本日の朝10時に日本に到着しました。明日より平常通りです。滞在中は、それなりに仕事をしていまして、実はその時にはタブレットを持ってませんでした。最後の二日だけは、休日で使いましたので、写真を上げました。
けれど、現実の休日はもっと複雑で、何倍もエキサイティングなのです。
ケータイの中に人生があるわけではありません。
ケータイはtoolにしか過ぎません。
大事なことは、それが無くてもサバイバル出来るかどうかです。
スイスアルプスでも、ヴェネチアでも、ガイドブックは有りませんでした。朝ホテルの食堂で、現地の人と話して興に乗っただけです。天気が悪ければ行かなかったでしょう。
『予定調和』の為に生きてる人もいるでしょうし、そうでないひともいます。パリのテロでキャンセルする人、しない人です。
仕事も現場にあります。スマホの中に有りません。全てはそうです。
スマホでも鉄道切符は購入出来るし、自販機でもたもたして隣の美人に助けられることもあります。(今回)
けれども、結局それは性分かも知れません。
30年前、私はこのミラノ駅の片隅で寝てました。同じ頃、親友はラスベガスでスッテンテンになり段ボールにくるまって寝てたら夜中に警官に蹴られて「日本人だ」と言ったら大笑いされてました。
互いが、最終所在地を残す意味だけに絵葉書を日本に送り合ってました。彼はその時に銀行を辞め、私は『風に吹かれて』ました。だから、判るのです。
便利な道具だけど、何も解決しないのです。
いくらスマホが普及しても、今、世界中で起こる紛争やテロルも解決しません。現場としての戦争があります。 こんな便利な道具を発明した、スティーブン ジョブズも此の世にいません。皆が持っていて、皆が繋がてって楽しいかもしれませんが、決してジョニーデップからメールは来ません。
若者よ、それぞれ現場に行きましょう。スマホが全てではありません。全否定もしません。
今、パリに商談に行けば(こんな時に良く来てくれた。)と思われるでしょう。リスクはチャンスとも考える事が出来ます。
以上が今回のスマホ同行記です。アナタの人生は、アナタの現場にあります。これは、カーナビ。
楽しいのは操縦する事じゃないですか?
カーナビに指示されて動きたいですか?
で、人生は殆ど操縦不能なのです。
それでも単独飛行を続けるか、旅客機の一員になるのか?
自営するか?
サラリーマンになるか?
けれど、墜落すれば同じですよね(笑)(*゜∀゜)アヒャヒャ
【場】、現場以外に現実はありません