すっかり更新が空いてしまいました。
フィギュアが出来たのでウインドシールドを作るために
原型のバルサ材を積層して削り出しました。
塩ビで絞って…あとは年明けの作業になります。

でもって寄り道して、お饅頭を弄っています…。
JS3スターリンの砲塔です(^^)


このベタ低くて丸い砲塔と突き出た前部が3型スターリンの最大の魅力ですね。
タミヤのキットは最初から鋳造肌まで表現されているので、お手軽モデラーには
とってもありがたい。
楽しみながら作っています。

ところで話変わって昔の勤め先のグラフィックデザイナーがこんな画像を送ってくれました。
レイトンハウスカラーのポルシェ956とタミヤのF1完成品です。
かなり前に彼が作った完成品で、隣のタミヤのシルビアも私が昔作ったもの。
表参道裏のレイトンハウスに止まっていたのを見て適当にでっち上げたものです。
レイトンハウスが活動していた当時、今から25年前の1989年。
鈴鹿にF1がやってきて日本にF1ブームが到来した丁度その頃ですね。
レイトンハウスの沿革についてはWikiでも見て頂くとして…。
彼からスキーウェアのカタログのイラストを依頼されて描いたのですが、その仕事元の代理店…。
別の営業部から、レイトンハウスが新たにレイトンエアサービスという旅行会社を作ることになり
海外F1観戦ツアーのパンフの制作のため、旅行パンフやF1などレースに詳しいデザイナーを探しているとのことで
友人デザイナーにお声がかかりました。
彼がレースに詳しいかどうかはいささか疑問なんですが(笑)、彼の郷里仙台のSUGOや西仙台ハイランドに
一緒にレース観戦に数え切れないほど通ったので、良い仕事を見つけたじゃん!!と羨ましかった。
何かおこぼれに与って、そのうちモナコかモンツァに連れてってもらおうと密かに目論んでいましたが
叶いませんでしたが(笑)
で、当時彼が作ったパンフのひとつがこれ。ご覧になった方や行かれた方も多数いると思います。

レイトンハウスのロゴが最初にレースファンの目に留まったのが85年のルマンのトムス85Cあたりでしょうか。
このときは白いボディーでしたがノーズやサイドにあのキャラを含むロゴが描かれていました。
F1ではエイドリアン・ニューウェイ設計のレイトンブルーのマーチ881がカペリとグージルミンのコンビで大活躍。
ベネトンと共に鮮やかなカラーで人気がありましたね…。
それからしばらくして91年のバブル崩壊と社長のA・A氏の例の事件によってレーシングチームはあえなく消滅。
同時にレイトンエアーサービスも無くなってしまいましたが、友人は引き続きフジテレビのF1観戦ツアーの仕事に関わり
以降13年間、F1人気が低迷しツアーが無くなるまで楽しい仕事ができたそうです。
当時はあのとっても目立つTシャツやブルゾンをそこら中で見かけたものですが
うちのクローゼットの中にもキャップや大きなシートなど、まだしまってあります。
その友人のクローゼットにも未だ大量のレイトン・アパレルの在庫があるとの噂(あくまで…笑)

ついでに忘れられないのがもうひとつ、
レイトンハウスがスポンサードし星野師匠にかわいがられ、F1に最も近いと期待された萩原 光。
86年4月7日(クラークの命日と同じ)にスポーツランドSUGOでテストした、レイトンカラーのベンツ190Eで事故死。
これは彼がADVANカラーのサニーやフォーミュラ・パシフィックで活躍し
全日本F2にデビューした82年当時もらったサインです。
----
さて今年も残すところあと2日。
1年で最もTVがつまらない時期なので、正月はゆっくり模型作りと思ったものの
年末に仕事が立て込んできて、なかなかそうもいかず。
何だかんだでろくに製作が進まなかった今年後半。
それでも1年見ていただいてありがとうございました。
年内はこれで終わりです。
それでは皆様良いお年をお迎え下さい!

