先日骨髄ドナー候補になった記事を書いた時、コメントをくださったha-chansanが死後の臓器提供のドナーになっていると書いていた。
私は「脳死」って言っても実は本人には意識があって、周りの声も聞こえてて状況もわかっているんだけど「脳死」にされちゃってることがあるんじゃないかと思っていて、その状態で臓器を取り出すとなったら痛いだろうな~怖いな~と思ってた。
その点、骨髄は提供しても再生するから、私にとっては臓器提供よりもハードルは低かったんだけどね。
その話を姉と妹とする機会があった。
二人とも骨髄移植より臓器提供の方がいいよ~ということだったが、特に妹は介護の仕事をしているせいか「10年後に目覚めたって話もないわけじゃないけど、長い間植物状態で家族に迷惑をかけたくない」と。
それを言われてハッとなった。
私ったら自分が痛いかどうかしか考えてなかった
そうだよね、例え自分に意識があっても家族には「脳死」、植物状態なのだ。
そんな状態で何年も生きながらえたら家族の負担はいかばかりかっていうのを考えてなかった。
そこでもし自分に意識があったとしたら(家族や医者には植物状態に見える)、家族が自分の看病や介護や経済的負担で疲弊していく姿を見続けていくわけだ。何年も。
だけど自分は本当は意識があるんだよ、と訴えることも、もう生命維持装置を止めていいよと訴えることもできないわけで、うん、それも辛いことだなぁ。
それならいっそ、自分の臓器が誰かの役に立つならその方がいいし、家族も楽になる。
実際脳死の宣告を受けたのが自分の子どもだったらそんな風には割り切れないだろうけど、私はもう53年生きたからね(あ、でもまだ死にたくないよあと20年くらいは…笑)。
骨髄ドナーにはなれなかったけど、私も臓器提供のカードに名前を書こう
…そう思った今日この頃。
快食……
快眠……
快便……
今日捨てたもの……賞味期限切れの長芋の漬物、使わないハンドクリームと顔用クリーム
こんなペースじゃ一向に断舎離なんか進まないなぁ