自分に自信がないせいか啓蒙本が好きで、心に響く言葉やグッとくるフレーズに弱い。
落ち込んだとき迷った時やる気が起きないとき、そんな言葉の数々を思い出したり読み直したりしてまた頑張ろーと自分を奮い立たせる
そんな生活を40年位繰り返してきた(8歳頃までは啓蒙本は読まないってことで…笑)
ブログでも頑張る宣言を何度繰り返してきたかわからない。
その都度挫折して自己嫌悪に陥り、また復活して…のエンドレス
で、人生48年目にしてやっと気づいた。
自分が動かなければ何も始まらない
当り前のことなんだけどね。
それで考えたら、やっぱり私は努力するのが苦手なわけで、今までも努力してきていたらとっくに成功してるわけで。
あ、だからって努力することをあきらめたわけじゃないんです
ただ、「努力」ってちょっと義務的な感じがするというか「ねばならない」感があるので、もう好きなようにやればいいや~というところに辿り着いた。
多分このままなら大きな成功はないだろうけど、おかげさまで人にも恵まれ、どん底に落ちるほどの不幸も体験したがないのは幸せなことだし、努力もしないでそこそこの人生を送れるというのは贅沢なことですよね。
きっと前世の私はものすごく功徳を積んだに違いありません(笑)
で、またこの世で功徳を積んで来世に申し送りしないといけないと思うけど、頑張ろうと思ってもお金がないとか、自分や家族が病気になればそうそう予定どおりにいかないし、頑張ってる人にはちょっと申し訳ない気もするけど、頑張らなきゃいけない時にはこんな私でも多少は頑張るだろうから、普段は自然体でいっかぁ~という気持ちになった次第です。
自然体でいるということは、それはそれで焦りがなくもなくて矛盾するんだけど、頑張ると寿命が縮みそうな気がするのは前からずっと思ってました。
長生きしたいから、前世の功徳に甘えて今世ではだらだら生きよう
なんてったって、座右の銘は「快食、快眠、快便」だし。
なんて考えたら急に気が楽になって掃除、頑張ってます(笑)
単純