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「快食、快眠、快便」を座右の銘として実行すべく、その達成度と日々の記録やあれこれ。

歴史の歪曲

2007-09-30 10:47:18 | NEWS

沖縄県民大会に11万人 「集団自決」削除検定に抗議 (共同通信) - goo ニュース



歴史の解釈はいろいろあるけど真実は一つのはずなのに、文献も残っていないような大昔の事じゃないのに、何で政府や文科省はこんなことするのかな?
補償を迫られると困るから?

最近はメーデーでもデモや大規模決起集会などが見られなくなったけど、このニュースを聞いて日本も捨てたもんじゃないな、と思った。
ただし、沖縄だから…なんだろうね。
ほんとは沖縄だけでなく、この問題には日本中がもっと敏感に反応して文科省に抗議するような波が起こらないといけないと思う。
それじゃぁかくゆう私が先頭きってデモに参加するかと言われば、結局は遠巻きの群集の1人なので大きなことは言えないけど…

だいたい歴史の授業って、何で現代から始めないのかな?
私は結構歴史好きなので(学校の勉強は嫌いだったけどね)卑弥呼だの縄文だの遺跡だ平安京だ何とかの乱だ、と否定するつもりもないし、勉強しなくてもいいとも思わないけど、太古から始めるから結局現代まで辿り着かずに卒業…というパターンがほとんどだ。
だから一番大切な第二次世界大戦やその後の日本の歩みや変化、世界との関わりなどはすっとばされていることが多いよね。

今の若い人たちに終戦記念日や原爆投下の日を聞いても何の日か全く知らない人が多いんだって。
「何?大地震があった日?」
とか、そんな程度らしい。

鎌倉幕府が何年に開かれたか覚えるよりももっと大切なことを教えないといけないんじゃないか、平和とかアジアの国々と仲良くとか言ったって、どういう犠牲の下に今の平和が築かれたのか、ただリゾート気分だけでなくどういう風にアジアと対して今の日本があるのか、社会も学校もまず子供達の教育の根幹として教えてなきゃいけないんじゃないか、そんな風に思うのです。
そうしたらテロ特措法とか、基地問題とか教科書問題とか、若い人たちも他人事じゃなくもっと自分の問題として考えられると思うのです。

学力、学力って教育は単に学力を向上させるだけじゃダメで、他者の痛みを自分の痛みとして感じられる人間を育てることがほんとうの教育の意味なんじゃないのかな。
そのために「ゆとり教育」ができたと私は思ってたんだけど、政府も文科省も学校も保護者も「ゆとり教育」の意味を別の意味で捉えてたんだね。
残念です…

そういえば我が娘達も終戦記念日や原爆記念日を聞かれて正しく答えられるかな。
人のこと言う前にまずは自分のところからでした またも反省

 


 

コメント (2)
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