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スマホカメラ と 心象風景 と 花火

2022-12-03 | ◆日記・エッセイ・コラム

□ここで26階ラウンジ、宿泊は45階

□日給幾らでしょうか?

この画面の上ギリギリが26 階です。

■スマートフォンのカメラ性能が良くなった事に対して何の文句もない。
しかし、何でもかんでも、どうでも良い事までスマホ向けて収める事が、本当に必要なのかな?と思う。

■例えば、花火大会行くと多くの人が花火を動画で撮影しようとスマホをかざしている。どうして肉眼ではっきり見ないのだろう。
そんなものに、あの花火の迫力や臨場感を再現出来るわけが無い。
今から何十年も前の花火大会を思い起こすと、蘇るのは、初めて握った浴衣姿の彼女の細い指の感触だけが鮮明であるそれだけしか思い出せない。そして、それは決してスマホで記録が出来る事ではない。

■絵葉書みたいな風景は絵葉書買えば良い。綺麗な花を撮りたいならマクロレンズ次第である。 その奥には何も無い。しょうーもない自己満足だけ。セットの料理(例えば会席)が出揃うまで手を付けない馬鹿もいる。こういう馬鹿に限って料理評論家気取りだ。料理は冷めるし順番でだすから困る。

■大事なモノを肉眼で見ないでスマホ通して見ても意味があるのかな?
見えないモノを撮ることを目指せ!
昨日、湘南海岸からの帰り渋滞に嵌った。昔なら夕陽を浴びながら「この渋滞が永遠に続きますように、、」と祈った、人生でそんな季節は二度と来ない。
あの時の風景を感じる事は二度とない。

そういう風景を撮る事である。もし撮れるならね。

■もう一度書く。綺麗な絵葉書みたいな風景は撮るな、自分の食生活を撮るな!みっともない。下品。
花なんて撮る意味はない。花の意味は?
そんなもの「ザケンナー」ですな。

自由律 「咳をしても、ひとり」これ尾崎放哉である。この空間、空気感を写すことは出来ない。

やっぱ、最終的に必要なのは【文学】でしょうかね?

【象潟や雨に西施がねぶの花】 芭蕉はこれで日本海を遥かに越えている。


何でもスマホで撮るなんて意味が判らない。
昔のお父さんが三脚立ててセルフタイマーで家族が緊張して撮った写真は現代にはない。有るとすれば学校の集合写真だ。
結局それが残る。

死ぬ時に必要な写真は一枚である。
遺影だけ。(笑)
60過ぎたら全部捨て始める。
この世にいた根拠を残さない。

考えても見たまえ、あなたの祖父、曾祖父の写真は一枚で充分だとすれば、自分も同じだろう。寂しい話だがこれは真実だ。

クリント・イーストウッドの写真も、
ジョン・ウェインも西郷隆盛も一枚でよい。

人生なんて、そんなもの。

■ スマホ世代に、デジカメ時代に、
「ロバート メイプルソープ」を語れるのか?甚だ疑問である。



















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