これは私の郷里の話で、前置きが少し長くなるのをお許しいただきたい。
もし戦国時代の大名で、いったい誰が一番偉大であるか?
いろいろな比べ方があるだろうが、分かりやすいのは<生涯に獲得した領土>÷<領主としてのスタート時の領土>であろう。そうすると家臣であった秀吉を除いて、天下人の徳川家康とか織田信長ではない。なんと毛利元就(もとなり)が生涯の内でもっとも最大に領国を獲得した大名と言える。
毛利元就は今の広島県の西半分、「安芸国(あきのくに)」の中央部、吉田の荘という小さな山の中の盆地、その領主に過ぎなかった。山陰と山陽の大名の谷間で、木の葉のように揺れた、本当に小さな小さな国だった。それが谷間の勢力を束ねて急成長し、ついには小が二つの大を食って大化けし、十カ国の太守、西国一の大名になった。
天下分け目の関ヶ原では負けて防長二カ国に減らされたが、明治維新で徳川幕府を倒して宿願を果たした。この毛利の力はひとえに毛利元就が偉人であったからである。
私は生まれた時から元就の居城のあった郡山を見ながら育ち、小学生時代は学校が郡山のふもとにあったので、この山が遊び場だった。「三矢訓」とか「百万一心」などの元就の遺訓は戦前の道徳の教科書(修身)にあった。サッカーのサンフレッチェ広島は、サン=三、フレッチェ=矢、の意味で三矢訓からの造語である。
長々と述べたが、私がこの元就を評価するのは、側室を持たなかったことだ。どうしてか?戦国時代でも跡目相続は血まな臭く、兄弟が互いに殺し合うことが多かった。元就も領主になる時、弟の相合元綱(あいお もとつな)を誅殺している。これらは父が同じであっても、母がみな違うからなのだ。
日本の戦国時代だけでなく、旧約聖書でもそれは同様に見られる。英雄ダビデの子どももみな母方が違ったため、アブシャロムとかアドニヤは跡目争いで負けて死んでいった。たぶん一夫多妻制では、同様なことは珍しくないことだろう。
その点、元就には、正室美伊夫人存命中は、当時の武将としては非常に珍しいことに側室をとらなかった。だから毛利氏(長男)、吉川氏(次男)、小早川氏(三男)は母が同じなので、憎しみ合うのではなく仲が良く、毛利両川(りょうせん)と言って三本の矢のごとく、兄弟が一つになって主家の毛利を支えることができたのである。
何が言いたいか?元就を例にとったが、私は今日の常識である一夫一婦制の確立が、以下に述べるイエス・キリストの言葉にあることを言いたいのだ。そして家族が、兄弟が和合して仲良く暮らす原点がここにあることを感じる。
イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」(マタイによる福音書19章5-6) ケパ