高校の学習指導要領の改定案が発表になりましたね。
じっくり読んでないのでどこがどう変わるのか、良くなるのか悪くなるのか言えないけど、いよいよ「ゆとり教育」も終焉のようです。
全国学力テストの結果を発表するとかしないとか、という論議が出たり学力テストを拒否していた愛知県の犬山市教育委員会の人が更迭(?)されたというような話もあるようで、未来を担う子供たちの教育はどこへ向かうんでしょうか。
以前にも何度か記事に書いたことがありますが、私は「ゆとり教育」賛成派。
だから学力テストを拒否した犬山さんにエールを送りたい
だけどコレには保護者からほとんど理解されなかったようですね。
大阪府知事の橋下さんもテスト結果を開示しろと息巻いているようですが、何でそんなことにこだわるのか、それが誰の何のためになるのか私には理解しがたい。
学力って何だろう…学校って何をするところなんだろう、ってすごく考えさせられます。
いわゆる読み書きそろばん的な基本の学力を身につけさせることは必要だし、ある程度競争も必要なことだと思うけど、今の時代、学力はよりレベルの高い学校に進学させるためだけのもののような気がしてなりません。
ヨーロッパのどこかの国では子供たちを美術館に連れて行き(多分美術の授業)作品の前で自由に意見を言わせるんだって。
日本では子供がその作品をどう感じるかは関係なく、名画と言われるものは名画なんだよね。そういう教育。
子供たちの情緒に訴えるというか育てる教育はしてないし、むしろ学力向上のためには体育も含めて情緒教育は必要ない的な感じになっている。
それで数年前の履修不足の問題が出てきたと思うけど、すべては点数主義というか点数で計れるものしか重要視していないのが残念です。
しかも特にそれを重要視しているのが保護者だから。
点数を取らせるために塾に通わせる、習い事に通わせる、で、学校の友達と遊ぶ時間がなくなり、コミュニケーション能力がどんどん低下して個人主義が幅を利かせ、挙句「誰でもよかった」殺人や自分の思い通りにならなければ邪魔な相手は殺すというような独りよがりな凶悪事件が増える
今回の高校の指導要領改定案の中で、コミュニケーション能力を向上させるために英語の授業は英語で行うという案があるらしいですね。
それは私もいいと思うけど、そうなったら受験の英語は根本から変わらないとおかしなことになっちゃうけど、その辺を文科省はちゃんと考えてるのかな。
「ゆとり教育」も本来は情緒教育や総合的な生きる力を育てようという主旨だったはずなのに、受験体制が何ら変わらなかったから実際の受験内容と学力(点数)とのギャップが大きくなって「ゆとり教育」ってことになっちゃっただもんね。受験が関係なければ点数が1点2点下がったところで大騒ぎするようなことじゃないだろうしね。
社会科とかでもさ、第二次世界大戦のこととかきっちり教えてほしいよ。
年代や事象だけを覚えるだけじゃなく、ちゃんと背景とか教えてそれをどう考えるかというところまで踏み込まないとほんとうの教育にはならないんじゃないかな。
少なくとも8月15日が何の日か聞かれて答えられないっておかしいでしょ
あ、最近急に景気がおかしくなっちゃったじゃない?
そんなこともどうしてそうなったか、小学校でも中高でもちゃんとやったらいいんじゃないの?
「指導要領に載ってないことは教えない」じゃなくて、時代は変化してるんだからどうしてそうなって、それをどう感じてどうすればいい解決策が見いだせるのかを勉強したらそれこそ総合的な学習でいいと思うんだけどね。
たくさん友達と遊んでいろんな経験積むことが結局は一番人間力を育てることになると思う。
「学校は苦しいことやイヤなことから逃げないために勉強するところ。仲間と一緒に生きていくことを勉強するところだ」と「ごくせん」でヤンクミも言ってました。
自分自身も子供が受験するときには1点に一喜一憂したし、塾や習い事にも通わせたクチだから人の批判はできないけど、数学が世界で何番とかそんなことにとらわれない、人の痛みを自分の痛みとして受け止めるような教育ができないのかなぁ~といつも思うのである。