後編の副題は、贖罪・・・かな。
軽い昼食(しつこい)後、崩れそうな天候の下、工事中の現場へ。
ここは、ジョン・ポールⅡのセンター。
って、ビートルズじゃないのよ!
ヨハネ・パウロ二世センター(教会)
聖遺物
帰って来てから分かったのだが、
ヨハネ・パウロ二世は今年7月に聖人となる条件の「奇跡」が認められ、
年内にも列聖式が行われるらしい。
で、この大きな聖書の中央右下に血の入ったカプセルがあって、
これが聖遺物。
信徒がカプセルをキスしては上に掛かってる白い布できれいに拭って祈る姿が印象的。
ポーランド出身で、クラクフの大学でも学んだヨハネ・パウロ二世の人気は高く、
亡くなった後、クラクフでは遺体を全部欲しかったのだけど認められず、
部分もダメで、やっとこさっとこ病院で検査採血されたのを分けてもらったらしい。
聖人になると、世界中の教会が聖遺物を欲しがるから大変なんですって。
で、本体はちゃんとバチカンで埋葬されている。
教会、自慢のモザイク。
5人の職人が2日で作った。(これも奇跡?信仰心ってスゴイ!)
岩塩で作った最後の晩餐(レプリカ)=本物は後日アップします。
午前中、ダンのおかげで日程が押していて、
案内を予約していた修道士のミサまでの予定がギリギリになり、
早口(英語)で説明するもんだから、内容が全部理解できたとは言えないけど、
とにかく圧倒されましたわ。
次の見学場所は、ベデディクト派の修道院
ティニェツ修道院
壊れた壁からクラクフに繋がるヴィスワ川
修道士(ブラザー)に案内してもらう。
(クロックス履いてるよ~。)
左の女性はイスラエル人。
(アウシュヴィッツの回で登場するので、覚えておいてください。)
内陣奥には90歳の修道士。
何でも知っているそうな。生き字引・・・。
美しい船形講壇(説教台)
ベデディクト派と言うと、自給自足。
ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」(舞台はイタリア)を思い出す。
畑を耕して食事を作り、薬草園で薬草を育て、清貧をモットーとする。。。というのが私の認識。
ベネディクティンっちゅう、ハーブ系リキュールもある。(うみゃいよ。)
なので、売店も充実。
この辺のどこが清貧なのか、イマイチ私には理解できないのだけど、
正しい神の食品として人気だとか。
私らは誰も買わなかったけど。。。
ハーブ茶でも買おうかなって思って箱を見ていたら、
マグダが説明してくれた。
これは、夜寝る時とか、気持ちを穏やかにしてくれるお茶。
こっちは・・・・・男性が元気になるお茶。詳しくは聞かないで。想像してちょうだい。
あ、了解です。要りませんわ。。。
最後はコシチュシコ山に登る!
標高333m
風強し。飛ばされそー。
実際に登るのはたぶん70mぐらい。
ポーランドの英雄タデウシ・コシチュシコが第2回ポーランド分割後、諸外国に対し蜂起して作った砦。
クラクフの街を臨む
そしてくたびれ果てて、学会会場へと帰る。
くたくた~~、夜の予定はガラコンサートと夕食。
学会会場でコンサート。
出演は「美しいモニカ・ベンゲル」
力強い歌声。
歌うのはキャバレーなどのポピュラー。
夕食後、会場から、
乗り場を探してすったもんだしながら、
行きとは違うバスに乗ろう、、、、と思ったら、行っちゃったばかりで30分待ちなんで、
結局遠~~~~いトラム駅まで歩いて、ホテルへ戻る。
ぢがれた・・・・・・。
つづく
ありがとう。
早速昨夜の夕食ですご~く重宝。
で、
一番うけたのが
クロックス履いてるよ~
でした。
笑
仰せのとおりイスラエル人を覚えておきますデス。
岩塩抗についてはちょっと先になりますが、アップをお楽しみに。
クロックスのブラザーはメガネもお洒落だったんです。
清貧は遠い昔だなぁと思ったのでした。
信仰心に無縁なので、いちいち拭っても、感染症とか気になってしまいます。
一生懸命説明してくれてたんですが、
それに気付いてから、集中力が切れて、
あ、眼鏡もいいの掛けてるやん。。。とかね。
修道士がクロックス買ってる姿ってマンガになりますよね。
同行の日本人も拭いたぐらいで綺麗になるのかしらって言ってました。
日本だったら、抗菌スプレーとか抗菌ウェットティッシュを使うでしょうね。