ゴールデンウィークなので、ブログネタがありません、脱衣所に少しふやけた文庫本がありましたので拾ってみましたら、暮らしの手帖の元編集長の「松浦弥太郎」のエッセイ集でした。
よく、どんな本が良いのかと聞かれますが、私はこの小さなエッセイを数年前はよく勧めてました。
読んでも、何の役にも立ちません。
「みうらじゅん」が週刊誌にコラムを持ってても、私はその週刊誌を買いません。やがて文庫になるからでそれで充分です。
中野翠、亡くなった「ナンシー関」もそういう感じの遠い遠い読者です。
緑(ミドリ)なら読者にはならないかけれど「翠」だから読んでます。
しかし、阿川佐和子、檀ふみは読みません。理由はない。何となくです。
「エッセイ」に理屈はない。暇つぶしでしょう。そこに時間掛けたエッセイ、例えば司馬遼太郎「街道をゆく」がある。
これは旅先で読む。
そういう具合に自分の波長、歩調に合わすだけです。読書はそれでいいですが、本来は、背伸びした、より難しい本を挑戦し続けることです。
解った風な事を言いながら「大人の絵本」なんて言ってる文化人は嫌です。私はね。 桃太郎に深い意味を求めませんもん。ただ、お婆さんが桃を包丁で割ったら、桃太郎も真っ二つじゃないのが不思議。
大人はエロ本でしょう?
今は、エロ本を語れる若者がいないのです。(笑)
語ろうにも、デジタル社会では実体験としての葛藤もない。