー、たしかに」と
思います。
ただ、私自身は数学の専門ではないので
たぶん、その人が話したことの半分も
理解できないと思いますが、
理解できない部分があるからこそ
それを理解できる努力する未来の楽しみが
あったりします。