フィギュアが出来たのでウインドシールドを作るために
原型のバルサ材を積層して削り出しました。
塩ビで絞って…あとは年明けの作業になります。

でもって寄り道して、お饅頭を弄っています…。
JS3スターリンの砲塔です(^^)


このベタ低くて丸い砲塔と突き出た前部が3型スターリンの最大の魅力ですね。
タミヤのキットは最初から鋳造肌まで表現されているので、お手軽モデラーには
とってもありがたい。
楽しみながら作っています。

ところで話変わって昔の勤め先のグラフィックデザイナーがこんな画像を送ってくれました。
レイトンハウスカラーのポルシェ956とタミヤのF1完成品です。
かなり前に彼が作った完成品で、隣のタミヤのシルビアも私が昔作ったもの。
表参道裏のレイトンハウスに止まっていたのを見て適当にでっち上げたものです。
レイトンハウスが活動していた当時、今から25年前の1989年。
鈴鹿にF1がやってきて日本にF1ブームが到来した丁度その頃ですね。
レイトンハウスの沿革についてはWikiでも見て頂くとして…。
彼からスキーウェアのカタログのイラストを依頼されて描いたのですが、その仕事元の代理店…。
別の営業部から、レイトンハウスが新たにレイトンエアサービスという旅行会社を作ることになり
海外F1観戦ツアーのパンフの制作のため、旅行パンフやF1などレースに詳しいデザイナーを探しているとのことで
友人デザイナーにお声がかかりました。
彼がレースに詳しいかどうかはいささか疑問なんですが(笑)、彼の郷里仙台のSUGOや西仙台ハイランドに
一緒にレース観戦に数え切れないほど通ったので、良い仕事を見つけたじゃん!!と羨ましかった。
何かおこぼれに与って、そのうちモナコかモンツァに連れてってもらおうと密かに目論んでいましたが
叶いませんでしたが(笑)
で、当時彼が作ったパンフのひとつがこれ。ご覧になった方や行かれた方も多数いると思います。

レイトンハウスのロゴが最初にレースファンの目に留まったのが85年のルマンのトムス85Cあたりでしょうか。
このときは白いボディーでしたがノーズやサイドにあのキャラを含むロゴが描かれていました。
F1ではエイドリアン・ニューウェイ設計のレイトンブルーのマーチ881がカペリとグージルミンのコンビで大活躍。
ベネトンと共に鮮やかなカラーで人気がありましたね…。
それからしばらくして91年のバブル崩壊と社長のA・A氏の例の事件によってレーシングチームはあえなく消滅。
同時にレイトンエアーサービスも無くなってしまいましたが、友人は引き続きフジテレビのF1観戦ツアーの仕事に関わり
以降13年間、F1人気が低迷しツアーが無くなるまで楽しい仕事ができたそうです。
当時はあのとっても目立つTシャツやブルゾンをそこら中で見かけたものですが
うちのクローゼットの中にもキャップや大きなシートなど、まだしまってあります。
その友人のクローゼットにも未だ大量のレイトン・アパレルの在庫があるとの噂(あくまで…笑)

ついでに忘れられないのがもうひとつ、
レイトンハウスがスポンサードし星野師匠にかわいがられ、F1に最も近いと期待された萩原 光。
86年4月7日(クラークの命日と同じ)にスポーツランドSUGOでテストした、レイトンカラーのベンツ190Eで事故死。
これは彼がADVANカラーのサニーやフォーミュラ・パシフィックで活躍し
全日本F2にデビューした82年当時もらったサインです。
----
さて今年も残すところあと2日。
1年で最もTVがつまらない時期なので、正月はゆっくり模型作りと思ったものの
年末に仕事が立て込んできて、なかなかそうもいかず。
何だかんだでろくに製作が進まなかった今年後半。
それでも1年見ていただいてありがとうございました。
年内はこれで終わりです。
それでは皆様良いお年をお迎え下さい!
