週報が仕上がり、さああと印刷で終了。と言うのに、なんとプリンターがまたもや動かない。
今日は紙が何枚もいちどに送られて紙詰まりしている。半端な紙詰まりじゃあない。なんと上質紙10枚以上きっちりまとまり、送くられ詰まってる。
このところいろいろな障害が出ていて、ケパさんはもう諦めムードで、新しくしようと品選び始めている次第。エプソンに見切りつけキャノンにする。のだと宣言しているし、インクカートリッジがまだあるから、もう少しガマンしようと、渋っていた私だったけれど、こうもトラブル続くと、私もつい怒鳴りたくなる。「何とかしてよ、プリンター困るぢゃないのよ」
仕方が無い。週報あす事務所へ行って印刷しようと諦めた。今日はコンサート案内はがきを印刷し、無事終了したと内心喜んでいたのに、ガックリ。
聖書にはこう書いてあります。
「すべてのことについて、感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって、神があなたがたに望んでおられることです」
そうなのです。だからプリンターのご機嫌がよくないとぼやいてなどいないで、感謝します。
壊れてしまったプリンターに感謝。その為週報が仕上がらないけど、明日の朝には出来ますから、感謝。もう一つの印刷する物、6日の案内はがきがプリントできていて、感謝します。と祈ります。
しかし、突然にこのような事態になってしまい本当に慌ててしまいます。がこのような対応が出来る信仰でよかった。とさらに感謝しています。 トホホドルカスでした。
今週の火曜日、
兆候はあったのだが、10年ぶりにテニスエルボー(エルボーとは肘のこと)が再発した。前回は40歳代の後半に、バックハンドのフォームをスライスからドライブに改造しようとして発症、数年痛みに苦しんだ。悩んだ末にフォームを以前のものに戻し、ラケットを振動制御のものに変え、その上でプロテクターをつけてようやく治った。
今回は前回のようにフォームの改造もしていないし、今のラケットもシビアなものではないし、張力も弱くしている。だからどう考えても、老化による腱、筋肉の衰えに加え、ラケットのセンター(上写真の赤丸ぐらいの範囲で、スィートスポットと言う)を外して威力あるボール
を受け続けた結果だとしか思い当たらない。
どんな強い球でもラケットのスィートスポットでとらえ続けている限り、そうそうダメージを受けることはない。しかし今の私はフレームショットの連発である。ゲームの中盤になっても苦労しているから、これは、よほど相手の球が目に見えないくらいに速いか(確かに上級者との機会が多かった)、または自分の動体視力が落ちているとしか考えられない。
写真はエルボーが再発した火曜日の、コートを立ち去る前の様子。何だかちょっと傷心ぽい(笑い)様子でもある。「老化」というのは、防ぎようのないものなので、少しショックであることは隠せないか。
つくづく感じさせられること・・・・人の体は必ず衰える。やがて廃屋のようにわたしの体もぼろぼろになっていくことだろう。ハッと気づくと、「見えるもので、朽ちないものは何一つない」なんて今週の日曜日にメッセージしたばかりだった。
「人も、家も、国も、路傍の石、太陽・星々ですら、必ず朽ちていく。しかし朽ちないものがある。それは見えないものであり、霊である。わたしたちは、この見えないもの、永遠なるものにこそ目をとめ、慕い求め、焦がれていく存在ではないか」と。
まさにその通り!自分で言うのもおかしいが、先月はふくらはぎを痛め、今回はテニスエルボー。体中サポーターだらけの痛ましい姿のわたし(自己憐憫の霊よ、去れ)。体がガタピシときしんでいる今こそ、肉に頼ることから目を覚まし、悔い改めて完全に永遠の神にのみ求める心に変われ。老化は、それを気づかせてくださる恵みだ。 ケパ