なんかカッコいいタイトルをつけようかと思ったけど、
ガラではないのでやめて、だらだらと書き綴る旅行記でふ。
とは言え、ポーランドと言えば、偉人も多いし、歴史もかなり複雑。
考えることも多い旅になりました。
先ずは商売柄、ショパンで。。。
写真表示の日時は日本設定のままなので悪しからず。
29日に成田を発ち、ミュンヘン経由で同日夜ワルシャワ着。
翌日、早速ショパン詣で
聖十字架教会
この柱に
ショパンの心臓が埋葬されている。
1772年~ロシア・プロイセン・オーストリアの三国干渉により国土は分割され、
ポーランド王国は消滅した。
そのため20歳でワルシャワを出て以来、生涯帰る事が出来なかったショパンは、
死んだら心臓だけでもポーランドに帰りたいと願い、
死後その通りに成されたのだ。
祖国を失うというのは、どういう事なのだろう。
その想いは、私たち日本人には解りえないかもしれないけれど、
少しでも感じることが出来たら。。。と思う旅の始まりであった。
と言う訳で、ショパン・ミュージアム
11時開館のため、早めに行って並ぶ。ってか待機。
通りの反対側にはショパンの顔。
こちらは音楽祭のポスター
博物館のチケットはネット予約で買う予定だったのだけど、
サーバーエラーが出て、最後まで買えなかったので、
早くに行ってチケットを買う必要があったのだ。
でも、結果的にそんなに早く行かないでも大丈夫だった。
平日だったからかな。
どこからかの個性的な風貌のおじさん旅行者と3人で待っただけ。
他は開館ちょっと前に現れた。
博物館の内容は、彼の手紙や楽譜の草稿など、
オーディオもあって、なかなか工夫された展示。
外国人には解りにくいけどね。
引き出しを開けると、楽譜が観れて音が鳴る仕組みは面白かったけど、
他の人が一緒に開けるとかぶっちゃうんだ。
ちょっと惜しい感じの展示もあったけど、量的には満腹。
次は・・・・
ショパンのサロン@旧クラシンスキ宮殿
ここが分かりにくい!
入口に何も書いてない!!
美術学校の一角なんで、階段を上る間ムサ美みたいな匂い~~。 (油科!)
で、中はショパン家族が住んでたリビングを再現。
ショパンが使ったのではないけど、当時のフォルテピアノが置いてあり、
雰囲気は伝わる。
クラクフ郊外通り(ワルシャワ旧市街のメインストリート)のベンチ
座るとショパンの曲が流れる
さて、、、これからがお楽しみ。
フィルハーモニー小ホール
ショパン美術館で 第9回「ショパンとそのヨーロッパ」国際音楽祭のチケットを購入。
30日は、17時から大好きなピアニストのディーナ・ヨッフェの一人コンチェルト 。
大ホール
20時からはコンチェルト三昧の夕べ
えへへ、ハシゴしちゃいました。
一人コンチェルトは、本来オーケストラが演奏する分も自分でピアノで弾き、
もちろんソロ部分も弾くから、大忙し。
体力的にも技術的にも相当力が無ければできない。
それを2曲も!!
ショパンのコンチェルトOp.11とOp.21
凄いわ!凄すぎる!!
ただ凄いだけじゃなくて、音楽の造りが明確。
歌う所は美しく歌い、力強い所はもちろん男性並みの音量。
ただ、オケとソロを弾くと、同時に進行している部分で厚みが足らなくなって、
音楽が単調になるのは仕方ないか。。。
ディーナ・ヨッフェは、ツィメルマンがショパンコンクールで1位を取った時の2位。
ツィメ様も大好きだけど、ちょっと繊細すぎて、
まぁ、ショパンは病弱だったしな。。。的な演奏だったりする。(個人的な見解)
なので、ヨッフェの演奏は久々にショパンはこれでもいいんだ!
と思わせてくれる、私には救世主のような演奏だった。
そもそも、この時の順位には政治的な動きもあったようだし。
この話しはまた別の機会に。。。
夜の部は
1曲目はP・シマンスキーのオケ作品。
2曲目はベンジャミン・ブリテンのP協奏曲。よう解らん。途中で寝た。
すまぬ。ベンジャミン・グローヴナー。君は良かった。
しかし、時差ボケに無調はきつかった。
3曲目は、チャイコフスキーのコンチェルト Op.23
これが!ピアニスト(ネルソン・ゲルナー)がオケを煽る!!
走るんじゃないんだけど、イケイケどんどん!
オケは付いて行けるのか。。。ハラハラハラハラ・・・・。
指揮とオケになると落ち着こうとするんだけど、
そんなことは許しません!バンバン!!
最後のオクターブまで、ノンストップで演奏しきりましたよ、彼は。
無事に終わった時の指揮者(アレキサンダー・リーブライヒ)とオケ(ナロドヴァ放送交響楽団)のホッとした顔。
こんなに手に汗握るチャイコは初めて。
と言う訳で、初日早々、もう日本に帰ってもいいや!ぐらい満足した一日だった。
ところで、
前出のどこからかの個性的な風貌のおじさん、
ディーナ・ヨッフェの時にも会った。
彼は私たちがチケットを買ってるのを見て、自分も!と思ったのだそうだ。
なんで話したかと言うと、博物館の開館待ちの時に、
「ここは博物館のチケット売り場か?」と聞かれたのだ。
それとお互い個性的だから(片っぽはアジア人だし、片っぽはアーティスト風フリーターみたいな)
記憶にインプットされちゃったんだな。
彼は朝見かけたまんまのかっこだったけど、
こっちは一度ホテルに戻って着替えて来たから、ワンピ&スーツ。
「あら、エレガントね~。」と彼に褒められた。(語調はあくまでもイメージです。)
ブエノスアイレスから来て、翌日帰るのだそうで、
ちょっとした国際交流。
袖振り合うも他生の縁ってやつだね。
彼はコンサートで満足したかな。。。
さて、ワルシャワはもう1日あります。
ショパンだけじゃないぞ~~~。
つづく
その後、大戦後に日本の分割も提案されたと知ったのですが、その時はやはり「想像もつかない」との思いが強かったです。
ショパン三昧。
初日から充実なさっていましたね。
1人コンチェルトって、初めて知った。
1人で、オケパートもソロって、すごすぎだっ!
どんなんだろ??聴いてみたい^^
旅している時の、ちょっとしたふれあいっていいですね~。
学校で授業を受けた時は、よく解ってませんでした。
ドイツのことを考えれば、大戦後に分割されても不思議じゃなかったですよね。
ショパン三昧は初日がピークで、あとは盛り下がります。(^^;
それをまた国が無くなってたワルシャワに持ち帰ったってのが信じられない。
アルコール漬けだったみたいね。
一人コンチェルト、オケパートの譜は縮小コピーをつなげて置いてあったけど、それでも凄いよ。
きっと指揮者の頭の中では出来ることなんだろうけど、演奏となるとね。
日本でもやらないかな~。
それにしても日本人の感覚ではうえぇぇぇ~~~~ですよね。
ポーランド秘史は池田理代子でお楽しみください。(笑)
世界遺産とかを観るのもいいけど、土地の人や旅人同士の触れ合いも楽しいですよね。